39 引きこもり魔公爵は召喚おひとり娘を手放せない!(最終話)
それからの日々は、美玲にとっては結構大変だった。
働くことや、体を動かすことは得意な方ではあるが、何しろこの国の制度や仕組みを知らないから、戸籍を作ったり、後見人を決めたり、あとなぜか、管財人とも渡りをつけた。
ちなみに後見人になってくれたのは、セバスティンの実家である。彼の実家は王都ではなかり富裕な織物問屋だったのだ。
そしてこれらのことに関して、リュストレーは全くの無能力だった。異世界人の美玲よりも、ものを知らない。
権利書や、税や、雇用契約など、実務の概念がそもそもない。
そんな中で、美玲を助けてくれたのは、意外にもユノだった。
「あなたが教えてくれるとはね。正直、まだ信用できないんですが」
「まぁまぁ。私だって非道な鬼畜てわけじゃないんですよ。まぁあの時はあなたが邪魔で仕方がなかったですけどね! あ、署名はそこじゃないです」
「あ、すみません……ええと、ここか。あなた割と『お主も悪よのぅ……』な人ですよね? 人柄ガラッと変わるし」
「なんですかそれは。臨機応変に態度を変えるのは生き抜く力ですからね……はい、結構です。書類出来上がりです。これであの郊外のお屋敷の権利は、ミレ様に移譲されます」
「案外簡単な手続きですね。元の持ち主は、縁切った王様なんでしょ?」
「はぁ。だからリュストレー様に譲らず、迷惑をかけたお詫びに、ミレ様に譲渡されたんですね。使用人つきで」
「譲渡税とかないんですか?」
「ないんですね。あと、特別に年金がおります」
「……どれだけ?」
ユノは二枚目の書類をぺらりとめくった。
「……これだけ」
がっ!
美玲は生まれて初めて、心からの握手を交わした。ついでに心ばかりの笑顔も作ってみせる。
「いや〜すっかりお世話になってしまって。あの時の無礼な言葉の数々は忘れませんけど、許してあげますね」
「ありがとうございます。ま、私もリュストレー様推しをやめたわけではありませんので、たまに様子を見に来ますからね。では、見送り感謝!」
ちょっと意味深な微笑みを残して、ユノは王都に帰っていった。
ちなみにリュストレーが書いた美玲がヒロインの異世界小説は、結構な評判になり、現在重版三回目だそうである。
ちょっと、出来過ぎじゃない?
絶対これ、王室のテコ入れ入ってる気がする!
ていうか、やっぱり「推し」だったのね、ユノさん。
「美玲」
呼ぶ声に振り向けば、初春の淡い空の下に立つ男。小道をこちらに下ってくる。長い手足、優雅な身のこなし。
少し伸びた銀の髪が肩の上で揺れている。
「終わったのか?」
「ええまぁ。大体」
「よかった。この屋敷はミレのものになったんだな」
「そうですね。私も嬉しいです。この家大好きですから」
初めてこの世界に落ちてきたのは、リュストレーの背後にある二階の部屋。
広くて立派だったけど、本と資料と埃だらけで、部屋の主はげっそりやつれて薄汚れたガウンを着込んでいた。
今はシンプルな白いシャツの上に、紺色のマントを羽織っている。裾が斜面の風にたなびいて、本当にサマになっている。
「まだ少し寒いな」
そう言いながらリュストレーは、自分の羽織っていたマントをミレイの肩に掛けた。
身長差があるので、コートの裾がぬかるんだ道に引きずりそうになる。
「大丈夫ですよ。上等なコートが汚れちゃう」
「美玲が風邪ひくといけない。私は丈夫になったのだ」
「私寒がりじゃないし。上着着てますし」
美玲が仕事中はいつも身につけている、すみれホームヘルプセンターのロゴ入りジャンパーは、だいぶくたびれている。
今回も来る時に着ていた衣類と服だけが、彼女の持ち物である。
スマホは解約したし、家の権利書は母宛の封筒に入れて、祖父の家に送った。わずかばかりの貯金が入った通帳と印鑑とともに(カードはもともと持っていなかった)。
結局、美玲の母も父も、行方はわからない。自分の娘のことなど、どうでもいいのだ。
身勝手な両親のことで、美玲の胸には穴が空いたままだ。捨てられた子どもの心の虚は、埋まることはない。
けれど、別のものを注いで穴を小さくすることはできる。
「美玲」
マントの上から長い腕が巻きつく。
「次の物語の構成が決まった」
「え? 書くんですか? どんなお話です?」
「生活能力のない馬鹿男が一人の娘と出会い、やがて結ばれる物語だ」
「えー! やだー!」
「やだではない。これからどんどん書いて、利益を得るのだ。そして美玲に贅沢をさせる。ドレスや宝石を贈ったり」
「贅沢は性に合いません。それから、絶対に似合いそうもないドレスや宝飾品が、あなたの母上からどっさり送られてきて(贈られるのではなく)、辟易しているくらいなんです」
美玲がこの世界に落ち着いたと聞いたアヴェーラ王妃からは、毎日何かが送られてくる。最初は渋々受け取っていたが、先日堪りかねて、美玲は丁重にお断りの手紙を書いた。
すると一旦は収まったが、しばらくして再び彼女の領地から、農産物やお菓子などがセバスティン宛に送られてくるようになった。
「あの母は、ああいうお方だから、自分が美玲にしたことを謝れないのだ。許してやってほしい。許せないなら、私が出向くゆえ」
「あ! それはやめてください! 絶対何かの化学変化が起こりそうですから!」
美玲は慌てて振り向いた。
そこへ、唇が重なる。
最近は一日に数度は、こんなふうに不意に口づけをされるのだ。危機管理はしっかりしているはずなのに、毎回毎回、予測不能の動きでキスされてしまう自分が、美玲は悔しい。
「あの……不意打ちはやめてほしいんですけど。私逃げませんから」
「私がしたいのだ。美玲の表情の変わる様を見るのが楽しくて、つい」
「もう! 私はおもちゃじゃありませんよ」
「もちろんだとも」
リュストレーは大きく頷き、今度は耳たぶに軽く唇を寄せた。
「……それで、婚姻はどうやって進める? とりあえず、二人で署名をするということまでは調べて、セバスティンに取り寄せさせている」
「……ってはや! なんでこういうことだけ素早いんですか? 諸々の手続きは全然できなかったくせにぃ」
「私がなんでもできたら、美玲のすることがなくなるだろう?」
「屁理屈はいいです。でも大袈裟な結婚式はしたくないかな。だけど、人並みに花嫁衣装には憧れがあるので、この屋敷で静かに誓いあいたいです」
「そうか。それがいいな。美玲の花嫁衣装は私が作らせよう。なに、心配ない。これでも軍人時代は給金が支給されていたのだ。どこかに保管されているだろう」
「そうですか? それならシンプルなものを。あと、耳元で囁き続けるのやめてください」
「だが、美玲は私の声が好きだろう?」
「なっ! なんでそれを!」
耳たぶの先がひりつくほど熱い。
この人の声は甘い毒だと、美玲は本気で思う。
「美玲のことならなんでも知っている。そしてこれからも知りたい。さぁ美玲、言ってくれ」
「な、なにを……ですか?」
「美玲。愛してる。そうとも、最初からそなたが大好きだ。で、美玲は?」
「……今さら、なんですか」
美玲はふくれっ面で目を逸らした。すでに真っ赤になっていないところがない。
「さぁ」
「大好きです! リュストレー様! もうどこにも行かない! 一生ずっとそばに置いてください! 浮気も許しません!」
こうなると、もうヤケクソである。
「誓うとも。一生私を叱ってくれ、美玲」
「好き嫌いもだめです! お風呂も毎日入ってくださいね!」
「全部聞く。だからね、美玲。毎日、一緒に寝よう。そなたの体は温かいから」
「念のために伺いますけど、寝るだけですね?」
「……いいや?」
「なにかするんですか?」
「それは実は私も経験がないから……だがしかし、これから一緒に……その、いろいろやっていきたい」
「……」
今度こそ美玲は紡ぐ言葉がない。
この稀なる美男は、童貞だったのだ。
嘘をつく人でも、見栄を張る人でもないということは、美玲が一番よく知っている。
嘘でしょ? 信じられない……。
「だから美玲……その……よかったら今夜からでも……」
「……」
「なんで黙っている? ああ、あの部屋が嫌なのか? 仕事部屋を兼ねているからな。では何か設定を考えて……」
「でた設定! そういうのいいですから! わかりました! 私もうっかり二十歳になっていたことだし、やりますよ! 処女喪失頑張ります!」
普通、こういうことは、声を大に頑張ることではないと思うのだが、リュストレーがマニアックな設定を思いついて、部屋を模様替えされてはたまらない。
「だから、出会ったあの部屋のままがいい、です……わぁ!」
美玲の視界が突然高くなる。
それだけではない、大変な速度で屋敷に向かって移動させられているのだ。
「ちょ、まっ! リュストレー様!」
「今すぐ試したい!」
「やだー!」
渾身の抗議は、どうやら聞き届けてもらえないようである。
勤労娘を抱き上げた前王太子の元魔公爵は、冬の終わりの冷たい風を切って走り出していた。
未来への扉は二人で開けるものなのだ。
これにて完結です。
お読みいただき、ありがとうございます。
本当はもっと甘くもできたり、設定も細かくできたかと思いますが、まぁこんな感じで落ち着きました。
プロットも書かずイメージだけで、見切り発車で描き始めてしまったので、途中お休みがあったり、設定がいい加減だったりでお見苦しくてすみません。
この間、COVID-19にデビューしてしまい、父も入院して大変でしたが、私なりに頑張ったので、今回は勘弁してください。
よかったら一言でいいのでお願いします。おかしいなと思った点でも結構です。
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次作も多分テンプレではないです。
それでもよかったら、待っていてくださいね。
では、また素敵な読者様にお会いできることを夢見て。
2024.10、2 文野さと@かなりお疲れ 拝




