22 熱狂のステージ
本番当日。
会場となるベイサイド・アリーナの裏手搬入口にバスが到着した瞬間から、俺の胃はキリキリと痛み続けていた。
これまでのスタジオ収録とは、訳が違う。収容人数、三千人。番組始まって以来、最大規模の有人観客ライブだ。
楽屋での準備を終え、ステージ袖に待機した俺たちは、分厚い幕の向こうから響いてくる地鳴りのような音に圧倒されていた。
ゴオオオオ……という低い振動。それは、三千人の人間が発する熱気と、期待と、ざわめきが混ざり合った音だ。
「うわ、すごい人」
最年少のソラが、幕の隙間から客席を覗き込み、顔を引きつらせた。俺もこっそりと覗き込む。
視界いっぱいに広がるのは、光の海だった。番組公式のペンライトが、星空のように揺れている。
そして、その光の中に無数に掲げられたネームボードやうちわ。
『タクミくん命』
『リクト尊い』
『桐生、ダンスで殺して』
『ケイト天使』
視界に入る文字は、やはり上位ランカーの名前が多かった。あからさまに人気が可視化されて、俺たちの胸をグサリと貫く。放出組や下位メンバーで構成された俺たちPopcornチームのボードなんて、探す方が難しい。
(でも、やるしかない)
ステージセットもこれまでと比べ物にならないほど豪華だった。
巨大なLEDモニター、せり上がるリフター、客席に突き出した花道。
アマチュアが立つには大きすぎる舞台だと感じる。ここに飲み込まれるか、ここを支配するか。それが運命の分かれ道となるだろう。
ゴクリと喉が鳴る。
その時。
通路の奥から、静かな足音が近づいてきた。
ざわめいていたスタッフたちがそれに気づき、モーゼの海割れのように道を空けた。
表れたのは、チームGuilty。
リーダーのリクトを先頭に、帝都タクミ、桐生、ケイトらが姿を現した。
彼らが纏う衣装は、黒と深紅を基調としたベルベットのスーツだ。煌びやかな照明などなくても、彼ら自身が発光しているかのようなオーラをまとっている。緊張なんて微塵も感じさせない。自分の城へ帰る王族のような、優雅な歩調だった。
すれ違いざま、ふわりと香水が香る。
通り過ぎるリクトが、俺たちに視線を流した。なんの感情も持たない、ただ風景を見るような無関心の目。
彼らにとって、俺たちなんてまったく眼中にない。
「……やるぞ」
俺の呟きに、チームのみんなが同調する。
「人気は圧倒的に差がある。でもそれは、多くの観客たちを振り向かせるチャンスがあるってことだ」
俺たちはピンチではない。俺の言葉にルイが顔を上げ、蓮司が眼鏡を押し上げた。
「そうですね。評価をひっくり返せば、全て我々の票になります」
「ああ、全部奪い取ってやろう。神様の首、掴んでやろうぜ」
ブーッ。
開演のブザーが鳴り響く。照明が落ち、会場が闇に包まれた。
さあ、まずは神々の宴のお手並み拝見といこうか。
*
チーム、Guilty。
彼らがステージに現れた瞬間、会場の空気が変わった。
ねっとりと重く、甘く、そして絡みつくような湿度を帯びる。
暗転したステージに、5つのシルエットが浮かび上がる。
センターに立つ帝都タクミ。ゆっくりと目を開くと、会場がしんと静まり返った。タクミの瞳は、いつもの澄んだ泉のような瞳ではない。それはまるで、底の見えない沼。観客は悲鳴を上げることすら許されない。ただ、その美しさに息を止め、金縛りにあったように魅入られるしかなかった。
――ドクン。
心臓の鼓動のような重低音が響き、曲が始まる。
リクトが動く。
長い睫毛を伏せ、指先で空気をなぞる仕草ひとつが、計算し尽くされた冷たい色気を放つ。
タクミが燃え上がる情熱なら、リクトは冷徹な氷だ。触れれば火傷する熱さと、凍てつく冷たさが同居するステージ。そのコントラストが、見る者の感覚を狂わせる。
桐生のダンスが、粘りつくようなビートを可視化する。ジャケットを翻す音さえ聞こえそうなほどキレのある動きの中に、とろけるようなウェーブが混ざる。鋭利な刃物で優しく撫でられているような、言い知れぬ危うさを感じた。
そして、ケイトの歌声。吐息混じりのファルセットが、会場の隅々まで染み渡る。それは聴く者の理性を溶かす、甘い毒薬だ。
サビに差し掛かる。
帝都タクミが苦悶の表情で手を伸ばした。ただそれだけで、会場中の空気が彼の手のひらに吸い寄せられてしまう。完璧な神が、愛に溺れて堕ちていく様を見せつけられる快感。汗の一粒すらダイヤモンドのように輝き、乱れた呼吸音すら音楽になる。
「すごい」
袖で見ていた俺は、震えを止められなかった。
あれが、選ばれし者たちの世界。努力や根性といった次元ではない。存在そのものがアートとして完成されている。
会場は陶酔の海に沈み、彼らが去った後には、深い溜息と、放心状態の静寂だけが残された。誰もが思ったはずだ。
――勝負は決まった、と。
(負けていられるか)
彼らが凄いのはもうわかった。
だけど、俺たちには俺たちの良さがある。
チームPopcorn。ステージへと続く暗い通路で俺は立ち止まり、背後のメンバーを見渡した。
KAGURAが首を鳴らす。
ジンが靴紐をきつく結ぶ。
シオンとルイが互いの表情を確認し合う。
JOが静かに合掌し、蓮司が眼鏡の位置を正す。
ソラが緊張で強張る頬を叩く。
誰も、負ける気なんてしていない。あの完璧な神々を見た後でも、俺たちの目は死んでいない。
「……行くぞ」
俺の声に、全員が頷く。
『~~♪♪』
ポップでキュートなイントロが流れた瞬間。
KAGURAがマイクを握り、押しつぶすような力で咆哮した。
「野郎ども、準備はいいかぁぁッ!!」
会場の空気が一変する。感動に酔いしれていた客席の意識が、ギュッとステージに集まった。
メロディが流れる。キュートでポップな歌詞が、KAGURAの熱く情熱的な声と感情に乗って、「鎖を引きちぎって飛べ!」という扇動に変わっていく。
優しさが、力強さへ。
こんな変化を生み出せるのは、このオーディション参加者の中でもKAGURAしかいない。
ルイとシオンが前に出る。ふたりが背中合わせになり、カメラを射抜く。媚びることなどしない。俺を見ろ、という強烈な自我と支配。美しい顔が歪むのもかまわず客席を煽るその姿は、あまりに雄々しく、勇ましかった。その圧倒的なビジュアルが、KAGURAの力強い歌声に乗って、見ている者の脳を破壊した。
蓮司が正確無比なダンスを披露すれば、JOも独特のグルーヴを発する。正反対の二人が生み出すリズムが、ジンとソラの背中を押した。ベテランと新人のジンとソラ。泥臭く、しかし誰よりも楽しそうに踊る二人の姿は、見ているだけで涙が出そうになるほど美しい。
そして俺。西園寺ルキがセンターに躍り出る。
スマートに踊るつもりなんて、最初からなかった。
俺はカメラに向かって、手を伸ばした。指の先まで神経を尖らせ、顔をくしゃくしゃに歪めて。
『君に届け、この想い――!』
これは、ただのラブソングではない。画面の向こうで、毎日に疲れ理不尽に耐え、それでも歯を食いしばって生きている、かつての俺たちへの叫びだ。
(明日は怖いか! 俺も怖い! でも、ここで生きてるぞ! お前も生きろ!)
汗が飛び散る。髪が乱れる。呼吸が苦しい。肺が焼けるようだ。
だが、その痛みが心地いい。俺は今、人生で一番、生きている。
会場が揺れていた。
ペンライトの光が、激しく波打っている。
Guiltyの時のような、美しい静寂はない。
あるのは、爆発的な熱狂と、地鳴りのようなコール。
観客たちが、泣きながら叫んでいるのが見えた。ただのアイドルソングに、彼らは自分の人生を重ね、泥まみれの俺たちの姿に明日への希望を見ている。
――ジャンッ!
ラストの音が鳴り止む。
俺たちは肩で息をしながら、最後のポーズを決めた。全員、汗と涙でぐしゃぐしゃだ。化粧も落ち、髪もボサボサ。アイドルとしては、落第点かもしれない。
けれど。
「へへっ」
隣でKAGURAが笑った。後ろでルイが泣き笑いをしている。
俺は、満員の客席を見上げた。眩しいライトの向こうに、無数の笑顔と涙が見える。
(届いた)
俺たちは今、間違いなく、この会場を支配した。神々にひれ伏すのではなく、人間として立ち上がり、謳歌したのだ。
俺は震える拳を突き上げた。その瞬間、今日一番の大歓声が、俺たちを包み込んだ。




