ただ貴方を愛していたから
私は貴方のことが好きでした。
王国の貴族達が貴方のことを使い潰しの野蛮人だと嘲笑っても、民に貴方が魔物を狩る狂戦士として恐れられても、私の中の貴方は私を助けてくれたあの日の優しい騎士様のまま、私の英雄で、憧れで、初恋の人でした。
騎士様がご婚約されたと聞いたときは動揺しましたし、悔しくも感じましたし、それでも、貴方が幸せそうな笑みを浮かべて相手のご令嬢を見つめている姿を見たときは、貴方が幸福であるのなら、それは私の幸福でもあると感じ、恋心を諦めるきっかけにもなりました。
だから私は恋とは別に、私を救ってくれた貴方の姿を目標にして、貴方と肩を並べて民を守る騎士となるために、貴方を少しでも守れるようにと頑張ってこれたのです。
ー・-・-・-・-
「ケリーナイト団長、周辺の魔物の掃討完了しました」
魔物の返り血で銀の鎧を赤黒く染め、大型の魔物の亡骸に腰を下ろしていた貴方に近づき報告を上げる。
「被害は?」
抑揚のない低い声で問う貴方に私は言葉を返す。
「我が隊の騎士の中に軽症者は数人出ましたが、作戦行動に支障が出るレベルではありません。すでにポーションによる処置も完了し、今は撤退準備にかかっています。要請があった村にも大きな被害は無いです」
「そうか。ご苦労だったな、メイヤーズ副団長」
私が運命を感じたあの日から十五年が経った今、二十四歳になった私と四十歳を過ぎた貴方との関係は、王直轄の対魔物戦特化騎士団『黒獅子騎士団』の副団長と団長の関係となっていた。
通常の騎士団とは別枠で設置されたこの騎士団は、その名の通り魔物を討伐することだけに特化していて、隊員たちはみんな騎士団の中でも問題児だった荒くれ者ばかりで、狂戦士と呼ばれるバーレット・ケリーナイト団長をトップに、その補佐の副団長をこの私、クレア・メイヤーズが担っている。
大きな熊のように筋肉でガチガチな巨体に、オシャレさなど微塵も感じさせない黒髪を短く刈っているだけの武骨な団長。
鍛えてはいるけれど小柄で戦士としては頼りない体型で、まだ幼さが残り、騎士になるまではしっかりと手入れしていた黄金色の長い髪をかるく縛ってまとめている私。
そんな二人だから、他の騎士達からは『美女と野獣』『凶悪犯と人質』『圧倒的凸と凹』など、嬉しくもなんともないような呼ばれ方もしている。
侯爵家の次女だった私が騎士を目指すには周囲からの反対が強かったけれど、それでも折れずに剣術の訓練も魔法の訓練も怠らず、目標に向かって努力する姿を見せ続けたことで家族も許してくれて、王立学園を卒業後には無事に騎士団に入団することができた。
騎士様と並び立つスタートラインに立てたことに喜びの気持ちを抱いていたそのとき、すでに彼は最愛だった婚約者を魔物に殺され、魔物に対して強い憎しみを持ち、黒獅子騎士団の団長として日々戦い続けていた。
先輩騎士から教えられてそれを知って私は何も騎士様に言えなかった。
騎士の訓練施設ですれ違った騎士様は、出会ったときの穏やかで優しい空気は無く、周囲の人間への無関心と強い悪感情を纏っているように見えた。
だからだろう。
私は騎士様が、ケリーナイト様がこれ以上壊れないようにと黒獅子騎士団への参加を希望した。
貴族令嬢の戯れだと、小娘の遊びだと侮る団員達は全員男性で、数少ない女性騎士の団員は私を甘ちゃん扱いしながらも守ってくれた。
だから私は私の気持ちを女性隊員に伝えて、なりたい者になるための戦いを続け、侮っていた男性団員達にも認められるように戦いと補助を続けた。そして入隊して三年が経ち、当時の副団長が負傷のため前線から下がるタイミングで多くの団員達から推薦されて副団長に着任した。
ケリーナイト様は私のことを気に掛けてくれる様子はないし、私を自分が昔助けた少女であることにも気づいてはいなさそうではあったけれど、決して侮らず、見くびらず、対等に接してくれた。不愛想で言葉数も少ないけれど、事務作業中や戦闘後などふとしたタイミングでの気遣いがあったりして、彼の本質は変わっていないことを感じられた。
三年副団長として団長を補佐し、まるで死にに行くように大型の魔物や特定危険指定個体へ単独で戦い続ける団長が少しでも生きて帰れるように剣と魔法を駆使してサポートし続けた。
この日はいつもと様子が違った。
魔物によってすでに村が一つ壊滅し、その村を巣にするかのように居座っているという報告が流れてきた。偵察部隊からの情報で、ボスとなるような大猿の魔物が一匹と、小さな猿の魔物が数十匹群れを作っているというのだから質が悪い。集団が統率されているのなら多少の知恵を持っている可能性だってある。
村人の生存は絶望的。
団長は王からの出撃命令を受けて、団員達は準備に駆け回る。
私も今回は嫌な汗を背中にかくのを感じて、いつもより念入りに準備にかかり、隊員達にも普段よりも回復薬を多く持つように指示を出した。
知能があるのなら騎士団が分断される可能性もある。
作戦を考え、隊員の生存率が高くなる方法を頭の中で整理する。
「遠距離からの波状攻撃によってまずは小猿の魔物の数を減らします。偵察部隊によると村人の生存は絶望的。よって、炎系統魔術などの広範囲攻撃魔法の使用も許可されています。小猿が減ったらフォーマンセルで残存の魔物の掃討を行います。ボスの大猿は団長を中心に討伐を行います。相手は知能を持っている可能性もあります。決して孤立させられないように十分に注意してください。―――団長」
「あぁ。出撃だ」
作戦は順調だった。
多数いた小猿の魔物は全て討伐し、残るは大猿のみ。
私の支援魔法で身体能力と武器の攻撃力が強化された団長がその巨体を蹂躙するかのように手にした大剣を振るって、その文字通り滅多切りにしていた。
血飛沫が辺りを赤く染め、その赤くなった地面に倒れ込む大猿。喉を斬られた所為で断末魔を上げることもできず、ただ沈んでいく。
討伐も一段落し、大猿の近くで団長と事後処理の話をしているとき、僅かな違和感をその場に感じた。
何か見落としているような。重大な何かを。
しかし、小猿は全て討伐。村周辺に魔物の気配は無いし、偵察部隊も敵影を確認していない。大猿もすでに息をしていない。
話が一段落して団長が私と大猿に背を向けて歩き出した瞬間、ゾワリとした悪寒が背筋を奔り、私は直感的に大猿の方に振り向いた。
口元が笑っていた。
すでに動き、団長を強い殺意を孕ませた瞳で見据え、攻撃行動に入っていた。
「団長っっっ!!!!!」
全力でタックルして団長の大きな体を大猿の軌道から外し、詠唱を省略して無理矢理発動した防御魔法を私と団長両方に―――と思ったが、守るべきは団長であると判断して団長だけを守り展開。そして、次の手を考える間もなく私の腹を大猿の鋭い爪が貫いた。
痛い。苦しい。痛い。辛い。痛い。熱い。痛い。寒い。
あぁ…………。
私、ここで死ぬのかな…………。
大猿がつまらなさそうに爪を引き抜くのと同時に私の体は地面に投げつけられ、打ちつけられる衝撃が全身を襲う。
視界の端で団長が何かを叫びながら大猿を斬り刻んでいき、仮死状態を許さないかのように首と胴体を断ち切っていった。
よかった。団長は、騎士様は無事だった。
私は貴方のことが好きでした。
貴方には今も忘れることができない亡き人である想い人がいるということを知っていても、その気持ちは変わらずに、ただ、貴方を横で支えられる存在になりたいと望みながら、今日まで貴方の横に居させてもらいました。
死に急ぐような戦い方と身の削り方が、貴方を壊してしまわないように、戦場で私は貴方を後ろから支えることしかできませんでした。
それでも、私よりも長く生きていて欲しかったから。
決して結ばれる想いでなかったとしても、今貴方を守って死ねるのなら、これも、まぁ…………悪くはないのかなって、そう、思った。
ー・-・-・-・-
暗い暗い真っ暗な闇の中。
ポツポツとぼやけた光と絵画のように浮かび上がるいつか見た情景が辺りを囲む深い想い出の海を潜り続けていると、騎士様が誘拐されていた私を助けてくれたあの日の記憶に辿りつく。
当時メイヤーズ侯爵家と敵対していた派閥の貴族が警告と嫌がらせ目的で企てた誘拐事件。当時まだ幼かった私が狙われ、数日誘拐犯のアジトになっていた貴族の館の離れで泣き暮らすことになったのを、今でも覚えている。
だけど悪事は明るみになるもので、たまたま聞き込みをしに来ていた騎士様が、私の泣き声に気付き、貴族の制止を振り切って私を見つけ出してくれた。力強い剣技で誘拐犯達を無力化し、騒ぐ貴族を当て身で気絶させるその姿は、まるで英雄のようだった。
そして、怖くて泣いていた私に優しく手を差し伸べて立たせてくれた騎士様は、お日様のような温かさで私に微笑みかけてくれて、涙を手で拭ってくれた。
このとき私は恋に落ちた。
だから侯爵家の令嬢としての生き方を選ばず、自分で騎士様の側に居たいという生き方を選んだ。自分で選んだこの道を後悔なんてしていない。ずっと一途に。ちょっと重いかもしれないけれど。
そういえば、死ぬ前に見る記憶のことを『走馬灯』と呼ぶって何かの本に書いてあったことを思い出した。
どうせ死ぬなら、当たって砕けろの勢いで、団長に、バーレット・ケリーナイト様に告白くらいしておけばよかったと、今になって後悔してしまう。
生まれ変わって、もしまた人間になれるなら、次は好きな人には好きとちゃんと言うようにしようと心に誓った。
「団長、ちゃんと休んでいますか?」
「………………大丈夫だ」
話し声が聞こえた気がした。
「大丈夫って……。団長、もう一週間も碌に寝ていないじゃないですか。彼女のことが心配なのはわかりますが、団長だって――――」
団長は、何か無理をしていたのかな。
婚約者のご令嬢が亡くなったときって、こうだったのかな。
「彼女がこうなったのは俺が気付かなかったせいだ。……俺はまた…………」
団長の落ち込んだような声は初めて聴いた。凄く後悔しているような声で、聴いている私が辛くなってくる。
「そう思う気持ちはわかりますが、このままでは団長の身が持たなくなります。そんなの、副団長だって望んでいないですよ。それに彼女は―――」
そう思う。私の気持ちを言ってくれている人に感謝したいくらいだ。
私ではもう、伝えることも支えることもできなさそうだから。
「わかっている、わかっているさ!!彼女が、メイヤーズ副団長が俺を支えてくれていたってことも、彼女が俺のことを想ってくれていたその気持ちも!!なのにこの現実はどうだ!?俺は彼女に守られて、彼女を守ることすらできなかったんだ!!今俺にできることなんて、……………………もう、彼女が目を覚ましてくれることを祈り願うことくらいしかできないんだ……………………」
団長の弱気な言葉。
私が守りたかったのは団長の心だったのに、私は、団長を苦しませてしまっていた。
なんて独り善がりだったんだろう。
団長が不愛想だったのは、誰かと親しくならないようにするため。そうじゃないと、何かあったときに心が持たなくなるから。婚約者を亡くしたときのように。優しい騎士様だったからこそ。
伝えたい。心から。
『どうか私のことで苦しまないで』と。
『団長と一緒に居れた日々は、私にとっての宝物だったから、それだけでも嬉しかった』と。
『だから、自分を責めないで』と。
真っ暗な中で、自分がどこに居るのかも定かではないけれど、団長がすぐそばにいてくれることは感じられた。
だからそのすぐそばにもっと近づきたくて。
聴こえてきた声が幻ではないのなら、いつものように名前を呼んで、安心してもらいたくて。
「…………聴きたい…………。もう一度彼女の、クレアの、声を…………」
近いのに近くない。
遠くないはずなのに、全然違う場所から聞こえるような声に、私は胸を締め付けられるような痛みを感じ、強く目を閉じた。
それからどれだけの時間が経ったのだろう。
あれから団長の声も聞こえなくなった。
何もない暗い無の空間でただ彷徨っているだけの私は、きっとこのまま消えてしまうのだろう。
神様が一瞬だけくれた温情があの声だとするのなら、何て残酷なんだろう。
想い人が、愛している人が苦しむ声だけを聴かせるなんて。
『あなたはまだ、こちらに来てはいけませんわ』
頭の中に直接聴こえてきた声は、物静かな女性の声だった。
『あの人が待っていますわ。こちらに来て下さいな』
誰かに手を握られるような感覚に、体を引っ張られていくような錯覚。
『私の分まであの人をことをお願いします。クレア・メイヤーズさん』
『…………あなたは?』
『私はあの人を―――愛していました―――。―――テぁ―――』
聞き取れるようで聞き取れなかった言葉を最後に、私は自分の視界に僅かに滲む光を感じた。
光が眩しく感じすぎて、うっすらと、少しずつ、ゆっくりと瞼を上げていく。
喉が渇いた。
部屋が明るく感じて目が辛い。
左手に何かを感じる。
大きくて、ゴツゴツしていて、温かくて。優しく手を握ってくれている誰かを。
「…………団長…………」
視線を横に移し、そこに居る彼のことを小さくかすれた声で呼ぶ。頭がボーっとする。どれだけ私は眠っていたのだろうかと不安になる。団長と誰かの声が聞こえたときは一週間と言っていたことを思い出すと、少なくともそれ以上は眠っていたのだろう。
「ずっと、居てくれたんですね…………」
疲れているのか、団長は瞳を閉じて浅い寝息を立てていた。それなのに、私の手を離そうとはしないことに、私は少しだけむず痒く、そして、恥ずかしくなっていく。
「無事でよかったです、団長」
団長は少し疲れているように見えたが、怪我などはしていないように見えた。あのとき私はちゃんと団長を守れていたのだとわかると、それだけで達成感がある。
「…………ただいまもどりました…………」
その一言を口にした後、強い疲労感から、私はまた少し眠りについた。
ー・-・-・-・-
あれからしっかりと意識を取り戻して念入りに検査や診察を受けた後、私は黒獅子騎士団へと戻った。私が眠り続けていたのは大体ひと月だった。その間、団長は騎士団の仕事があるとき以外は全て私の病室につきっきりだったらしい。
それを団員達から聞かされた私は、流石に団長とどう顔を合わせればいいか悩んだけれど、団長は意外と何も無かったかのように振る舞い、普段と変わらない日常が流れようとしていた。
でも、さすがにそれは何か違うと思った私は決意した。
「団長。いえ、バーレット・ケリーナイト様。私からお伝えしたいことがあります」
騎士団の練兵場では他の騎士たちが打ち合いをそれぞれに行っていた。そんな中で私は横に立って騎士達の訓練を仕切っている団長に声をかける。
「どうした?副団長」
いつもと変わらぬ不愛想な低い声で訊かれ、私は少し移動して団長の正面に立ち、その炎のように赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私、クレア・メイヤーズは、ずっと貴方のことをお慕いしておりました。今もこの気持ちは変わりません。その……、このようなことを殿方に伝えるのは初めてなので恥ずかしいとは思ってはいるのですが…………」
息を飲み込み、決意を固める。
「貴方のことを愛しておりますっ!!」
言った。
言ってしまった!
有耶無耶にしたくなかったから。団長の態度がいつもと同じすぎて、看病してもらっていたときに聞こえていたあの言葉や、後から教えられたつきっきりだったことも含めて全部。
「すみません、急にこんな。あの、とても自分でも仮にも貴族の令嬢として破廉恥な振る舞いであるとは感じていますし、この気持ちを伝えてダメでしたらダメでそれは全然かまわないというか、十五年前からの一方的な片想いでしかありませんでしたし、ご迷惑をおかけすると思いますし、というかもう私がこういうことをここで言っている時点でご迷惑をおかけしてしまっているというかその事実も分かっているつもりですし、不快でしたらいっそ副団長から解任して頂いて私を強制的に視界というか生活の中に入れないようにしていただいても全然かまいませんので、本当にごめんなさい!!!」
それでも、覚悟を決めていてもなお恥ずかしさが津波のように押し寄せてきて、私はパニックになりそうな思考を無理矢理言葉に変えて伝えて、その場から逃げ出そうと向きを変えようとした。
が、腕を掴まれたかと思うと強く引き寄せられ、団長の胸に顔を埋めるように抱きしめられてしまった。
「誰が迷惑だと言った。副団長」
「いえ、その、あの…………」
「副団長からの想いには気付いていた。が、婚約者を殺された復讐心でしか生きていない俺に応えられる権利など無いと思っていた。…………だが、あの戦いでお前が倒れ、そのまま死んでしまうんじゃないかと考えたとき、俺は―――」
押し当てられている胸から聞こえる鼓動が強く脈打っていた。
「―――お前を失いたくないと思った。ずっと側にいて欲しいと」
練兵場に響いていた剣戟の音が消え、団長の声だけが私の耳に響く。
「俺と結婚してくれないか?クレア・メイヤーズ嬢」
「は、はい」
緊張と緊張と緊張と、あと、嬉しさで、私は頭を真っ白にしながら頑張って声を絞り出して、そのまま脱力してしまった。
「副団長!?」
「す、すみません、団長…………。ちょっと緊張が解けたというか、限界突破したというか…………」
私から力が抜けたことに驚いた団長が慌てたように言ってきたので、私は照れた顔を見せないように彼の顔を見ないように俯いた。
「団長と副団長がついにくっつくぞーっっ!!」
「ヒャッホーッッ!!今日はこれで切り上げて宴の準備だーっ!」
「食堂貸し切りにしてくるわよ!」
「年の差年の差!団長も隅に置けないよなぁっ!!やったな嬢ちゃん!!」
みんな私達を差し置いて盛り上がって、その騒々しさにちょっと笑ってしまう。
そして団長の顔を見上げると、団長も顔を真っ赤にしながら、私の視線に気付くと照れたように、それでも、あのときの騎士様の太陽のような笑みを私に向けてくれた。
「愛している。クレア」
「私も愛しています。バーレット様」
ー・-・-・-・-
王都にある共同墓地の片隅で、私とバーレット様はスノーフレークの花束が供えられた墓石の前で祈りを捧げる。
テア・アニストン男爵令嬢。
男爵家の領地の町の孤児院に慰問に馬車で向かう途中で魔物に襲われて亡くなられた、バーレット様の元婚約者。柔らかく優しい花のような方で、教会の慈善活動にもよく参加されていたほどの人格者であったらしい。スノーフレークはそんな彼女が一番好きだと言っていた花であった。
「彼女のことを愛していた。だが、守れなかった。…………彼女の死を知ったとき、俺は俺の力の無さを嘆いた。離れていたところに居たのだから、守れなくて当たり前だと、お前の所為ではないとアニストン男爵は言ってくれたが、それでも俺は俺を許せなかった。だから甘さを、弱さを捨て、魔物を狩ることだけに没頭した。現実からの逃げだったとしても、俺がテアの為にできることはこれくらいしかないと信じて、思い込んでいた…………」
彼の独白は続いた。
「いつ死んでも構わないと思っていたが、お前が来て、お前が副団長になって俺を支えてくれるようになってから揺らいだ。俺より一回り以上若くて小さな者が俺が生きることを望んでくれているのに、俺はそれに背くのかと。…………昔助けた泣いていた令嬢が、俺よりも強く見えて、テアに叱られたような気がしたんだ」
静かに吹く風がスノーフレークの花を揺らす。
「あのとき、お前まで消えてしまうことが怖かった。目の前に居たのに守られて守れなかったことが悔しかった。無くしたくない、ずっと側に居てくれと思ったとき、お前のことが大切だったと気付いた。代わりなどいない、愛していたんだと」
「…………真っ暗な中で、バーレット様の声が聞こえました。もう一度私の声を聴きたいと言ってくれていた声が。…………そして、多分…………アニストン様に、私は救われたんだと思います。優しい、穏やかな声の方でした。手を引っ張って光の方へ連れて行ってくれて、目を覚ますとバーレット様が手を握っていてくれたんです」
「そうか、テアが。そうか…………」
雲一つなく青く澄み切った空を見上げたバーレット様が、静かに涙を零したことに気付くも、私は何も知らないふりをして天に居るだろうアニストン様の魂に祈りを捧げる。
誰かの代わりになんかなることはできない。
アニストン様はアニストン様で、私は私だ。
だけど、誰かの代わりに気持ちを継いでいくことはできる。誰かと同じ気持ちを持つこともできる。
アニストン様のあの言葉が幻だったとしても、彼女は私に託してくれた。私の想いはアニストン様の想いでもあった。
バーレット様を支えたい。バーレット様を愛している。
その気持ちは一緒だった。
だから私は誓う。
これから先もずっと彼を愛し、支え続けると。
「行くか、クレア」
「はい」
青い空の下、眩しすぎる太陽に照らされた道を私たちは歩き始めた。
お互いが離れないように手をつなぎながら。
互いをつなぎとめて支えるように寄り添いながら。