19 明確なビジョン
強面ラッパーのKAGURAが出て行った後の練習室は、異様な緊張感に包まれていた。呼び戻すでも、全員で練習するでもなく、それぞれが自分自身の生き残りをかけ、ただ黙々と練習を始める。
キュッ、キュッ、ダンッ!
靴音が響く。最年長のジンが、音を止めた。
「ソラ、違う。ターンが遅れてる。そのせいでフォーメーションが崩れる」
ジンの声は冷徹だった。指摘された最年少のソラは、肩を大きく揺らして息をしている。
「す、すみません。もう1回、お願いします」
「もう1回じゃない。何回やっても同じミスをしてる。基礎が足りてないんだよ」
ジンはタオルで汗を拭いながら、苛立ちを隠そうともせずに言った。
二十代後半の彼は、練習生歴10年のベテランだ。技術も経験も頭ひとつ抜けている。だからこそ、未経験で運よく勝ち残ったソラの遅れが、チーム全体の致命傷に見えて仕方がないのだ。
「俺たちには時間がないって言ってるだろ。お前の成長を待ってる余裕なんてない。できないなら、後ろに下がって目立たないようにしてくれ」
プロとしての非情な判断。ジンの言葉にソラが唇を噛み締め、うつむいた。シューズに悔し涙が落ちる。
部屋の空気は最悪だ。だけど、誰もジンを止めない。誰もが、勝つためにはジンの言い分が正しいと分かっているからだ。
(正しい……けど)
俺はその張り詰めた空気の中で、小さく息を吐いた。
表面的に正しいことが、本当に正しいとは限らない。席を外したKAGURAも、非情な最年長のジンも、まだまだ未熟なソラも、もっとみんなで輝ける方法があるんじゃないか。
「なあ、少し休憩しないか。みんな、一度頭を冷やしたほうがいい」
俺は声をかけ、部屋を出た。
まずは、KAGURAを連れ戻さなければならない。
*
俺は屋上へ向かった。予想通り、KAGURAはそこにいた。
彼はフェンスに寄りかかり、サボっている――わけではなかった。手にはボロボロのノートとペン。ブツブツと何かを呟きながら、鬼のような形相で歌詞を書き殴っている。
「サボってるわけじゃないんだな」
俺が声をかけると、KAGURAは顔を上げ、舌打ちした。
「当たり前だろ。俺は勝つためここにいる。が、納得できねえもんは歌えねえ」
彼は、リリックを書き留めたノートを叩いた。
「応援? エール? そんな綺麗事を歌ったって、魂がこもらない。良いステージなんてできねえ。俺はずっと、舐めてくる奴らを言葉で殴り返して生きてきたんだ。魂ってそういうモンだろ」
KAGURAはこのオーディションに参加する前、地下のラップバトルで戦い、輝かしい成績をおさめてきたらしい。
彼の原動力は、反骨心。誰かに寄り添う優しさなんて、持ち合わせていない。それを、このオーディションでもずっと表現し続け、ここまで残ってきた。
それは、俺も知っている。
「KAGURA。君のラップは鋭いナイフだと思う。相手を攻撃する、武器だ」
俺はKAGURAの隣に立った。
「だが、そのナイフで誰を刺すつもりだ? 客か? それとも審査員?」
「そんなもん、聞いてる奴全員だ」
「ファンを攻撃するのか? 自慢のラップで? それで満足か? 違うだろ。だって君は、アイドルを目指してるんだろ? 応援されるためにこのステージに立っているはずだ。なあ、KAGURA。君が戦うべきは、才能があるのに評価されない現状や、理不尽な世の中のシステムそのものなんじゃないのか?」
KAGURAの手が止まる。
俺は続けた。
「俺たちのチームのコンセプトは、応援だ。でもそれは『頑張れ♡』なんて甘っちょろいもんじゃない」
俺は眼下に広がる街を見下ろした。
「世の中には、理不尽な上司や、どうしようもない現実に押し潰されそうな奴らが、ごまんといる。そいつらの代わりに、君が社会に牙を剥いてやれば良いじゃないか」
「……は?」
「『ふざけんな!』って、君が言ってやるんだよ。ラッパーKAGURAのその歌で、言いたいことも言えない弱いやつらを代弁してやる。それが、俺たちが造る応援歌。アイドルとしての君の姿だよ」
KAGURAが目を見開く。
目の前の人間ではなく、見えない理不尽を仮想敵にする。ファンの抱える不満も、オーディションの仕組みに対する不満も、全部潰してやるくらいの気合いを、KAGURAは持っている。
数秒の沈黙。その後、KAGURAはニヤリと笑い、ペンを走らせ始めた。
「世の中全員に喧嘩を売るつもり、か。悪くない」
ペンの走る音が、軽快なリズムを刻み始める。この調子なら、彼は大丈夫だ。
*
夜10時。
練習室に向かうと、まだ明かりがついていた。中では、最年長のジンと、最年少のソラがふたりでレッスンを続けている。
ジンは鏡の前で、複雑なステップを繰り返している。その後ろでは、ソラがジンに必死に食らいついていた。足はもつれ、何度も転びそうになりながら、それでもジンの背中を見つめ続けている。熱気と情熱が、ヒリヒリと空気を焦がした。
「はぁ、はぁ……すみません、もう1回」
ソラの膝が笑っている。はた目にも、限界はとうに超えているはずだとわかった。一緒に練習しているジンだって、気付かないはずがないだろう。
しかしジンは振り返り、ソラに冷めた視線を送って、冷酷に言い放った。
「無駄だ。お前のレベルじゃ、一晩や二晩で追いつけない」
「わかってます! でも僕、ジンさんの足を引っ張りたくないんです!」
ふらふらのソラが叫ぶ。
「ジンさんは今回が最後だって、このステージに人生賭けてるって知ってます。そだからこそ、僕だって死ぬ気でやらなきゃ失礼じゃないですか。僕も同じ覚悟を背負わせてください!」
その言葉に、ジンが息を呑んだ。
10年間、多くのオーディションを経験してきたジン。デビューを掴む大変さを、彼は誰よりも知っている。だからこそ、彼が焦るのは当然だった。だけど、十代のソラもまた、その想いをしっかり認識している。一緒に頑張ろうとしている。
ジンはしばらくソラを見つめていたが、やがて深いため息をつき、座り込んだ。
「俺も、最初は酷いもんだったよ」
ポツリとジンが語り出す。
「16歳の頃だ。リズム感もなくて、今のソラより下手だったかもしれない。毎日怒られて、泣いていた」
「え、ジンさんが?」
「ああ。努力しても、努力しても、報われない。結果、俺はデビューもできず、もうアラサーだ。俺は、ソラにこんな思いをしてほしくない」
ジンは立ち上がり、ソラに手を差し伸べた。その表情から、険しい刺々しさが消えている。
「100回間違えてもいい。俺が101回教える。その代わり、本番では1回もミスるな。全力で勝ちにいけ」
「は、はいっ!」
ソラの目が潤み、大きく頷いた。
ここで声をかけるのも無粋だ。俺は部屋に戻り、ひとりで基礎練習をすることにした。
*
翌日。練習室の空気は一変していた。
「おいソラ! そこ弱えぞ! もっと腹から声出せ!」
あの強面ラッパーのKAGURAが、周りに指導している。リリックにどんな感情を乗せ、どう表現するのか。KAGURAの中で確立した明確なビジョンを、みんなの感覚に落とし込み、ひとつのチームとしてまとまろうとしていた。
「KAGURAくん、そこ、テンポが速すぎる気がするな。ソラが追いつけてない」
「だったらもっと練習しろ。ここは勢いが大事な部分だ」
「……だってさ、ソラ。今日も個人レッスンする?」
「お、お願いします!」
ジンがKAGURAの暴走を制御しつつ、ソラを導く。それぞれが抱えていた怒り、焦り、劣等感も、すべてが熱量に変換され、チームのエンジンを回し始めている。
(なかなか良い調子なんじゃないか?)
良いものを作れる気がする。そんな高揚感が俺の胸にわき上がる。
(あと、足りてないとしたら――)
俺は、鏡の前で所在なげに立ち尽くしている二人の男――シオンとルイに視線を向けた。ビジュアル担当のふたりだが、いまひとつ勢いを掴み切れていない。彼らを花咲かせるには、どうしたらいいだろう。
俺は、まだ殻を破り切れていないふたりの今後に想いを馳せた。




