第1章
袋小路から抜け出せない。
大袈裟ではないかと思われそうであるが、私にとってはそう形容したいような体験であった。当時の記憶の中でも思い出したくもないシーンが、なぜかフラッシュバックとして私の脳裏に時々現れ、あれから相当な月日が経った今も私を苦しめているのである。
そもそものきっかけは自宅でネットサーフィンをしていて、偶然目にした「抽選で限定七名募集!風光明媚な島への格安ツアー」という文句に惹かれ、その広告をクリックしてしまった事であった。詳しい行き先は書かれていなかったが、冗談みたいな料金で風光明媚な島まで旅行に行けるらしかった。幾つかのアンケートに答え、個人情報を入力し、応募ボタンを押す―寝る直前の眠い状態だった事もあり、私はこれらの作業を驚く程軽い気持ちでしていたのである。今考えると背筋が寒くなる。
後で分かった事だが送信された情報をもとに、我々は慎重に選ばれていたのである。しかしそうとは知らない私は当選通知の受け取りを降って湧いた幸運として喜んでいた。それがどういう事態をもたらす事になるとも知らず―。
集合場所として指示されていたのは利用者があまり多くない郊外の空港であった。聞いた事もない旅行会社のツアーとはいえ、こんなひっそりと行われるものなのか―今思えばこの時点で気がつくべきだったと思う。しかしあの時の私は特に疑念を持つ事もなく、出発日が来るのをただ心待ちにしていたのである。
「ええと……何処かな」
洋史は参加者の集合場所を探し続けていた。事前に郵送されてきたツアーの案内状には「〇〇空港の出発ロビー」とだけ記載されていて、具体的な位置までは書かれていなかった。初めて来る空港なので何処に何があるのかも分からず、洋史はターミナルビルの内部を歩き回っていた。
「あ、あれかな」
出発ロビーの端の方にそれらしき一団がいるのが洋史の目に入った。その中の一人、スーツ姿の男がボードを掲げていた。近づいてみると「風光明媚な島へのツアー御一行様」の文字が見えた。
(ここだ、間違いない)
そう確信した洋史はスーツ姿の男に歩み寄った。
「あの、すいません。僕、ツアーの参加者なんですけど」
洋史はそう告げて案内状を提示した。
「はい、お待ちしていました。失礼ですがお名前は」
洋史が話しかけると男はボードを下げた。その裏にリストを重ねてあるのが見えた。
「洋史です」
「洋史様と……こちらへどうぞ」
男は取り出したペンで洋史の名前にチェックを入れると、後方を指し示した。その先には他の参加者達が待機していた。
「あ……よろしく」
洋史は小さな声でそう言って会釈したが、返してくれたのはそこにいた五人のうち二人だけだった。あとの三人は無愛想なのか気がつかなかったのか、明確な反応を示してくれなかった。やや当惑しながらも洋史はその一団に加わった。
「あと一名です。もう少々お待ちを」
スーツ姿の男はそう言うと、再び踵を返してボードを掲げ始めた。
(でも良かった。最後の一人じゃなくて)
集合時間ギリギリに到着したので皆さんを待たせていたのではないかと内心思っていた洋史はそれを聞いて安堵感を覚えた。気持ちに少し余裕のできた洋史は改めて他の参加者達を見回してみた。よく見ると様々な年代の人々が集まっていた。皆一様にやや落ちつかない様子で、時折視線を周囲に振り向けていた。
「やあどうも。お待たせしました」
洋史がその声のする方向に目をやると、恰幅のいい中年男性が歩いてくるのが見えた。彼は半袖シャツにハーフパンツという軽装で、大きなバッグを携えていた。
「沖也様ですね」
「そうだ。ファーストネームで呼び合う事にしましょうっていうこのツアーの趣向、なかなかユニークだね」
そんなやり取りが洋史の耳に微かに聞こえてきた。そして沖也が一団に加わるとスーツ姿の男は全員を見回し、徐にこう切り出した。
「これで全員揃いました。皆様、この度はわが社のツアーをご利用頂き、誠にありがとうございます。私は現地までの添乗を仰せつかった者です。どうぞよろしくお願いします」
添乗員だと名乗った男はボードとリストを足元にあったバッグにしまい込むと、代わりに紙片の束を取り出した。
「それでは搭乗券をお渡しします。名前を呼ばれたら取りに来て下さい……まずは琴瀬様」
「はい」
癖毛の中年女性が前へと進み出た。琴瀬は笑顔で搭乗券を受け取った。
「次に美海様」
「私ね」
小柄な体に大きな瞳が印象的な若い女性がその後に続いた。
「渚様」
「はい」
家庭的な感じの若い女性が前へ進み出て搭乗券を受け取った。
「沖也様」
「はいはい」
先程の中年男性が陽気に返事をすると前へ進み出て搭乗券を受け取った。
「礁様」
「はいよ」
洋史よりは年上らしい若い男性が声を上げた。礁は足早に添乗員に歩み寄ると搭乗券を受け取った。
「灯太様」
「儂の番だな」
奥の方にいた年配の男性が前へと進み出た。渡は受け取った搭乗券を見ると怪訝そうな表情をしながら踵を返した。
「最後に洋史様」
「あ、はい」
名前を呼ばれた洋史は添乗員から受け取った搭乗券を確認してみた。
(搭乗券の名前はフルネームなんだな……え?)
飛行機の目的地欄を目にした洋史は動きが止まった。
(私有地?)
ツアーの募集サイトには「行き先は着いてからのお楽しみです」と書かれていて公表されていなかった。案内状にも具体的な目的地の表記はなかった。しかし搭乗券を見ればさすがに分かるだろうと思っていたが、そこには私有地という言葉が印字されていた。
(これって、何処なんだ)
洋史のそんな疑問などお構いなしとばかりに添乗員は改めて全員を見回すとこう告げた。
「それでは皆様、搭乗券のお名前に間違いがないかご確認をお願いします」
「名前は合ってますよ」
搭乗券を見つめながらそう言った後、灯太は顔を上げてこう続けた。
「でもこの目的地の私有地ってのは何処なんです?」
灯太の質問に他の参加者達も頷いた。彼等も同じ疑問を感じていたようだった。
「外国ではありません。我が国の領土となっている島です。だから今回、皆様にはパスポートは必要ないとお伝えしてあります」
「国内なのは分かってますよ……でもどの辺にあるんですか?何という島なんですか」
「それは着いてからのお楽しみという事で」
「もういい加減、行き先を教えてくれてもいいんじゃないですか」
渚が横から口を挟んだ。
「いつまで秘密にするつもりですか?何処へ行くのか出発前に家族に伝えておきたいんですけど」
「それは事前にお伝えする事はできないと、募集サイトの注意事項にも書かせて頂いた通りです」
「確かにあったわね。下の方に小さな字で」
美海は微笑みながら皮肉っぽく言うと、こう続けた。
「でももう出発なんでしょ?どうしてこの時点でもまだ秘密にする必要があるの」
「言われてみればその通りだな。もう教えてくれてもいいんじゃないかな、君」
顎に手を当てながら沖也も口添えした。
「僕も同感だな……それとも教えられない理由でもあるんですか」
洋史も真剣な表情で尋ねた。
「まあ皆様、落ち着いて下さい」
集まった視線を遮るように添乗員は掌を見せた。
「分かりました。そこまで仰るのなら、お伝えできる範囲でお教えしましょう。皆様がこれから向かわれる先は、然る富豪の方が所有する島でございます」
添乗員は手をゆっくりと下ろしながら話を続けた。
「その島はプライベートな保養地となっておりますので、不特定多数の人に知られたくないとの意向をお聞きしました。しかし今回特別に私共の会社が期間限定で使わせて頂ける事になりました。それでこの度のツアーが企画されたという次第です」
「ふうん……何だか出来過ぎな話にも聞こえるんだけど」
沈黙を守っていた礁も話に加わった。
「不特定多数の人に知られたくないんですよね。その所有者の方……でも七名なら構わないって事なんですか」
後ろの方にいた琴瀬も疑問点を口にした。添乗員は一瞬困惑したようにも見えたが、すぐにこう切り返した。
「皆様が不思議に思われる気持ちもご理解致します。本来であればこのようなツアーは実現不可能でした。実はわが社の社長がその所有者の方と個人的な面識があり、以前その島に招待された事があったのです。社長はその時からこのツアーの企画を温めていたそうです」
添乗員は口元に笑みを浮かべながらも、真剣な目付きで話を続けた。
「社長はずっとその島の借用を所有者の方にお願いしていました。それはなかなか叶いませんでしたが、最近になって『仕事で忙しくなり、暫くあの島には行けなくなった』という話を聞いて再度頼んでみたところ、条件付きで実現の運びとなったという次第です」
「それならどうして格安で参加者を募集されたんですか?富豪の方の保養地へのツアーなら、もっと高い値段で販売できたのではないですか」
洋史はその話を聞いて、ふと感じた疑問を尋ねてみた。
「いえ、その島には所有者の方の別荘はございますが、著名な観光名所や土産物屋がある訳ではありません。そして所有者の方は『スタッフとツアー参加者以外への公開は極力控える事』を条件にされましたので、島の長所を写真付きでアピールする事もできませんでした。そうなると高い料金設定にするのも難しくなります。ならばいっその事、格安ツアーとして売り出そうという事になったのです」
「そうですか……でも出発直前になっても行き先を教えてくれないなんて、不安になりますよ。何処へ連れて行かれるんだろうって」
渚の言葉に何人かが同意するように頷いた。
「胡散臭いという意味でございましょうか?でも現に皆様はこうしてこの空港までお出で頂いたではありませんか」
添乗員の言葉に参加者達は返答に詰まった。
「私共のツアーが信用できないと思われるのでしたら、ここでキャンセルして頂いても結構です。希望者のみでツアーを行いたいと思います。仮に希望者がおられない場合はツアーは中止させて頂きます」
「キャンセルの場合は振り込んだ旅行代金は返ってこないという事ですよね……」
琴瀬が念を押すように尋ねた。
「当日キャンセルという事ですので、そのようになります」
出発の前にはそのようなやり取りが行われた。結局我々は全員そのままツアーに参加する事になった。「キャンセルしたら払い込んだ旅行代金のみならず、この空港までの交通費も無駄になってしまう」という損得勘定からか、それとも「この旅行のために空けたスケジュールは急には埋まらない」という心理が働いたのか―いずれにしろここまで来たら引っ込みがつかなかったのではないだろうか。
その後添乗員に所用があるとの理由で、我々は暫しの休憩時間を与えられた。そして多くの者は空港内のカフェで最集合の時間まで過ごす事にした。この頃になると初対面の緊張感が解れてきた事もあり、参加者達は言葉を交わすようになっていた。良くも悪くも行動を共にする事になった者同士、お互いの身の上を確認したかった訳でもないだろうが。
「隣に座ってもいいかね」
洋史がカフェのカウンターでコーヒーを飲んでいると、灯太が話しかけてきた。
「ええ、勿論」
灯太は洋史の隣の席に腰掛けると持っていたカップを口に付けた。それを離すとこう口にした。
「君は確か……洋史君だったね」
「ええ、洋史と呼んで下さい」
「それじゃ洋史と呼ばせて貰うよ……ところで」
微笑みを浮かべると灯太は言葉を続けた。
「君も結構な物好きらしいな。こんな行き先がよく分からないツアーに応募したって事は」
その言葉に洋史は内心、機嫌を悪くしたものの、釈明するようにこう言った。
「まあ眠い状態だった事もありましてね……ただ僕も一応物書きをやってまして、自分の見聞を広める意味でも行ってみようかと思いまして」
「ほう、物書きっていうと作家か記者なのかね」
「いえ、フリーライターです。細々と仕事を貰って食い繋いでいる身分です」
声のトーンを落として洋史は答えた。
「そう言うあなた……ええと」
「儂は灯太だ。郊外で農家をやってる」
「そうですか。灯太さんはどうしてこのツアーに応募したんですか」
「まあ、息子に勧められたからだが」
「えっ」
「帰省してきた息子とくつろいでいた時に、『たまには旅行にでも行ってみたいもんだ』と口にしたんだ。そうしたら息子がネットでこのツアーの募集を見つけてな。それで息子にも手伝って貰って応募をしてみたんだ」
灯太の話に洋史は思わず聞き入った。
「当選通知を見た時は儂も驚いたよ。ちょうど仕事も一段落したので、思い切って参加してみる事にしたんだ」
「そうだったんですか……」
洋史は急にしんみりとした表情になった。
「まあ金を出したのは儂だが、息子からのプレゼントのつもりで楽しもうと思ってるよ」
灯太はそう言って笑顔を見せた。それから腕時計に目をやるとこう続けた。
「まだ時間はあるな……儂はちょっと電話をかけてくるよ」
「そうですか。ではまた」
灯太が立ち去ると洋史は荷物からメモ帳とペンを取り出した。
「なかなかいい話だ……一応メモしておくか」
洋史はそう呟くとメモ帳を開いて記入を始めた。
再集合時間の一分前。洋史が先程の集合場所へと来てみると、そこには既に五人の参加者達が集まっていた。
(またビリから二番目か)
洋史はそんな事を考えつつ一団に加わった。
「あとは美海さんだけですね」
添乗員がそう口にした。どうやらまだ来てないのは美海らしかった。間延びを感じた洋史は隣にいた渚に話しかけてみようかと思った。しかしその時、美海が歩いて来る姿が見えた。
「皆さん早いのね。私、時間通りに来たのに」
美海は一団に加わると苦笑しながらそう言った。
「何、皆せっかちなのさ。どういう島なのか早く知りたいのさ」
沖也の言葉に場の雰囲気が和んだ。直後に添乗員は参加者達に向けてこう告げた。
「これで全員揃いましたね。では皆様出発しましょう。こちらへどうぞ」
それを聞いて参加者達は添乗員が誘導する方向へと歩いていった。彼等は他の乗客とは異なるゲートを通過していった。
「あの、これって特別な経路なんですか」
琴瀬が不思議に思って尋ねると、添乗員は振り返ってこう答えた。
「ええ、搭乗する機体も所有者の方が若い頃に乗っていたというプライベート機を借用してあります。その機体まではバスで移動致します」
「そうですか」
そして彼等はターミナルビルの外へ出ると、待機していたバスへと乗り込んだ。揺られる事数分。やがてバスは空港の端に位置する駐機スポットへと到着した。
「あちらの機体です。皆様」
参加者達が目を向けるとそこにはジェット機ではなく、それ程大きくもないプロペラ機が待機していた。
「プロペラ機か。一度乗ってみたいと思ってたんだ」
礁が機体を見つめながら口にした。
「それでは皆様、どうぞお乗り換え下さい。なおお荷物はお預かり致しますので、必要なお手荷物を取り出した後、機体の脇にお願いします」
添乗員は笑顔でそう告げた。言われるまま七人はバスを降りてプロペラ機へと向かった。
「あの、席は好きな所に座っていいんですか」
機体に乗り込む直前、振り向いて渚が尋ねた。
「いえ、搭乗券に明記されている指定席へお願いします」
添乗員は営業スマイルのまま答えた。
(そういえばプライベート機って事は、これは演出用に用意したものなのか)
改めて搭乗券を見ながら洋史はそんな事を考えた。
「こんな少人数なのに融通が利かないんだな」
機体に乗り込む際に礁が呟いた。
「まあ考え方次第さ。席が決まってる方が気楽だろ」
苦笑しながら沖也が宥めた。
「そうだな。いい席の取り合いを避ける目的かもな」
灯太も口添えするように言った。思い思いの反応を見せつつも、参加者達はぞろぞろとプロペラ機へと乗り込んだ。最後に添乗員が乗り込むと彼は階段付のドアを閉め、皆の方へと向き直ってこう告げた。
「全員ご搭乗されましたね。それでは出発致します」
「あの、添乗員さんの席は?」
「操縦席です。私は副操縦士ですから」
一番前の席にいた礁の質問に添乗員はまたも笑顔で答えた。
「何しろ予算が限られてますから、私が何役もこなさなければならないんです。あ、心配なさらないで下さい。こう見えても私、飛行機の操縦経験は結構ある方でして」
呆気に取られている参加者達を後にして添乗員は操縦席へと消えた。
「やっぱりやめといた方が良かったかしら」
琴瀬が真顔で呟いた。
「もう遅いわよ。多分」
そう口にした美海の声をかき消すようにエンジンの音が響き渡った。
〝※※※〟
添乗員と管制塔との無線のやり取りが漏れ聞こえてきた。どうやら離陸許可が出たようだった。程なくして機体はゆっくりと前進を始め、滑走路へと向かった。
「皆様、シートベルトをお忘れなく」
添乗員のアナウンスが響いた。機体は滑走路に入ると向きを変え、徐に加速を始めた。流れてゆく景色。そして次の瞬間、浮揚感が彼等を襲った。
(飛んだ……)
兎にも角にも無事に離陸できた事を洋史は内心喜んだ。窓の外を見ると眼下には豆粒のような家や車が見えた。
(じっくり景色を見れるってのも悪くないな)
心の中で洋史は思った。やがて鳥瞰景色も見飽きた頃、海岸が見えてきた。そして景色は空と海だけの単調なものとなった。
(この景色についても一応メモしておくべきかな)
そう感じた洋史は手荷物用バッグからメモ帳とペンを取り出すと、思いついた表現を記入し始めた。
「あら……ねえ、何を書いているの」
声をかけてきたのは通路を挟んで反対側の席に座っていた渚だった。
「この飛行機からの眺めですよ。まあ旅行記みたいなもんです」
「そうなんだ。余裕あるのね……私はまずは無事に島に到着する事を祈ってるの」
「え?」
参加者達が様々な反応を見せる中、空の旅は続いた。
大海原の上空を飛ぶ事数時間。気がつくとプロペラ機は徐々に高度を下げていた。
「皆様、あの島でございます」
添乗員の声が聞こえてくると参加者達は前方へ目をやった。
「あれか……」
礁の声が上がった。暫くして他の者達の視界にも入ってきた。見えてきた島はそれ程大きくもないようだった。全体的に樹木が生い茂っていたが、その一角には灰色の長方形が伸びていた。それが徐々に近づいてきて、そのうちに体に振動があった。滑走路を滑るように走っていた機体は次第に減速を始め、やがて完全に停止した。
(何はともあれ無事に辿り着いたようだな)
洋史は心の中で呟いた。他の者達も似たり寄ったりな心境らしく、安堵の溜息が聞こえてくるようであった。添乗員は操縦席から出てくるとドアを開け、やや疲労感を滲ませた笑顔でこう告げた。
「到着しました……皆様どうぞ降りて下さい」
促されて参加者達はぞろぞろと席を立ち、順に機外へと向かった。
〝ヒュゥ〟
真っ先に降り立った礁が口笛を吹いた。小さめの滑走路の周囲には風光明媚な景色が広がっていた。
「凄いわね。これって所有者の方専用の滑走路なんでしょ」
周囲を見渡しながら美海が口にした。
「だろうな……その人が造ったのか、取得時点であったのかは分からんけど」
沖也も額に手を翳すと感心したように呟いた。先に降り立った者達が思い思いの感想を口にしている間、添乗員は機体から参加者達の荷物を取り出していた。
(この人は本当に働き者だな)
添乗員の働きぶりを見ながら洋史はそんな事を思った。
「どうぞ皆様、ご自分のお荷物をお確かめ下さい」
荷物を配り終えた添乗員はこめかみの汗を拭いながらそう言った。そして参加者達が頷いたのを見届けると彼はこう続けた。
「本日は我が社のツアーをご利用頂きありがとうございます。私の添乗はここまでになります。皆様の旅のご多幸をお祈り致します」
「えっ、添乗員さんはもう同行されないんですか」
やや驚いた表情で琴瀬が尋ねた。
「ええ。私には次の任務がありますので、ここで帰らせて頂きます」
「それじゃ私達はこの後、どうしたらいいんですか」
皆が感じた疑問を代弁するように渚が訊いた。
「皆様、あちらがご覧になれますでしょうか」
添乗員はそう言って滑走路の端を指し示した。そこには人物らしきものが見えた。
「この後の行程に関しましては、あれの指示に従って下さい」
「えっ、だってあれは……」
礁が焦った様子で滑走路の端と添乗員を交互に見た。しかし次の瞬間、添乗員は逃げるようにプロペラ機へと乗り込んだ。
「では皆様、お達者で」
添乗員はそう言い残すとドアを閉めた。程なくしてプロペラの始動が始まり、機体は遠ざかっていった。やがてプロペラ機は上空へと消えた。
「どうしたの」
礁の様子を不審に思った美海が尋ねた。
「え?あんたらはあれが見えないのか」
「あれは案内してくれる人なんじゃないの」
「行ってみれば分かるさ」
礁はそう言うと滑走路の端に向かって歩き出した。他の者達は不思議に思いながらも、ぞろぞろと彼の後をついて行った。
(もしかして……)
歩いていくうちに洋史は嫌な予感を覚えた。他の者達も薄々気がついた。目標物が近づいてくるにつれてその不安は現実のものとなった。
「やはりな……」
礁が呟いた。他の者達の目にもそれが人ではなく精巧に造られた人形である事が分かった。やがて人形の傍まで到着した彼等はそれを取り囲むようにして立ち竦んだ。
「どういう事なの」
眉間に皺を寄せながら美海が口にした。
「何の悪ふざけなんだこれは」
灯太も顔を引きつらせながら言い放った。
「なあ……これってもしかして、ドッキリ企画か何か?」
沖也は半ば冗談でそう言ったのだろう。しかしむしろそうである事を願うべき状況であった。いつまで経っても本物の人間が現れる気配はなかった。
「どうしたらいいの……私達」
琴瀬が嘆くように呟いた。しかし誰もその問いに答えられず暫しの沈黙が流れた。
やがて美海は思い出したように荷物を探ると、携帯電話を取り出して画面を確認した。
「私のは圏外ね……誰か携帯で連絡取れる人いる?」
美海の言葉を受けて携帯電話を持っていた者は電波の受信状態をチェックしてみた。しかし他の者達の携帯電話も圏外であった。
「携帯で助けを求める事もできない訳か」
灯太は腕組みをするとそう呟いた。
「どうなってるんだ?こんな所に俺達を置き去りにして何が楽しいんだ」
礁が少し興奮した様子で声を上げた。
「何が『この後の行程に関しましては、あれの指示に従って下さい』だ……こいつが何か喋るのかよ」
礁はそう言って腹立ち紛れに人形を小突いた。すると人形は横向きに転倒した。
「待って、それは何」
渚が何かを見つけたようだった。
「え?」
「それよ。ポケットの中……」
転がった人形の上着のポケットから何やら白いものが見えた。
「何だ?」
礁が取り出してみるとそれは手紙用の封筒だった。
〝ゲスト様へ〟
封筒の表にはそう書かれていた。礁がそれを開けてみると、中には手書きの大まかな島の地図が入っていた。滑走路らしき表記があり、島の反対側には建物のような形の印があった。
「む、この印は……」
地図を覗き込んだ灯太が呟いた。
「この場所へ行けって意味なんじゃないの」
美海が中腰の姿勢で口にした。
「ツアーのオプションにオリエンテーリングを申し込んだ覚えなどないんだがな」
沖也が苦笑しながら言った。その言葉に張りつめていた緊張感が若干緩んだ。
「見て。あの道じゃない」
琴瀬が人形の後方を指し示した。そこには林道の入口があった。
「あの道を行けって事ですよね」
洋史も視線を向けながら言った。
「行ってみましょうよ。とにかく」
渚の言葉に同意するように他の者達は頷いた。そして彼等は荷物に手をかけると、島の反対側へ向けて歩みを始めた。
その林道は海岸から数十メートルの距離に沿って造られていて、木々の間からは海が見えた。道幅は車が一台通れる程度とあまり広くなかった事もあり、参加者達は前後に長い集団となっていた。洋史は偶然琴瀬の隣を歩いていた。
「元気ないみたいね。体調でも悪いの」
浮かない表情をしている洋史に琴瀬が話しかけた。
「ええ、実はちょっと飛行機酔いしたみたいで……」
「気分が悪いのなら少し休んでいけば」
「いえ、歩けない程じゃないんで」
「そう。でも無理しないでね……私、具合の悪そうな人を放っておけないたちなの」
「優しいんですね。そういえばお仕事は何をされているんですか」
「最近転職したの。今は介護の仕事をしてるわ」
「そうでしたか……転職されたのは前の職場に不満があったんですか」
その質問を聞くと琴瀬は少し悲しそうな顔になり、やや間を置いてこう答えた。
「まあ……ちょっと暴力沙汰があって……それが理由の一つね」
「そうだったんですか……悪い事聞いちゃいましたかね」
「いいのよ。気にしないで」
琴瀬は笑顔を見せた。それを目にした洋史も笑顔を返さなければいけない気がして、微笑んでみせた。
時間の経過。そのうちに日が傾いてきたが、参加者達はまだ林道を歩き続けていた。
「結構距離があるみたいだな」
額の汗を拭いながら沖也が言い放った。
「もうどれくらい歩いているのかしら」
渚も顔に疲労感を滲ませながら言った。
「地図によれば、そろそろ見えてくるはずなんだが……」
先頭を歩いていた礁が呟いた。やがてその言葉の通り、彼等は林道を抜けて見通しのいい場所へと出た。
「あれか……」
島の反対側には美しい砂浜が広がっていた。そして砂浜に隣接する高台には立派な館が聳え立っていた。館の周囲には各種の草花が植えられていて、奥へと伸びる砂浜沿いには林が続いていた。
「さすがは富豪の保養地ね」
美海が思わず口にした。
「まさかあの別荘にはスタッフはいるんだろうな」
灯太が怪訝そうに館を見つめながら言った。
「どれ、こんな分かりづらい案内をしてくれたスタッフがどんな奴等か見に行こうぜ」
礁はそう呼びかけると館に向かって歩みを始めた。他の者達は潮風を受けながら彼の後をついていった。
程なくして彼等は館の前へと到着した。外壁は白を基調にしながらも所々に豪華な装飾が施されているという外観であった。
「頼むぜ。誰かいてくれよ」
礁は玄関へと近づくとそのドアをノックした。そして暫く待ってみたが、返事は聞こえてこなかった。人が現れる気配もなく、波の音が微かに聞こえるだけだった。
「開いてるんじゃないの」
渚にそう指摘されて礁がノブを回してみると、果たしてそのドアは開いた。
「ちわーす。俺達ツアーの客なんだけど」
礁が中に向かってそう呼びかけたが返事はなかった。玄関から見る限り館の内部にも人の姿は見当たらなかった。
「遥々やって来たってのに、出迎えもなしかよ」
礁は不平を口にし、構わず中へと入った。他の者達も彼に続いた。入ってすぐの部屋には家具はあまりなく、奥には階段とその裏側へと伸びる廊下が見えた。
「こんにちはぁ。私達、『風光明媚な島へのツアー』で来たんですけど」
渚も声を上げた。しかしやはり返事はなかった。
「どういう事?これ。何のプレイなの」
美海が不満げに呟いた。
「放置プレイってやつじゃないの」
礁が吐き捨てるように言った。
「ねえ、あれ見て」
琴瀬が指差した先には階段の一段に置かれていた矢印型のプレートがあった。それは上方を指し示していた。
「二階へ行けって事か」
洋史がそれを見つめながら言った。
「また誘導するのか……」
沖也がうんざりした表情で口にした。
「ゲームならそろそろ終わりにして欲しいものだな」
灯太が呆れたように言い放った。参加者達は口々に悪態をついたが、指示に従う以外に選択肢はなさそうだった。彼等はぞろぞろと階段を上っていった。
「ここにもあるぜ」
礁の言葉通り階段の上にも矢印型のプレートが置かれており、それは一つの部屋を指し示していた。彼等はその前へと進んだ。
「ここなのか?ゴールは」
礁がドアをノックしたが、やはり返事はなかった。
「構わないから入っちまおうぜ」
沖也にそう促されて礁はドアを開けて中に入った。他の者達も彼に続いて入室していった。
その部屋は居間であるらしかった。右側寄りにローテーブルが置かれ、それを囲むように二人掛けのソファが三つあった。また左側には本棚などの家具が設置されていた。参加者達は物珍しげに部屋中を見回していた。その時であった。
〝プチッ〟
右側の壁際に設置されていたテレビの電源がひとりでに入った。驚いて視線を向けた彼等の目に、更に驚くべき映像が映し出された。画面には顔の大部分を隠すセット越しにいる一人の男の姿が浮かび上がってきたのである。
「こんにちは」
呆気に取られている参加者達に男は語りかけた。
「誰だ……あんた」
礁が思わず口走った。
「私はこの館の支配人です。以後お見知りおきを」
男はそう答えた。よく見るとテレビの上部に小型のカメラとマイクが設置されていて、こちらの様子が男のいる場所―コンクリート剥き出しの部屋へと伝わっているようだった。
「支配人って……」
琴瀬が表情を硬くして口にした。
「あ、あの……私達ツアーでこの島に来た客なんですけど」
渚が緊張した面持ちで話しかけた。
「ええ。皆様の到着をお待ちしておりました。ようこそお出で下さいました。私共一同、心より歓迎致します」
「歓迎されてるようには思えないんですけど……」
美海が気丈にそんな感想を口にした。
「いえいえ。皆様はこの館はもちろん、この島にあるもの全てをご利用頂いて結構ですので。申し訳ありませんが食事の用意等はセルフサービスとなっておりますが」
その言葉に参加者達は唖然とした。暫しの沈黙が流れたが、それを破るように沖也が声を上げた。
「おい、どういう事なんだ」
「どういう事と申しますと」
「我々は客だろ?どうしてこんな扱いを受けなきゃならないんだ。ここに来るまでだって、まるでゲームみたいな真似を……」
「いえ、あれはただの誘導に過ぎません。楽しいゲームの時間はむしろこれからです」
「おい、ふざけるのもいい加減にしてくれ!」
礁が声を荒げて叫んだ。
「俺達はゲームをしにこの島に来た覚えはないぞ。こんなツアーだとは思わなかった。俺はもう帰るから、帰りの飛行機を用意してくれ」
「申し訳ありませんが、皆様は私共が用意したゲームが終了するまでは帰宅する事はできません」
「何だって?」
「ツアーの募集サイトの注意事項にも記載してあったはずです。『ツアー日程中の途中帰宅の申し出はお受けしかねます』と」
「そんな馬鹿な……」
「確かにあったわね。下の方に小さな字で……どういう意味なのかと思ったけど」
美海が顔を引きつらせながら言い放った。
「それじゃ何かね?我々はゲームをクリアする必要があるって事なのかね」
灯太が皮肉っぽい口調で尋ねた。
「ええ、クリアされた場合はツアーの日程は消化したとみなされ、お帰り頂けます」
その返答に参加者達は信じられないといった顔付きになった。こんな要求など無視したいと誰もが思った。しかし勝手が分からない場所に来ている自分達の現状を考えると、これを受け入れるしか選択肢はないように思われた。
「それで、ゲームって何なんですか」
渚が開き直ったような面持ちで質問した。
「なに、簡単な事です。皆様にはある謎を解いて頂きたいのです」
「謎……って言いますと?」
琴瀬が詳しい説明を求めた。
「実はここにお集まりの皆様にはある共通点があります。皆様自身の手でそれを見つけ出して下さい。それができましたなら先程の空港まで送り届けて差し上げましょう。但し―その時点で残っている方だけを」
その言葉を聞いた参加者達は体を硬くして身構えた。
「それは……どういう意味ですか」
洋史が顔を強張らせながら訊いた。
「おや、ゲームの説明が理解できませんでしたか。ではもう一度……」
「ゲームの内容は分かりましたよ。最後の部分はどういう意味なんですか」
洋史は必死の形相で食らいついた。
「それはいずれお分かりになると思います」
支配人がそう答えるとその場には不穏な空気が流れた。表情ははっきりと見えなかったが、不敵な笑みを浮かべているように参加者達には思えた。
「あの……質問いい?」
美海が小さく手を挙げながら言った。
「はい、何なりと」
「それで答えが分かったら、ここに来てそれを言えばいいの」
「いえ、ここでなくても結構です」
「それはどういう意味?」
「この島のあちこちにはカメラやマイクが設置してあります。島の何処ででも大声で叫んで頂ければ、恐らく我々に伝わると思いますので……また一部の場所にはスピーカーも設置させて頂きました。時々音や声が聞こえる事もあるでしょうが、これもゲームを盛り上げるための演出であるとご理解願えればと思います」
その言葉を聞いた参加者達は背筋が寒くなるのを感じた。全ては入念に準備されているようであった。
「なお誠に勝手ながら皆様がゲームに集中できますように、この島では皆様の携帯電話の電波は停止させて頂いてあります」
支配人の用意周到ぶりに参加者達は返す言葉を失った。
「他に質問はございませんでしょうか……なければゲーム開始とさせて頂きます。では皆様、ご健闘を」
支配人がそう言い残すとテレビの画面は消えた。再び沈黙の時間が訪れた。
© Inaba Takahiro 2011
全体の1/6程を投稿しています。続きを読んでみたいという商業出版社の方からのご連絡お待ちしています。登場人物名が違うバージョンがありますが、作者的にはあちらの方を推しています。