12 猛獣使いの搾取
本番直前、ステージ袖の空気は張り詰めていた。
これから数千人の観客と、数万人の配信視聴者の前で俺たちの選択ラップ曲、HYENAを披露する。緊張で固くなる俺たちに、リーダーのリクトが「円陣を組もう!」と声をかけた。
「みんな、聞いて」
リクトの声は、鎮静剤のように穏やかだ。
「今日のステージ、カメラ割りも顔の角度も気にしなくていい。汗も、髪の乱れも、涙も拭わなくていい。ただ感情のままに、壊れてくれ。みんなの熱意が主役だから」
シュウが不安げに顔を上げる。
「え、だいじょぶ? 見栄え悪くなるでしょ」
「大丈夫。僕がまとめる」
リクトは慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべた。
「君たちがどれだけ暴れても、僕が『静』の役割として全体を締める。君たちのパッションが散らからないよう、僕が支える。だから、安心して」
リクトの笑みにつられて、みんなの心がほぐれていく。その言葉は、迷えるメンバーの背中を押す魔法の呪文だった。
綾人が力強くリクトの肩を叩く。スバルも、シュウも、覚悟を決めた顔になる。
完璧な信頼関係。
だけど俺の心には、うっすらと違和感が漂っていた。
あのAクラスの、全体2位でここまで来たリクトが、こんな「自分を踏み台にしろ」みたいなことを言うか?
勝者の余裕? そんなわけがない。死に物狂いでアベンジャーズチームへ勝ちにいくのに、彼が黒子になるはずがない。
なんとなくモヤモヤを抱えたまま、俺たちはステージに立った。
*
ドンッ!
曲が始まった瞬間、俺たちの理性が弾け飛ぶ。
HYENA。それは飢えた獣たちの賛美歌だ。
綾人が吼える。
「俺を見ろ! 操り人形じゃない俺を見ろ!」と言わんばかりに、子役の仮面をかなぐり捨てる。怒りを露わにするその姿は、鬼気迫る迫力があった。
スバルが舞う。
「間違えてもいい! 生きてる証を刻む!」そんな感情を胸に、正確無比だったダンスを崩し、髪を振り乱して、涙を流しながら床を蹴る。その悲痛な叫びが、観客の胸を打つ。
シュウが晒す。
「顔だけじゃない! 中身を見ろ!」と心で叫びながらステップを踏む。汗でメイクが溶け、髪が顔に張り付くのも構わず、必死の形相でカメラを睨みつける。泥臭い輝き。
そして俺も、社畜の魂をリリックに乗せて叫び続けた。
会場のボルテージは最高潮。歓声が地響きのように床を揺らす。
これだ。これが俺たちのHYENAだ。
全員がボロボロになり、なりふり構わず感情を爆発させる。最高の一体感――。
――ジャンッ!
曲が終わり、最後のポーズを決める。激闘を終えた俺たちは、肩で息をしながら静止した。
綾人は髪を掻きむしったまま、獣のように前を睨んでいる。スバルは堪えきれない涙を流し、くしゃくしゃの顔で天を仰いだ。シュウは汗だくで、苦悶の表情を浮かべて膝をつきかけている。俺も酸欠で目が回り、立っているのがやっとだ。
全員が泥だらけだった。生きることに必死で、余裕など欠片もない、痛々しくも美しい敗者たちの姿。
だが。
ただ一人、リクトだけが違う。
彼はセンターで背筋を伸ばし、悠然と立っている。
汗ひとつかいていない。呼吸も乱れていない。乱れたメンバーたちの中心で、彼は陶器のように白い肌を照明に晒し、カメラに向かって妖艶に微笑んでいた。
スッと伸ばされた指先が、自らの唇に添えられる。
『シッ』
その仕草に、キャアアァと割れんばかりの歓声が飛ぶ。
圧倒的なリクトの人気。そこまで差があるのかよ、と半ば絶望しながら、俺はモニター越しに映し出されたステージを見た。
――ぞくり。
背筋が凍る。
そこに映っていたのは、傷つき泣き叫ぶ4匹の野獣と、それを涼しい顔で従える1人の美しい調教師の姿だった。
圧倒的な格差。
俺たちが必死になればなるほど、泥にまみれればまみれるほど、中央に立つリクトの気高さと美しさが、異質なほど際立つ。
泥水の中に咲いた一輪の白蓮。
美と醜の、圧倒的なまでのコントラスト。
俺たちの熱量はすべて、リクトという神聖な存在を引き立てるための背景でしかなかった。
会場の視線はすべて、ボロボロの俺たちではなく、リクトひとりに吸い寄せられていたのだ。
*
割れんばかりの拍手とともに、客席に居たプロデューサーの黒沢がマイクを持った。
「良いねえ。圧倒された。特にみんなの、今まで見たことのない必死な表情が良かった。感動したよ」
マイクがボーカルトレーナーの勝又に移る。
「殻をやぶった感じがしたね。リーダーのリクトくん、どう? まとめ上げるの、大変だったんじゃない?」
問われたリクトは爽やかに笑み、聖人のような声で答えた。
「いえ、僕は何もしていません。ただ、彼らの良さを前面に出してあげただけです」
リクトは慈愛に満ちた目で、ボロボロになった俺たちの肩を抱く。
「綾人の情熱、スバルの純粋さ、シュウの根性、そしてルキのセンス。彼らは不器用だけど、こんなに熱い心を持っている。僕はただ、彼らが安心して全てを曝け出せる場所を作っただけです。……最高の仲間ですよ」
ワァァァァァッ!
会場から黄色い悲鳴が上がっている。綾人やシュウは、リクトの言葉に感極まり、リクトを小突いた。
感動のステージ。
……そうなのか?
俺は身震いし、ひとり顔を歪ませた。
この感動物語の中、ひとりだけ美しくあり続けたリクト。汚い部分は他人に任せて、その上澄みの綺麗なところだけを吸い取り、自分のリーダーシップと美しさを証明している。
それって、俺らをダシにして、旨味だけを奪っていっただけじゃないのか?
これが、感動なのか?
本当に?
なんだか、もう、なにもわからない。
*
ステージ裏。
興奮冷めやらぬメンバーたちが、互いを称え合っている中、俺はふらつく足でリクトに近づいた。
「リクトくん」
「ああ、お疲れ様、ルキくん。ラップ、最高だったよ」
リクトはペットボトルの水を飲みながら、無邪気に笑った。清々しいまでの爽やかさに、胸の中が黒く染まっていく。俺は声をひそめてリクトに問いかける。
「あの演出、作戦か? 泥だらけの俺たちとの対比を作って、自分だけが際立つように」
俺の声は震えていた。リクトがきょとんとして、首を傾げる。
「何のこと?」
とぼけているのか、それとも、本気で無意識なのか。リクトは屈託なく笑い、続ける。
「僕はただ、みんなが一番輝く方法を考えただけだよ。君たちの必死さ、すごく視聴者に刺さってたでしょ。対比になっちゃったのは、まあ、全員が泥臭いと締まらないからね。メリハリをつけたかったんだよ。でも、おかげですごく良いステージになったじゃん。これでみんな、ハッピーだね」
ヒュッ、と俺の喉が鳴る。
「……ハッピー?」
「そうだよ。僕は君たちの良さを引き出してあげた。君たちも評価されたし、僕も相対的に評価された。それだけだよね」
リクトは俺の肩をポンと叩き、軽やかに去っていく。その背中を見て、俺の視界がぐにゃりと歪んだ。
フラッシュバックする、前世の記憶。
『田中くんのおかげでプロジェクト成功したよ。ありがとう』
そう言って、手柄をとっていく上司。
『君の頑張りは僕が一番知ってるから』
都合よく働かせるために投げかけられる、いたわりの言葉。
『みんなのためだ、我慢してくれ』
上司の評価を維持するために酷使される部下たち。
「ッ、くそッ」
笑顔で俺たちを搾取する上司たち。「君のため」という甘い言葉で梱包された、悪意なき支配。自分が輝くための燃料として、他人の人生を燃やすことに何の罪悪感も持たない人種。
――リクトは、それじゃないか。
ブラック企業でどんどん出世していく奴の、典型的なタイプだ。呼吸をするように他人を踏み台にして、悪気なく振る舞う。搾取が染みついた人間。
「はっ……はっ……」
息ができない。酸素が入ってこない。
俺は壁に手をつき、崩れ落ちた。手足が異様に痺れる。過呼吸みたいだ。
煌びやかなステージの裏側で、俺は小さく痙攣した。それも、誰にも気づかれない。スポットライトは今、残酷なまでに美しい、王子様のリクトだけを照らしているのだから。




