①沈黙の公園
霧島結衣は、また同じ夢を見ていた。
人気のない、静まり返った公園。視界に映るすべてが静止し、生きものの気配を感じない。
それは遠い過去の記憶のようでもあり、まだ訪れない未来の果ての風景のようでもあった。
そこは幼いころ、結衣が毎日のように遊んでいた場所だ。
春には、ケヤキの若葉が陽を受けて透き通り、地面にはレンゲやクローバーが群れていた。花を摘んで冠を作ると、指先に土と草の匂いが残った。
夏には、駄菓子屋で買った氷菓を友達と並んで食べた。食べ終えた棒を砂の山に突き立てて、どちらが先に倒れるか、お互いに山を崩し合って遊んだ。
秋の風が吹く日には、錆の浮いた鉄棒がひやりと冷たく、何度も指先を赤くした。
夕暮れが早くなるころ、公園のスピーカーから流れるチャイムが、子どもたちのざわめきを少しだけ切なくさせた。
砂のざらつき、手のひらに残る鉄の匂い、ブランコの鎖が軋む音、木のベンチの温もり、そして、頬をかすめていく夕方の風の感触――それらすべてが、結衣の奥底にまだ息づいていた。色を失うことも朽ちることもなく、透明な時間の層の中に刻まれていた。
けれど、夢の中の公園は少しだけ違っていた。遊具は記憶のままに並んでいるのに、夕闇が地面ごと飲み込み、影という影が黒いひとつの塊のように溶けている。音も匂いもなく、空気は泥濘のように重く凝り、息苦しい。
遊具の佇まい、砂場に残った玩具や小さな足跡――それらは、昼間の賑わいの余韻ではなく、停滞の予兆を感じさせる。
公園の端に、ひとりの少女が立っていた。白い服の裾が、風もない空気の中でゆっくりと波打つように揺れていた。夕闇の逆光が顔を覆い、輪郭がぼんやりと滲んでいる。
結衣はその姿を“知っている”と思った。懐かしさにも似た痛みが、胸の奥で静かに疼いた。
少女の唇が動く。しかし、声は聞こえない。
その微かな動きだけが、水面に投げ込まれた石のように、静止した空気の中に小さな波紋を描いては消えていく。
結衣は息を止めて、その口の動きを見つめた。何かを呼びかけているのに、どうしても聞こえない。何度も、何度も、聞き取ろうとするが、目を凝らし耳を澄ますほどに、光も音も遠ざかっていく。
世界が無音の暗闇に閉ざされていく中で、胸の奥には得体の知れない焦りだけが残った。
――そして、目を開ける。
現実の音が、やけにはっきりと聴こえた。カーテンの隙間から夜明けの光がこぼれ、空気の粒子がゆっくりと漂っている。
遠くを走る車の音がかすかに届き、壁の中から一定の低い機械音がくぐもって唸っている。
そういう雑多な音が、ゆっくりと結衣の皮膚の上をなぞり、身体の感覚を少しずつ呼び覚ましていく。
喉が乾いていた。指先は冷たく、髪の毛が頬に張りついている。それでも、心の中心はまだあの夕闇の底に取り残されたままだった。
少女の姿が、まぶたの裏に焼きついて離れない。白い服。影に潰された顔。結衣を呼ぶように動く唇。
結衣はゆっくりと息を吐く。
「……あの子」
声に出した瞬間、胸の奥で何かが震えた。あの公園で遊んでいた頃、夕方のチャイムが鳴って、みんなが帰ったあとに現れた、あの子。
名前も、顔も、はっきりと思い出せない。けれど、あの夢の少女と重なった気がした。
忘れていた誰かが、長い時間の向こうから呼びかけてきたようだ。結衣は手を胸に当て、もう一度、小さく呟いた。
「……なんで、今になって」
窓の外で、小鳥が一声鳴いた。現実の感覚に馴れていくにつれて、夢の余韻がゆっくりと薄まっていく。
それでも部屋の片隅には、まだその名残が消えないでいた。
面白かったら評価を押していただけると、とても励みになります。




