23 都から来た男
二日の午後、訪ねてきた客には、頬に大きな傷があった。
「トメさん、あの人が、王宮のリュストレー様のお知り合いなんですか?
「そうです。今までも年に二度程度はいらっしゃいました。でもこんな冬期には初めてです」
そう、今はもう冬だ。
リュストレーの執筆がはじまって、すぐ雪が舞い始めた。
丘の上に立つ屋敷の周りは白く覆われ、周囲の森は綿帽子を被ったようになっている。
かろうじて舗装された、門へ至る道も、外出しないリュストレーのおかげで、ほとんど除雪されない。
美玲の知らない間に、召使いさんたちが頑張って、人が一人通れるくらいの溝を作るのがせいぜいだ。(これをしないと、日常生活物資が届かなくなるので)
「あ、セバスティンさんが慌ててる。そういえば何時ごろに来るって連絡がなかったもんね」
美玲はホールの回廊の手すりから身を乗り出した。
「この雪で遣いを出せなかったのでしょう」
あ、目があった……。
帽子とコートを脱いだその客は、ふと気配に気付いた様子で、真っ直ぐ美玲のいる方向に顔を上げた。
うなじで結えた髪は薄い茶色で、多分この国では平凡な優しい色あい。けれど、同じ色の瞳は、探るような色をはらんで美玲を見つめる。
その時に傷が見えたのである。
リュストレーと同じくらいの年頃の男で、顔立ちが整っているだけに、頬の傷が痛々しく見えた。
「こ、こんにちは! 上から失礼いたしました! すぐに……」
自分が非礼だと感じた美玲は、階段を降りて挨拶しようとしたが、その横をゆったりと通り過ぎるものがいる。
リュストレーだ。
「よく来たな、ユノ。もっと遅いかと思った」
「お久しぶりでございます。リュストレー閣下」
「閣下はよせ。何度も言っているだろう?」
階段を降りたリュストレーは、ユノという男と親しげに話をしている。同世代の同性と、こんな風に話している彼を、美玲は初めて見た。
「セバスティン、客間の用意を」
「ただいますぐ! トーメ」
「いや、まずは閣下の書斎に通してください。そうですね……彼女も一緒に」
ユノは再び美玲の方へ視線を流した。
「お茶です」
「ありがとう。それじゃあ、本当に君、異界から来たんだね」
ユノは興味深げに美玲を眺めた。礼儀正しい態度だが、やはり目の光は鋭い。
「まぁ、そうみたいです」
「俄かには信じられないけど、リュストレー様の異能のことを考えると、信じざるを得ないな」
ユノは手にしたリュストレーの原稿の写しを見ながら言った。
元原稿の方は、何度も修正してぼろぼろになったので、この間に写しを二部作っておいたのだ。その内の一部である。
「あの戦いの時以来ですか? あなたのお力の発動は」
「ああ」
リュストレーは小さく頷いた。
「それで、今日はこの物語の講評をしに来てくれたんだろう? どうだった? 忌憚なく言ってくれ」
「はい。では」
「む……」
我知らず、美玲も身を乗り出している。リュストレーの言葉を借りるなら、この男は都の出版部の職業人。つまり日本風にいうなら、大手出版社の社長兼、編集長みたいなものなのだろう。
「では申します。御作品、非常に斬新です。大変興味深かったです」
「そうか!」
リュストレーは身を乗り出している。
ちなみに今日は、例のおんぼろ染み付き灰色ガウンは着ていない。
リュストレーによると、あのガウンを着ている時は一番執筆に集中できるそうだが、少しずつ身につける時間が減ってきている。その分美玲が補完しているのだ。
今日は簡素ではあるが、普通のシャツと、黒いシンプルなジャケット(この世界でなんというのか美玲は知らない)である。
いや、リュストレー様、めっちゃ嬉しそうだし。
ていうか、ヒロインのモデル私だし!
聖女設定は外してもらったけど、美少女設定はそのままだし!
「これ物語としては画期的です! ぜひ売り出したいと存じます。今は冬で、みんな娯楽に飢えています。きっと大評判になりますよ」
「なるほど。で、発売はいつだ?」
「そうですね。印刷所をフル回転して、ざっと一月後には」
「おお、早いな!」
「ちょっと! ちょっと!」
うっかり聞き流しそうになった美玲は、すんでのところで横槍を入れる。
「待ってください!」
「どうしたミレ」
「早すぎやしませんか? 編集作業は? 校正は? 装丁は? それに印刷所って他の仕事もあるでしょう?」
「編集? 校正? 学術書でもないのに、そんなものありゃしません。装丁はお任せください。他ならぬリュストレー様のご依頼ですからね。意匠係も、印刷所も張り切るでしょう」
「え、こちらの出版事業って、そんなものなんですか? で、大体何部くらい刷るんです?」
「そうですね。ざっと一千部というところでしょうか?」
「あ、そうか」
ここは日本じゃない。
PCもAIもないんだ。全てアナログ作業だし、印刷も製本も手作業多めだろう。
活版技術はあるのかな?
人口がどのくらいなのかはわかんないけど、物語を読めるゆとりや教養のある人の数を考えたら、五百部はもしかしたら、かなり破格な数字なのかも?
「それはすごいな。感謝する。ただ一つ頼みがある」
リュストレーは静かに言った。
「すまないが、私の名前は出さないでほしい」
「え? あなたの知名度があるからこそ、この数字なのですが!」
「頼む。その代わり、利益はいらない。できれば、貴族だけでなく、娯楽の少ない民のために配ってやってくれないか? 読み手をつけて、会堂などで読み聞かせをするのもいい」
「……わ、わかりました。けど、架空でもいいから著者名は要りますねぇ」
「それならミレで頼む」
「へ? 私?
「ああ。ミレがいなかったら、この物語はできなかった。だから著者名はミレだ。もし、利益が出たなら、その分の金を私がミレに支払おう」
ここにちょっとした伏線ありです。




