第三話 早朝の湖畔で
結婚式と即位式という、ふたつの大きな儀式が終わった翌朝。
まだ身体は疲れているはずなのに、不思議と目が覚めてしまった。隣で静かに眠る貴方を起こさぬよう、私はそっと床を抜け出した。
夜着の上に透きとおるような薄手のショールを羽織り、裸足のまま庭へと足を運ぶ。宴の余韻がかすかに残る王宮の庭は、オアシスの湖に続いていた。湖面には朝靄がかかっていて、それはまるで夢の続きのように幻想的だった。
湖畔に腰を下ろし、私は貴方から贈られたアオサギの髪飾りを手に取った。三枚の羽根が金糸と銀糸で結ばれ、根元には金細工の小さな飾りがあしらわれている。それを髪に差してみたり、手の中で眺めたり──まるで、目に見える“幸せ”がそこにあるようで、胸が満たされた。
ふと、私は古い恋の歌を口ずさむ。王家の姫と隊商の若者が、善意に踏みにじられ、若者は砂漠に果て、姫は湖に身を沈めたという悲恋の物語。けれど、その旋律は好きだった。悲しいはずなのに、どこか優しくて、静かな願いが込められているようで。
「王妃様」
突然の声に、私は思わず振り返った。手にしていた髪飾りが、砂に落ちてしまう。
振り返れば、そこにいたのは──西の大国の使者。黒い衣に身を包み、護衛の兵を連れていた。
彼は静かに髪飾りを拾い上げ、丁寧に砂を払ってから、私の前に差し出した。
「心地よい朝でしたので、湖畔を散策しておりました。早朝の冷気が、旅の疲れを忘れさせてくれます」
そう言って、使者は恭しく頭を下げる。私も慌てて足を引き、膝を折り、頭を下げた。
「……ええ。朝靄がかかるこの時間は、特に神秘的で……風も、とても気持ちがよいですね」
使者は、ふわりと目を細めて微笑んだ。けれど──昨日の宴で感じた、あの血の匂いは……もうなかった。不思議と、祖父のように優しくさえ思えた。
そのとき、足もとがふっと揺れた。ほんのわずかに、大地が震える。
使者は周囲を見回し、眉をひそめる。
「……半年ほど前、北の山で大きな地震があり、多くの命が失われたと聞いております。今のような小さな揺れは、その余波かもしれません。けれど、ここは安全です。どうぞご安心を」
「……そう、でしたか。ありがとうございます。丁寧にご説明いただけて、安心いたしました」
そう言って、私はもう一度頭を下げ、静かにその場を後にした。
──けれど、私の背後で小さな囁きが交わされていたことを、私は知らなかった。
「将軍、地震の件は……」
「知っておる。王妃殿が、どれほど把握しておるかを確かめただけじゃ。……賢く、美しき王妃よ。これから先、つらきことが続くじゃろう……すまぬのう」
その午後、使者たちは静かに国を発ち、西の大国へと帰っていった。
そして、貴方は政務に取りかかった。民がよりよい暮らしを得られるように、貴方は全力を尽くす。
隊商たちの要望を聞き取り、実行に移す。次に彼らが来たとき、それが叶っていれば、この国はもっと栄える。良い噂が、風に乗って広まっていく。
──この国は小さな国。けれど、貴方の努力が、それを支えている。私はそんな貴方を、心から誇りに思っている。