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第一章:産院の窓――陽子《ようこ》の視点

「うちの方が一日遅いはずだったのにねえ」

 乳臭い甘い匂いが漂う中、ベビーコットの中の赤ちゃんは目を閉じたままニンマリと小さな口の両端を上げる。

 また笑ってくれた。

 思わずこちらの顔も綻ぶのを感じる。

 お乳をたっぷり飲んで寝入ると、この子はよくこんな顔をしてくれるのだ。

 まだ生まれて五日目の、名前も届けていない、私の赤ちゃん。

美生子みおこちゃんはママとパパに早く会いたかったんだよ」

 向かいの彼女は苦笑いして自分の赤ちゃんに哺乳瓶を咥えさせつつ、もう既に決まったかのように私の赤ちゃんの名を口にする。

 お腹の子がどうやら女の子らしいと分かってから、私と夫であれこれ候補を出して決定した名は「美生子」。

 もし生まれてきて男の子だったら「美生よしお」としようということになった。

 奇しくも同じ時期に妊娠した幼なじみの親友の彼女にもそうした経緯は既に話してある。

陽希はるきのパパなんか今日になってもまだ来ないし」

 こちらは生まれて三日目の我が子を見下ろす彼女の横顔は寂しい。

 母親も生まれたばかりの息子も深い二重瞼の切れ長い瞳が一見して似通っている。

 こんなに綺麗な奥さんと可愛らしい赤ちゃんなのに、あの浮気性の男は見舞いにも来ないのだ。

 彼女には言えなかったが、正直、最初に会った時から、あの夫には好感が持てなかった。

「大丈夫だよ」

 あんな夫と一緒にいて大丈夫な訳がないと冷静な頭では思いつつ、彼女と生まれたばかりの赤ちゃんに少しでも明るい言霊を送りたい気持ちで続ける。

「美生子より陽希くんの方が万事育てやすいはずだよ。四月二日生まれだから学年でも一番生まれが早いだろうし」

 美生子は三月三十一日生まれだから学年でも一番生まれが遅いくらいだろう(本来は四月一日生まれの子が学年では一番最後になるそうだが、私は今までエイプリルフール生まれの同級生に会ったことがない)。

「それに、男の子の方がずっとママの恋人だって言うじゃない」

 そんなものは病的な共依存だと思わなくもないが、この可愛らしい赤ちゃんの息子だけはせめて彼女の力になって欲しい。

「そうだといいけどね」

 彼女がどこか寂しく微笑んだところでさっと病室の窓から午後の陽射しが射し込む。

「桜、もう満開だ」

 陽希くんを腕に抱いた彼女はぽつりと呟いた。

 窓ガラス越しに四月のどこか低い水色の空の下には白ともピンクともつかない花霞が点々と生じている。

「綺麗だね」

 そうだ、この子たちは幸せになるはずだ。満開の桜が迎えてくれる季節に生まれたのだから。

 私の娘と彼女の息子で将来結ばれるまではいかなくても、双子の姉弟か兄妹のように善き仲間として育って欲しい。

 ベビーコットの赤子は柔らかな陽射しの中で安らかに眠っている。

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