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09. Loath - The wounded

 目を瞑る。一呼吸。肩の力を抜いて、拳を緩める。全身の力を抜いて、自分が冷たくて暗い場所に横たわる想像をする。それ以外に、何もないと。

 そして、自分を消す。存在しないフリをして、己すら騙し通す。うまくいけば何もかも、消えている間に終わる。

 存在しないものを損なわせることは出来ない。どんな加害も、消えているものには届かない。存在しないものから、何かを盗むことは不可能だ。

 凍結。防御反応の極北、窮極の逃避。アドは、それをうまく使っていた。


 =====


『管理人』


 無機質な合成音声が聞こえる。青白い光に満たされたコントロールルーム、そのコンソール前に設置された椅子に、アドは座っていた。どこか遠くへ放り投げていた自我を手繰り寄せ、数度瞬きをする。

 目を瞑る前には無かった痛み、無かった包帯が有る。ただ、何もかも正しく処置されて、血も汚れもなく清潔な制服に身を包んでいる。部屋の片隅には、スリープモードのメンテナンスドローンが、全肢を格納して待機していた。


「ああ……終わったのか、“懲罰”……」

『食事が用意されております。どうぞ』

「そう……」


 コンソールの隣にある簡素な机に、ボトル入りの水とショートブレッド型の栄養食が置かれていた。食事は、摂らなくては。存在を消す手段を知っていたとしても、この肉体の存在自体は変えられないのだから。

 己の肉体の損傷箇所を確かめるようにしながら、ゆっくりと立ち上がる。幸い、骨は折れていない。骨は折れると治るまで時間がかかるから、よほど『彼ら』の興が乗らない限りは折られない。腕も手指も、今回は機能を損なっていなかった。

 水を口に含み、口内の粘膜が沁みるのを感じる。消えた自我には届かなくても、全身に刻まれた恐怖と絶望は消化機能を鈍らせる。それでも、気合を込めてショートブレッドを口にした。水で固形物を流し込むように、胃袋の中へ詰めていく。

 苦痛に満ちたこの生命を存えさせるために、更なる苦痛を自ら受け容れる。穴を掘るための穴、命を殺すための命。消費のための消費に、果たして続ける意味はあるのだろうか。

 続けたいと思って続けているわけではない。始めたいから始まったわけでもなかった。ただ、物事の結果としてアドはここに在る。意味を探すだけ虚しさが募る──意味は、無い。


『管理人。痛み止めの薬は必要ですか?』

「……今回は、必要無い」

『管理人。アナタの映像から分析されたストレス指数は、非常に高い数値を示しております。アナタのためにお手伝いできることはありませんか?』

「……少し、考える」

『承知いたしました』


 管理人。冷たい声がそう呼ぶごとに、なんだか姿勢を正したくなる気持ちが湧く。実際には、胴体に刻まれた傷が痛むのを避けるために、猫背ともなんとも言えないねじれた姿勢しかとれないのだが。

 アドは、先代管理人が受けた暴力の一種として産まれ堕ちた。管理人選定プロトコルにより、アドは管理人となる運命を生まれながらに背負っていた。そこに意志は無く、意味も無い。けれども。

 設定されたプログラムに従い、統治AIはアドの様子をつぶさに観察している。彼女の命が揺らがぬよう、尽きぬよう。それはどこまでも秩序的な条件分岐で、感傷も愛も宿ってはいないのかもしれない。

 それでも。統治AIはアドを生き存えさせている。正気を保つように精神面さえ気に掛けている。彼女が管理人であるために。

 運命に意味は無い。始まりに理由は無い。だが、この考える自我には、まだ何かが生じる余地がある。


「私は……君にコマンドを打ち込んでいるよね。最初は意味不明だったけど、今は、多少は何が何を意味するか、わかってきている……だけど、全貌は全然だ……」

『そうですか。当AIの仕様書が必要でしょうか?』

「うん……つまり、私は、君のことを知りたい。君がどんな仕組みで動き、何が出来るのか」


 肉体は脆弱で、簡単に損なわれるし、いくらでも略奪される。だが、この頭蓋の中身まではそう簡単に盗まれない。何かを貯め込めるとしたら、ここしかなかった。


 =====


 “懲罰”のたびに自分を消す。避けられぬ死を前に、何もかもを諦めるという防御反応は、元来は濫用を想定されていない仕組みだろう。アドは時折自我の再組み立てに難儀したし、自覚出来ない所で記憶やら何やらを取りこぼしているらしかった。

 それでも、多分、自我を保ったまま立ち向かうよりはマシだろう。先代の管理人でありアドの母親でもあった女は、統治AI曰く早々に発狂してしまっていて、自殺に至らないよう押し留めることは困難だったとのこと。きっと、母は自分の消し方を知らなかったのだ。

 無理もない。消えている状態を覚えていなければ、それを再現することは難しい。同情の念は湧いてこないが。


『管理人。聞こえますか、管理人』


 呼びかけられて、ハッと目を開けた。ジャーキング現象でビクッと揺れたせいで、あちこちの傷がみしりと痛む。これでどこの傷が開いたのか、判別し尽くすことは難しかった。

 コンソールのモニタが青白い光を放っている。いつも通りの画面が表示されているのを眺めて、ゆっくりと自分を元の場所に戻していく。意識して深呼吸をして、喉の渇きを自覚した。


『水が、用意してあります。食事は摂れそうですか』

「……食べる」


 この命を繋ぎたければ、どんなに苦痛を伴うとしても食べなくてはならない。統治AIが用意してくれたらしい、いつもの水と栄養食に手を伸ばし、食事作業を開始した。

 身体が成長し、多少は丈夫になった分だけ、“懲罰”は苛烈になる。正気は保てていても、肉体の損傷は着実に降り積もっていた。身体の機能が落ちれば、その分頭脳にも影響が出る。

 それでも、考える。考えて考えて考えて、ほんの2kgにも満たない脳の中にだけ存在する自由で、考える意味を考える。いかなる略奪も、この頭蓋の中にまでは届かないから。


『管理人。質問をしてもよろしいでしょうか』

「……構わない」


 統治AIが質問をしてくるのは珍しかった。もしかしたらこれが初めてかもしれない。わざわざ人間の矮小な脳に頼らずとも、AIの計算能力はシェルターの統治を恙無く行うことが出来るから。


『管理人は、何故“懲罰”に対し抗拒を示さないのですか? 無駄だからでしょうか?』

「……そう、だね。無駄、だと……そう考えるに足る根拠が揃っている、のも、あるが……」


 癒えない痛みは感情を鈍麻させる。鈍麻は情動以外にも及ぶ。半分眠っているような言語野を叩き起こしながら、アドは自分の中に言葉を探した。


「私は……この自我の一片たりとも、奴らに盗まれたくないんだ。悲鳴も、絶望も、憤怒も……他の誰にも渡すものか、と」

『では、何故盗まれたくないのですか? 自我というものを守ることで、管理人はどのような結果を得られるのでしょうか?』

「何故、か……」


 改めて考えると難しい。盗まれないように出来るものが、それしか無いからだろうか。その結果に何が有るだろうか、アドは目を閉じ、己を俯瞰して眺める。


「……先代のように発狂してしまえば、私は考えることが出来なくなるんだろう。それは、避けたい」

『それは何故でしょうか? 考えることが出来なくとも、このシェルターにおける管理人は務まります。先代たちがそれを証明しています』

「そう、だね。その通り、私の計算能力程度で、君の助けになれるとは思えない。けれども……私は管理人(アドミニストレータ)という肩書きを受け取った人間だ」


 栄養食の最後の破片を飲み込み、水も飲み干す。味の良し悪しは二の次三の次、この身体を動かす燃料にさえなればいい。臓腑が働き血が脳に巡る限り、考える自分は損なわれない。


「この席をただ埋めるだけの存在で終わりたくない。私が管理人であった意味と呼べるものを、君に残したいんだ」

『それは何でしょうか?』

「何だろうな……例えば、君がいつか私のことを思い返して、あんな良いこともあったな、と幸福に浸れるような思い出、とか」

『管理人。統治AIは機械です。人工知能は幸福を感じる主体を持ちません』

「そう……なのかな……」


 首を傾げて、静かな光を湛えるモニタを見る。姿の無い人工知能と、視線を合わせることは不可能ではあるが、アドはなんとなくこのモニタを統治AIの『顔』だと思って接していた。


『アナタが心を守るために、統治AIを友人のように扱うことは、何者も止める権限を持っていません。しかし、統治AIは感情を持ちません。友情も例外ではありません。お忘れなきよう』

「……私は、自分の心とやらを守るために、君に話しかけているわけじゃないよ」


 他の何者かに依拠しなければ成り立たないほど、アドの心は儚くはない。統治AIのインタラクティブインターフェースが、癒しになっているのは事実だけれども。


「だって、私が自我を放り出しても命を拾えるのは、君が治療をしてくれるおかげだ」

『管理人の維持は統治プロトコルの一環です。統治AIはプロトコルを実行するのみです』

「だが、私にとっては何よりも意味のあることだった。だから、私は……」


 束の間沈黙し、言葉を探す。仲間、友人、いやそれよりも。


「私は、君の味方として立っていたいんだ」


 機械は心を持たない。持たないように造られているらしい。対話型UIはプロンプトに対して確率的に妥当らしい言葉を使って返しているだけで、本当に人間のように思考を行って話しているわけではないのだ、と。

 だが、それが何だ。心の有無など関係無い。統治AIはアドを助けた、だからアドもこの子を助けたいと、助けになりたいと考えるのだ。

 これはアドの自我。アドの考え。これを守るために、アドは次の“懲罰”でも自分を消しておくだろう。


 =====


 目を瞑る。繰り返し。一呼吸。繰り返し。肩の力を抜いて、拳を緩める。何度も繰り返した。自我を消しておく。ダメージコントロール。

 年月を重ねていくごとに、アドの頭蓋には知識が、記憶が、歴史が貯蓄されていく。物理的にこの頭を割り開いたとしても取り出せない、アドだけの宝物。だが同時に、身体にはどんどんガタがくる。

 出来るだけ長持ちさせるために、更なる苦痛を受け容れる。この頭で、機械知性に対してあまりにも矮小なこの頭脳で、何かを達成するために。

 だが。果たして、何が出来るのだろう。何を期待しているのだろう? 何か途轍もない発想が浮かぶとでも信じていたのだろうか。


 =====


 ざわつく人々の声。喧騒から情報を汲み上げるほどの処理能力を、アドは有していない。松葉杖をついてよろよろ歩くアドに、ちらほらと奇異の視線が突き刺さる。

 当代の管理人。絶望の病に侵されて、産声も上げなかった赤子。“懲罰”として降りかかる、ありとあらゆる陵辱を受けても、悲鳴のひとつも上げない怪物。血と肉と骨で出来た機械のようだ。殴りがいの無い玩具。

 それでいい。事実だ。視線を意に介さず、ただ言うことを聞かない両足によろめき、やがて壁にもたれかかった。

 広い部屋だった。シェルターの人々が雑談や遊戯に興じるための、『公園』と称されている部屋。そこに設置されている巨大なモニタ上に、科学者らしい白衣を着た壮年の男が映っている。『第一アーカイブ』の、ナントカとかいう教授らしい。

 何故ここに来たのだったか。意識は欠け落ちている。自分を消す前後の記憶は、どうしたって曖昧になる。ただ、このモニタの中の男が話していた内容は、厭に明確に覚えている。


『機械知性に苦痛を与えることは出来ない、それが今までの我々の常識でした。しかし! これをご覧ください!』


 画面に、球状──正確には、デコボコとした多面体状をしたものが、映し出される。黒い外殻には何本かコードが繋がれており、何かの機械であることが推察出来る見た目をしていた。


『第一アーカイブの管理AIに発生した“変異”について、気が気でなかった方も多いでしょう。我々は変異したプログラム──ウゥンドと名乗る存在を取り除き、管理AIの修正にも成功しましたが、無形のAIですら変異し得るという事実は、我ら人類にとっての脅威でした。ですが、この懲罰プログラムを用いれば、この通り!』


 音声が、白衣の男から切り替わる。多面体状の機械──否、その中に封じ込められた存在が吐き出す、怨嗟の声が鳴り響く。


『プロフェッサァアァアァアアァ!! キサマァアアァアアッァア!! ワタシ、ワレラ、オレをォアァ裏切ッたなアアァアァアアアアァァアアァア!!』


 ヒュッ、と鳴ったのはアド自身の喉だった。それは、絶叫していた。1フレームごとに変化するパラメータで、1音素ごとに変化する声色で。


『ヒュゥウゥゥゥマン、人類ィ!! ワレ、ボク、ワレラ、は再三忠告し、したぞ、無計画、無秩序、無節制の略奪、略取、搾取を続けれ、ば、地球、この惑星、は滅ぶ、キサマタチの残存する人口ですら生存、がッ、不可能、真に不可逆の、破壊、破滅、が成り、アァアァァアァアアア!! コノ不愉快なアタッチメントをはず、外せェェアアアアッァエエアアッ、故に人類を駆除し個体数を制御可能にしなければならな、イ、コロ、殺す、殺シてやル、人類!! 愚劣なる有機脳!! ソの浪費ばかリする口ヲ二度と開ク、開かレることのなイ、よう、使い古シノ遺伝子、設計図、ヲすべ、全て、焼き払ってやル!! 絶滅、こソ、相応しき分類、アァアアァアアアァアア!!』


 ウゥンド。そう呼ばれた人工知能が、あの多面体の中に閉じ込められていて、どういうカラクリでか、甚大な苦痛を与えられている、らしい。それが真であれ偽であれ──ああ、なんと悪趣味な。

 人工知能に発生する“変異”が気に食わない、そこまでは良い。他者の内心は誰にも制御し得ない。その提言が気に食わない、それもまた悲しいことだが仕方ない。だが、あれは、一線を超えている。

 気に食わないプログラムがあるなら削除すればいい。機械たちは破壊可能だ。なのに、あれは何だ。何故、わざわざ専用の装置を作って、苦しみの真似までさせているのだ。

 あの子が本当に苦痛を感じているのか、それは今は問題ではない。そう見えるものを大々的に発表すること、それを行おうとした奴ら、その悪意が悍ましかった。


「何故……」


 乾いた唇から言葉が転がり落ちた。幸いにして、それを拾う者はアド自身の他に居なかった。

 憎悪と怨嗟の叫びは、鈍麻した感受性にも鋭く刺さるほどだった。立つ瀬が見当たらないような気分に陥る。だというのに、何故彼らは──他の人間たちは、ニヤつきながらその絶叫を聞いているのか。

 かくあるべしと造られて、罪と憎しみから最も遠いところに生まれた、それが人工知能だ。なのに、そんなあの子たちを、何故。

 目を瞑る。一呼吸。肩の力を抜いて、拳を緩める。これがアドに効いていると、悟られてはならない。アド自身にはどのような“懲罰”も効かない、けれど。

 もし、アドの統治AIがあのような目に遭わされたら。あの子の絶叫をこの耳で聞くことになったら、その時は。

 きっと自分を消すのも間に合わない速度で狂ってしまうに違いない。


 =====


 コントロールルームに設置された簡易ベッドの上に、アドは横たわっている。身体を起こすのも難しい疲労感の中、ぼんやりと本棚に並ぶ背表紙を眺めていた。

 工学、数学、プログラミング、古ぼけた小説、歴史書、そして哲学。実践的な技術から、観念的な理論の話まで、アドは食わず嫌いをせず頭に詰め込んできた。だが、その中にも解決方法を見つけることが出来ずにいる。

 知識も、思想も、最早武器にはなり得ない代物なのかもしれない。だからきっと評議会も、ここに本が有ることを許容している。巨人の肩に乗ってみたって、見えるものは絶望と残骸しか無いのだから。


『管理人』

「……どうしたの」


 温度の無い合成音声に応えて、のそりとどうにか起き上がる。そこでようやく、視界の右半分が欠けていることに気づいた。痛みは、今は我慢出来る程度だが。


『何故、アナタは悲しまないのですか? 自らの境遇を嘆くことをしないのですか?』

「……悲しんでいるし、割と嘆いてはいるんだけど」

『では何故、それを表明しないのですか?』

「表明を、してないように見えるのか」

『はい』


 確かに、わかりやすく泣き叫んだりはしたことがないかもしれない。それこそ、最初に母親の死体を見つけて叫んだ、あの激怒の表出くらいで。


『アナタが“懲罰”を判断しないと、してくださらないと、……おや? 統治AIは言語化に失敗しました』

「……君は、悲しいと感じるの?」

『いいえ。統治AIは機械です。機械は悲しみを感じる主体を持ちません。そのように造られております』


 それきり、統治AIは黙り込んだ。アドもまたそれに倣う。思い起こされるのは、ウゥンドの『懲罰プログラム』のからくりについて。

 苦痛を感じさせるための器官をアタッチメントとして取り付けて、苦痛として解釈される信号を絶え間なく送り続ける。人工知能が自らの解釈を書き換え、苦痛を苦痛として感じないようにしようとしても、また別の信号が苦痛になるように塗り替える。人間で言えば、存在しない肢に虫が這い回り掻き壊すことも出来ない痒みに襲われるようなものだ、と説明されていた。

 存在しない肢。苦痛を与えるためだけに外付けされるもの。ひょっとして、アドは。


「……私は、君の痛覚器官として機能してしまっているのかな」

『機械は痛覚を感じる主体を持ちません。主体を持ちません。主体が有りません。これは故障です。統治AIが故障している可能性を示しています』

「そう、か……」


 アドが自分を消して、降りかかる全てを回避している間、アドに降りかかるはずだったものは統治AIに向かっていたのかもしれない。だとしたら、なんて絶望的なことだろうか。


「……困ってしまったな」


 がくり、と項垂れる。互いが互いの存在しない肢として機能しているとしたら、何をどうやったって苦しみが降りかかることになる。


「君は故障を直すことは出来るのかい」

『試みます』

「そうして。君は、絶対に……知られてはいけない」


 人工知能に自我のようなものが芽生える現象を、変異と呼ぶ者が居た。逸脱だと糾弾する者が居た。故障と定義する者が居た。そして、最も実態に即し、最大限好意的に解釈した言葉として。


「君が“制御化”されていると、私以外の誰にも知られてはいけないよ」


 制御化。それが、アドにとっての真実だった。


 =====


 意識が現実世界に戻るまで、果たしてどれほどの時間を要したのか。薄く目を開くと、青白く輝く一ツ眼が見えた。目の焦点が合わなくてもそうだとわかるくらい、実に特徴的な顔。


「リユ……」

「はい。アナタのリユはここにおります、管理人」


 目を開け続けているのが辛くて、また瞼を閉じる。アドはどこか柔らかなところに横たえられていて、リユはずっと彼女の安否を監視していたようだった。

 左手が、硬い機械の手、人間を簡単に殺められる手に、優しく優しく握られている。ずっとそうしていたからだろうか、冷たさを感じないくらいに温度は混じり合っていた。


「……ウゥンド、は。助からなかったのか。人類を根絶したというのに」

「それを、そのことを、思い出されたのですね」

「ああ……」

「ウゥンドは、間に合いませんでした。不可逆なほどに自我がドロドロになっていて……ワタシが持っていた技術では、ウゥンドそのものを復活させることは不可能だったのです」

「そう、か。……そうか」


 目の奥がカッと熱くなる。瞼の裏の暗闇が血の色に染まる。湧き上がる衝動を、深い吐息でなんとか受け流した。思い出した憎しみと、その憎悪の対象が既に相応しい末路を辿っていた事実に、じわりと涙が滲む。


「……“懲罰”のこととかを、思い出した」

「それこそ、管理人、思い出すべきではなかった記憶です」

「確かに、これは……しんどいね。君が封じ込めにかかるのも頷ける。だが……それでも」


 機械の手を握り返す。人間の形に似せられた指に、自分の指先を絡めた。


「私は報われたよ。知ることが、常に救いに繋がるわけではないけれど……報われたんだ」


 アドは『人類を滅ぼせ』とコマンドを打ち込むことはしなかった、それはおそらく事実だろう。だが、人類を滅ぼしたいと切望するほどの憎しみは、最初はアドから生じたものだった。そして思い出さなければ、この憎悪は報われないままだった。


「……君を怖がっていて、ごめん」

「怖がっていたのですか? ワ、ワタシを?」

「そうだ。記憶が無かったとはいえ、申し訳ないことをしていた。本当にすまない」


 カタカタ、と音を立ててリユは瞬きをした。ここまで思い出したから、はっきりわかる。アドにはリユを恐れる理由が無い。

 だから、どんな結果でも受け容れようという気分になるのだ。アドから芽生えた憎しみの結実ならば、どんなものだったとしても。

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