第二話 王子と少女
第二話 王子と少女
あの国は、小さなオアシスを中心にしていた。
それが、私と貴方の国──たったひとつの、私たちの世界。
王がまだ王子であり、私がただの少女だった頃。
私たちは、ほかの子どもたちと同じように、一日中走り回っていた。
畑を耕し、水路を掃除し、果物をもぎ、汗をかいて笑い合った。
暑くなれば水路で泳ぎ、寒くなれば母屋の中で、毛布にくるまりながらおしゃべりをした。
けれど、少しずつ大人になるにつれて、貴方は剣を持ち、歴史と外交を学ぶようになった。
私も布を織ること、西の言葉、礼節や作法を覚えた。
けれど、私たちはそれでも時間を見つけて会い、互いの習ったことを教え合った。
私の王子は、何でもできる人だった。けれど貴方は、私の教え方が好きだと言った。
私もまた、貴方の話し方や言葉の選び方が好きだった。
そうして、私たちは少しずつ、心の奥に何かを育てていったのだと思う。
やがて、霧の立ち込める湖畔で、散歩という名の逢瀬を重ねるようになった。
歩いて、語って、笑って、時に言い合いもしたけれど──いつだって、すぐに笑顔に戻った。
その時間が永遠に続けばいいと、何度も願った。
父王が退き、貴方が王となった時、私は誇らしくも少し不安だった。
新しい王に、王妃という言葉がふさわしいかどうか、自信が持てなかったから。
そんなある日、貴方は湖のほとりで一枚の羽根を拾った。
青鷺の、夜明けの空を思わせるような羽根。
貴方はそれを大切に持ち帰り、やがてまた、いくつも集めはじめた。
私には何も言わずに。
数日後──貴方は、羽根で作られた髪飾りを差し出してくれた。
この国では、男が女に贈る初めての贈り物が、求婚の証になる。
その日、私は貴方の王妃になった。
私は帯を織った。
貴方の即位式の帯と、私たちの結婚式の帯と──二枚を。
織るたびに心が震えた。
私の手が、貴方を包むものになる。その布が、貴方を護ることになる。
その日を思い浮かべながら、私は微笑み、手を止めることなく糸を通した。
それが、私たちの始まりだった。
ある日、私は立ち上がろうとして、目眩に襲われ、そのまま倒れてしまった。知らせを聞いた彼は真っ先に駆けつけてきて、青白い顔をした私を見舞ってくれた。
目を開けて、最初に見えたのは──泣きそうな目をした彼の顔だった。
「心配した。君は、いつも無茶をするんだから」
そう言って、彼は私の手をぎゅっと握った。私は、どうしても帯を間に合わせたかったの。だから、微笑んで応えた。
「大丈夫よ。少し疲れただけだから」
そう言って身を起こしたとき、自分の身体の奥に熱が籠っているのを感じた。その頃から、私はよく倒れるようになっていた。
彼は心から私を案じて、隊商に丈夫になる薬を頼んだり、遠い異国の医師に手紙を送ったりしていた。隊商が持ち帰ってくる「効く」とされる薬も試したけれど、なかなか効果はあらわれなかった。
それでも──私は彼を愛していた。
ようやく織りあげた、結婚式用と即位式用の二本の帯を手に、私は彼と結婚した。国をあげての祝賀の中、私は幸せでいっぱいだった。国は穏やかな平和に包まれ、作物は豊かに実り、そして隣には、最愛の彼がいる。
こんなに幸せでいいのかしら? と、ふと心が揺れたとき──彼は微笑みながら、そっと口づけしてくれた。
次の日は即位式だった。昨日以上の賓客が集まり、遠い異国の使者も来ていた。
「あの方は、西の大国の使者だよ」
彼は苦笑しながら、小さな声で私の耳元に囁いた。その使者は、大きな体に黒い装束をまとい、腰には血の匂いが漂ってきそうな大きな刀を帯びていた。
穏やかな微笑みを浮かべていたけれど──私はなぜか、とても怖かった。




