4 誰なの? あなた!
「どうした! 大丈夫か、そなた」
「……え?」
「いきなり、倒れた」
「え?」
気がつくと、美玲はベッドに横たえられていた。大きいがマットは硬い。布団はかけられていなかった。
「私、気を失って……?」
「そうだ。私は非常に驚いた。死んだかと思った」
「……」
いきなり、変なところに出てきちゃって、あまりに現実味のない話を聞かされて、脳みそ飛んじゃった……?
「生きているのだな?」
公爵は美玲に覆い被さるように覗き込んでいる。
「脳のキャパオーバーで……」
「きゃぱおーばー? 知らない言葉だ。だが、大丈夫そうだな。待っておれ」
ぼうっとしていると、視界が確かになっていく。壁際に作り付けの燭台があり、次々に灯火を点けられていく。
明るくなった室内で、ほんのふた呼吸の間、美玲は振り返った男を見つめ返した。
不審な顔で自分を見つめる男は、確かにアニメの人気キャラに負けない超絶美形だ。
長い銀の髪に瞳、整った鼻梁、彫りの深い顔立ちは明らかに日本人の容貌ではない。
かといって嫌味なくどさはなく、むしろ淡麗だ。
こんなに綺麗な男の人いるんだ……まるで二次元みたい……。
やっぱり私、おかしくなっちゃったんかな? どう考えても現実じゃないよね?
どうやら心の声が漏れていたらしい。
「現実だ。ほら痛いだろう?」
公爵は腕を伸ばして、美玲の頬を引っ張っている。
「ちょっと! 私をつねらないでください! 自分でしますから……って、普通に痛いし! やっぱり現実だ! 日本じゃない!」
「だから申したではないか。ここは銀獅子国だと」
「認識が追いつきませんが……それはともかく、私帰れるんですか? ただ今現在、仕事中なんですけど!?」
「わからん」
「そんな無責任な!」
美玲はぶるりと身を震わせた。それはこの状況がまだ飲み込めない心細さもあるが、物理的にこの部屋が寒いのだ。
天井が高くて広いのに、暖房がない。向こうの壁に暖炉のようなものはあるが、火は入っていなかった。
美玲の服装は変わっていない。普通なら明らかに仕事用のジャンパーやエプロンは、脱がしそうなものだが脱がそうとした形跡すらない。
まぁ、この偉そうな人が、他人の着替えを手伝うとは思えないけど。
それに、寒いから着てたほうがよかった。ほんと冷える、この部屋!
「……震えているな。怖いか。私が」
「ええ怖いです。そして寒いです」
「暖炉があるのだが、私は火を熾せないから、これでも羽織るがいい」
シルバーフォレスト公爵は、脇の椅子に無造作にかけてあった毛布のようなものを、ミレイに投げて寄越した。
それは古びてはいるが、上質な毛織物だった。もしかしたらこれが掛け布団なのかもしれない。それにしたって、この寝台の規模からしたら少なすぎるが。
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず、そこに座れ。そなたのことを聞かせよ」
公爵は自分はどっかりと椅子に腰を下ろし、優雅に長い足を組むと、美玲に流し目をくれた。いちいち様になっているのが非常に癪に障る。
「……えっと」
美玲は寝台から降りようとしたが、部屋に他に椅子はない。本と資料棚、書類は山のようにあるが、家具や調度は彼の座る椅子と執務机くらいだった。
「公爵様なのに、随分ミニマム生活なんですね」
美玲は仕方なく起き上がり、寝台を椅子がわりに座った。足元は床ではなく、厚地の織物が敷かれているがやはり寒い。
「みにまむとはなんだ」
「いえなんでも。失礼します」
美玲は毛織物を体に巻き付けながら言った。幸いこの織物は暖かかった。
「ニホンから来たと言っていたな。詳しく話してくれ」
公爵は気だるそうに自分を見下ろす。さっきからこの男の放つ雰囲気は、どこか退廃的だ。
「えっと……私は蒼井美玲と言います。歳は十九歳で、仕事はヘル……高齢者や事情のある子どもの生活介助員をしてます。日本とは私の属する国で、歴史が古くて……民主主義で、まぁ色々あるけど、とりあえず今は平和な国です」
「あおいみれい……ふーん、ななかな韻を踏む響きだな。十九で仕事をしているとは、そなたはニホンの下層民か?」
「失礼ですよあなた。日本には身分制はなくて、私は普通の勤労少女です!」
「ほう……少女とな?」
美男は下目遣いでじっとりと、美玲を見下ろしている」
「やっぱり失礼! 未成年だから立派に少女です!」
アニメじゃなくて、ほう……って言う人、初めて見たし!
「で、親御は?」
「え〜、まぁ、いるにはいますけど、諸事情で音信不通です。で、私はなんでここにいるんです? もしかして銀獅子国には魔法が存在するんですか?」
「そんな都合のいいものはない」
「じゃあ、なんで私は急に落ちて別世界……異世界かな? に来たんでしょうか?」
「……」
「公爵様?」
「敬称で呼ばれるのは好かぬ。家名は捨てたからな」
シルヴァーフォレスト公爵は、なぜか弱々しく言った。
「だけど、公爵様なんでしょ? 家名を放棄したのに公爵?」
「……家名を放棄したから公爵なんだ」
「でも、公爵様って……王様の次に偉いんじゃ……」
「その事は言いたくない」
公爵はぴしゃりと美玲を封じた。
「そーですかー」
ぷいと横を向く様子は、なんだか子どものようだが、何か事情があるらしい。
「とにかく状況を確認する。私は今夜、趣味で書く小説の設定を考えていて、主人公の名前を思いついてその名を呼んだ。すると、同じ名前のそなたが突然、机上の空間に現れた。落ちたら危ないと思って、私はそなたを抱いて床に下ろした」
「抱いて……って、どうりで痛くなかった。え〜と、それはまぁ、ありがとうございます」
大きな執務机は立派だが、いくつものペンや重そうな本が乱雑に置かれているから、下手に落下したら怪我をしていたかも知れなかった。
「で、公爵様は私をどうなさるおつもりなんです? 今の話からすると、この件はあなたにとっても想定外なんですよね?」
「どうもしない。それに帰す方法もわからない。そなたの言う通り全くの想定外だ」
「うわぁ……つまり八方塞がりってことですか。あ〜あ、せっかくヘルパーの資格を取ったのに、私仕事なくしちゃうのかな? まぁ帰ることができたらの話だけど」
美玲はがっくりと肩を落とした。その様子がいかにも憐れに見えたのか、シルバーフォレスト公爵は腰を屈めて言った。
「どこにも行くところがないなら、とりあえずここにいるがいい。帰す方法が見つかるまで……ミレ」
あまりの美声に、反射的に美玲は顔を上げた。
「美玲です!」
鼻がぶつかりそうな距離に、整いすぎた美貌がある。
「ミレだ。私の小説の主人公……これは偶然ではない」
いいいい息が頬にかかる! イケメンというのも憚られるわこれ!
目、すごく綺麗! お人形さんみたい!
しかし、あまり肉づきはよくないようで、頬は鋭く、顔色もあまり良くない。頬にインクのシミもある。
「今小説っておっしゃいましたよね? 小説って、物語でしょ? 公爵様が書かれるんですか?」
「ああ。昔から物語の類は好きだった。ここに隠遁してから、練習でいくつか筋書きだけは作ってみた」
「筋書き……つまりプロットってやつですね。で、どんなお話なんですか?」
美玲には金のかかる趣味はないが、漫画や小説なら気晴らしに古本屋で買うので興味はある。
「え〜、ま、まぁ今考えているのは、少々変わった設定でな」
絶世の美男は、なぜか恥ずかしそうに口籠った。
「この国とは違う異世界が舞台で、主人公の娘は庶民で、孤独で苦労をしている。しかし、名前を決めかねていて考えあぐねていたら突然、名前が浮かんだ。ミレと」
「異世界、庶民、孤独、苦労……それって、私!?」
「ミレだ。私は実によい名だと思って、思わず叫んでしまった」
「もしかして『私には君が必要なんだ! 出てこい私のミレ!』って言いました?」
「そうだ、そなた、なぜそれを知っている?」
「私、うっかり返事をしてしまって」
「そうだ。遠くから返事が聞こえた気がする……綺麗な声だった」
リュストレーは美しい瞳を遠くへと遊ばせた。
「……」
たっぷり二回、美玲は深呼吸をすませた。
「だからつまり……」
「つまり?」
「私をこんな目にあわせたのはあんたかー!」
美玲の絶叫が薄暗い部屋中にこだました。