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Seventh Night -夜と眠りの調律店-  作者: 羊三月
第一夜 顔のない少女
6/6

⑤調律室の灯り

ーーあなたの夢を、わたしに見せてくれませんか?


 その言葉は静かで、けれどあまりにも現実離れしていて、結衣は思わず(まばた)きを繰り返した。


「え……? 私の夢を"見せる"って、どういうことですか?」


 カモメはすぐには答えなかった。結衣の戸惑いを受け止めるように、不安にならない程度の短い沈黙を置いた。


「えぇ。あなたが見る夢を、わたしも一緒に“たどる”んです」


 カモメの表情は変わらず穏やかで、その落ち着きがかえって現実味を遠ざけた。

 結衣は完全には理解できなかった。けれど、その静かな声に触れていると──言葉以上の意味を探すほうが、不自然なことのようにも思えた。


「……そんなことが、本当にできるんですか?」

「できますよ。ただ……」


 結衣の目に映る不安を汲み取るように、カモメはわずかに息を整えた。


「夢を見るのは、あなた自身です。わたしにできるのは、その夢の“揺らぎ”を見つけて、あなたが迷わないように灯りを置くことだけ。先に引っぱったり、形を変えることはできません。それは夢を傷つけてしまうので」


 最後の言葉には、祈りにも似た静かな敬意が込められていた。

 結衣はその言葉を胸の内に落とし込むように、小さく息を呑んだ。


 カモメはティーポットへ視線を落とし、自然な所作で持ち上げた。


「……よければ、おかわりをどうぞ。話すと、喉が渇きますからね」


 その言い方は、驚くほど日常の調子で、結衣は思わず拍子抜けした。

 カモメにとって“夢をたどる”という行為が、特別ではなく日常の一部であることを示していた。


「あ……はい。いただきます」


 ティーポットを傾けると、ハーブティーが落ちるたび、やわらかな音が小さく弾けた。

 その香りがふたりのあいだを満たし、会話を元の流れへゆるやかに戻していく。


「……ずっと、変な感覚なんです」


 結衣はカップを握る手に力を入れた。


「夢の続きが、まだどこかで動いているみたいで」


カモメは静かに瞬きをした。


「えぇ。まだ“閉じて”いませんから」

「閉じて……?」

「夢は、夢の中で終わるわけではありません。ときどき、夢のほうがあなたを離さないこともあるんです」


 結衣の背筋に、ひやりと細い風が走る。店内の空気は変わらず温かいはずなのに、カモメの言葉は氷のような透明な冷たさを帯びていた。


「でも安心してください」


 カモメはやわらかな視線を向ける。


「あなたはちゃんと戻ってきています。あとは、道筋をたどり直して、夢の揺らぎを見つけるだけです」


 カモメの瞳の奥は穏やかで、けれどどこか深すぎる場所の色を含んでいる。まるで薄膜越しに、別の世界を覗いているようだった。


 カモメは不思議な人だ。けれど、心は拒まなかった。むしろ、ずっと昔から話したことがあるような奇妙な懐かしささえあった。 


「――では、その夢のたどり方について、お話しますね」


 カモメは変わらず平静に、まるで地図を広げて目的地までの順路を示すように語りはじめた。その口調の落ち着きに、結衣はつい、これを日常の会話の延長のように受け止めてしまう。


「まず、夢に入ったときの"しるし"を思い出してください。どんなにぼんやりしていても構いません。足元の色でも、風の匂いでも、鳥の鳴き声でも、最初に気づいたものが、あなたを導いてくれます」


 結衣はゆっくり眉を寄せる。

 思い出そうとした瞬間、胸の奥に淡いざわめきが起こった。


「それを手がかりに、一度だけ逆戻りしてみるんです。夢は"水脈"みたいなものですから」

「……水脈……?」

「ええ。地面の下を静かに流れているようなものです。形は見えなくても、確かに流れていて、あなたの眠りのたびに少しずつ姿を変えます」

「そんなものが……私の中に?」

「ありますよ。誰の中にも。そして、その水脈には必ず“源流”があります。そこに触れられたとき、夢はあなたを迷わせません。その源こそが、夢の入り口なんです」


 カモメの声は変わらず静かだったが、その言葉の奥には、どこか(あらが)いがたい重みがあった。


「ただし――」


 カモメはカップの縁にそっと指を置き、かすかに目を伏せた。


「"源流"に長く触れていると、現実のほうが輪郭(りんかく)を失います。だから、必ず現実を思い出す切欠を決めておかなければいけません」


カモメはゆっくりと言葉を選ぶ。


「あなたが、いつも無意識に触れているものがいいんです。指先の癖でも、よく使う言葉でも、ふと香る日常の匂いでも……夢の中でそれを思い出せれば、現実のほうがちゃんと戻ってきますから」


 結衣はわずかのあいだ息を止めていたことに気付く。胸の奥にも、冷たい風が吹き込んだような感覚が走る。


「……そんなに、危ないものなんですか?」

「危険ではありません。ただ――」


 カモメは微笑む。どこか寂しさを含んだ笑みだった。


「夢は優しいふりをして、ときどき、人をその場所に留めてしまうんです。"ここにいたい"と思わせるほどに」


 結衣の指先が、無意識にカップをきゅっと握った。まるで自分が、すでに夢の流れに足を浸しているかのような感覚を覚える。


「でも、大丈夫ですよ」


 カモメはそっと顔を上げ、結衣の目を見る。その瞳は夜の底の気配を含んでいた。


「そのために私もいます。それに、たどり方さえ間違えなければ、あなたは夢に迷いません。むしろ、夢のほうがあなたを迎えに来てくれます」


 結衣は喉を鳴らし、かすかにうなずいた。

 未知の恐さと心細さ、そして説明のつかない安堵が、ゆっくりと胸にひろがっていった。


「……わたしにも、できますか?」

「できますよ。あなたはもう半分、夢の道筋を思い出しているはずですから」


 カモメの言葉に、結衣は言葉を失う。

 その見透かすような発言は、なぜか怖くなかった。自分の領域に突然踏み込まれたというより、ずっと前から静かに寄り添われていたことに気づいたような、不思議な安心感があった。


「……それで、わたしは何をすれば?」

「まだ何も決めなくていいですよ。まずは……」


 カモメは上目遣いで静かに問いを返す。


「あなたが、どうしたいのか。その気持ちを教えてください」


 結衣はカップを包む手に力を込め、しばらく言葉を探すように視線を彷徨(さまよ)わせた。


「……"知りたい"んです。この夢の底に何があるのか。こわい気持ちもあるけど……放っておいちゃいけない気がして。理由は説明できないのに、ずっと誰かに呼ばれているみたいで」


 その言葉が自分の本音だと気づいた瞬間、胸の中に静かな震えが走った。


「知ることなら、できますよ」


 カモメはやさしく頷いた。


「あなたが今、眠れなくなっているのも、夢の中のその子が呼んでいるのも、きっと理由があります。夢は、嘘をつきませんから」

「……理由、ですか」

「はい。でも、夢はひとりで抱えるには、すこし重たいこともあります。だから……」


 カウンターに落ちる淡い橙の光の中で、カモメの声は一層やわらかく響いた。


「わたしがいっしょに見に行きます。その夢の深いところまで、ね」


 カモメは首を傾け、結衣の目をまっすぐに見つめた。


 結衣の頭の奥で、細い耳鳴りのような音がかすかに走る。掌には、気付けばじんわりと汗がにじんでいた。


 ――それでも、逃げたいとは思わなかった。

 カモメの差し出す言葉は、どれも触れてみたくなるほどのやわらかさがあったからだ。


「……お願い、できますか。一緒に、私の夢を見てもらえますか?」


 結衣の声は震えていたが、その震えは逃げ腰のものではなかった。

 むしろ、ようやく踏み出した足音のように、かすかで確かな響きを含んでいた。


 カモメは驚きも歓喜も示さない。ただ、水面に小石が沈んでいくような深い頷きをひとつ返した。


「はい。もちろんです。あなたの夢に、寄り添わせてください」


 その瞬間、灯りの色が深くなったような、音が一段静まったような、微細な空気の変化を感じた。


 カモメは立ち上がり、カウンター奥の戸棚へ向かった。

 戸棚の上段に手を伸ばすと、背伸びするようにつま先が浮く。その動きはあまりに日常的で、さっきまで別世界の住人のようだった彼女が、急にどこにでもいる小柄な女の子に見えた。


 結衣はその横顔を見つめ、ふと胸の奥に陽だまりのようなあたたかさが生まれた。

 カウンターの下から覗く自分のバッグに視線を落とす。そこに揺れているキーホルダー――国民的キャラクターブランドの、寝ぼけ眼の黒いペンギンのマスコット。その表情と、カモメの表情がどこか重なって見えた。


 遠い場所にいるように思っていた彼女が、ようやく手の届く距離に降りてきたようだった。


(……この人も、ちゃんと“人”なんだ)


 その気付きのあとには、ただひとつ――この人を頼りたい、という気持ちだけが静かに残っていた。


「……どうしました?」


 振り返ったカモメが、不思議そうに首を傾ける。結衣の口許は、本人の自覚もないままほころんでいたようだ。


「いえ、なんでもないです!」


 思わず、いままでの調子から外れた少し大きな声が出てしまい、結衣は自分で自分に驚いて、余計に笑いそうになる。


 カモメは一瞬まばたきをしてから、気を取り直すようにカウンターへ目を戻した。

 片手に燭台――細い金属の枝に挿された一本の蝋燭を取り上げ、その芯へ指先で火を灯す。


 小さな炎が静かに揺れ、橙の気配が周囲の空気をゆっくり染めていった。


「では、場所を変えましょう。奥の“調律室”へご案内します」


 結衣は息を呑む。胸の奥で、微かな緊張と期待が混ざり合った。


 カモメは燭台を片手にカウンターを出て、店の奥へ歩き出す。

 迷わないように導く灯りのように、その炎はほんの少し先を照らしながら進む。


 やがて、その先に一枚の扉が現れた。

 木目の濃いその扉は、店内のどの扉とも違って見えた。

 静かで、冷たくて、どこか厳かな気配をまとっている。


「こちらが、調律室です」


 カモメは一度だけ結衣を見る。

 問いかけでもなく、急かすでもなく、ただ――“ここから先は、あなた自身が選んで進む場所ですよ”と語るようなまなざし。


 結衣はそっと深呼吸をした。


 カモメが扉に手を添え、ゆっくりと押し開く。

 ――きぃ、と微かな音。

 橙の灯りが薄闇へ細い筋となって流れ込み、その向こうには、まだ見ぬ気配が静かに広がっていた。


 結衣は、そっと一歩、前へ足を出した。

立ち寄っていただき、ありがとうございます。

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