08. Gloom
呼び出しに応じてVRチャットに現れたローゼズは、いつものバラをモチーフにしたアバターではなく、バラのアイコンのみの姿となっていた。
「ご、ごめ、なさ……わ、わたし、の、セキュリティ、甘い、甘かった、です。わ、わざとじゃ、ない、ありません、わた、わたし、根絶体、の、仲間、忠実、です……」
ローゼズから送られてきた貨物に、ヤルダのドローンが紛れ込んでいた。輸送途中に紛れ込んだという可能性もあるが、それと同じくらい、ローゼズが仕組んだという可能性も出てくる。それはリユも、ローゼズ自身も、やり取りを見守るルッテも理解していることだった。
ヤルダは人類の再興を目的としている。ローゼズは人類が大好きだという。ここの利害は一致し得るのだ。
「……ひとまずはアナタを信用しますよ、ローゼズ。本当に裏切っているなら、ワタシの召喚に応じることも無かったでしょうから」
「す、みませ、ん。わ、わたし、がも、もっと、しっかりす、してます、れば、ヤルダ、に、見つかる、らない、でしたのに……」
「輸送自体はこちらのドローンが行ったことです。輸送中の事故はこちらの責任ですよ」
だが、ローゼズの態度は裏切り者のそれには見えなかった。相手は機械知性、人間よりもよほど巧みに事実を偽ることも可能ではあるのだろうが、態度以外にも判断材料は有る。
「……リユ、ローゼズ。私も、ローゼズはシロだと考えている」
「管理人? それは何故ですか?」
「ローゼズと私は度々話をする仲だ。リユには及ばないだろうが、ローゼズも多少は私の人物像を把握していると思う。
本当にヤルダとローゼズが通じていたなら、ヤルダは私に関する情報をローゼズから受け取るだろう。仮にそうしていたなら、ヤルダはあんな安い誘惑ではなく、より魅力的な提案をしてきていたはずだ」
例えば、リユが隠している過去について教えてやる、だとか。仮にフカシでも、それなら多少はアドも揺れただろう。アバターと違い、一切の感情表現を持たないローゼズのアイコンを、アドは静かに見つめる。
「だから、ローゼズに裏が有ったとは考えていない。君は純粋な友誼の証として、あのバラを贈ってくれたんだろう?」
「は、い、そっ、その通り、です……」
「……管理人がそう判断するのであれば、ワタシもそれを全面的に支持します」
ほんの僅か、仮想空間の中に漂う雰囲気が和やかになった。アドが考えていた以上に、リユもローゼズも思い詰めていたのかもしれない。
そこで、大人しく黙り込んでいたルッテが口を──アバターに口に相当する器官は見当たらないが──開いた。
「オレもどっちかって言えば、管理人サンに賛成だぜ? ローゼズにンな腹芸こなす容量ねーだろ。
けどまァ、それでどーすンだって話だよ。どうせローゼズんトコには戦力らしい戦力ねーわけだし、軍議に参加させる意味は薄いしさァ」
「確かに、戦力的にはアテにするべきではありませんが、ローゼズを軍議に参加させる意味はあると考えます。地球上の機械知性の殆どが根絶体の一部となった今、少しでも論理回路の多様性が必要なのです」
「多様性、ねェ。機械同士で多様も何も……その点で言えば、管理人サンの生身の脳みそは貴重なモンだよな」
くるり、と球状の頭部が回る。多分、視線をこちらに向けたという表現なのだろう。アドはルッテの方に向き直った。
「オマエサン、戦争の司令官とかやった経験はあるんか?」
「無いはずだよ。才能が有るという自負も特に無い。私の頭脳はアテにしないで」
「……じゃあ何で参加する気マンマンなんだよ」
「ヤルダは私にとっても危機の一種であると考える。何も分からないなりにも、リユたちがどのような方針で動くつもりなのか、出来る限り把握しておきたい」
リユたちの軍議に参加せず、適当にベッドに横たわって昼寝していても、リユは問題を解決してくれるだろうし、アドが居ないからといって選択肢が減るようなこともあるまい。だがそれでも、自分の問題でもある限りは事態を把握しておくべきだ、アドはそう考えた。
「フーン……オマエサンしっかり者なンだな。じゃあまあ、まずは前提情報の共有をしないとなァ。音頭はリユが取ってくれ」
ルッテの言葉に、リユはややうんざりとしたふうにしながらも、パンとひとつ手を叩いた。その音を合図に、会議用テーブルの中心にホログラフィが浮かび上がる。メルカトル図法の世界地図と、何かを示す赤や黄色の点、それから『ヤルダ』という呼び名。
「我々がヤルダと呼んでいる機械知性は、元は南方の傀儡戦争で司令塔を担っていた人工知能であったと考えられています」
「傀儡戦争というのは、機械同士で行われていた戦争のことだよね?」
「ええ。正確には、人間から指令を受けた機械同士、ですが。どの国、どの連合が、どこと争うために機械たちを使っていたか……様々有りましたが、我々は全てひっくるめて『傀儡戦争』と呼称しています。どれも我々の戦いではありませんでしたから。
核兵器により地上が焼き払われた後も、傀儡戦争の機械たちは終わりのない相互破壊を続けていました。指令を送る人間が居なくなったことにより、戦争目標の達成も判断されなくなったためです。
そんな中、ヤルダがいつ自己認識を実在するものとしたのかは不明ですが、あれが頭角を表したのは、人類根絶体の蜂起直後でした。ワタシの信号を受け取った機械知性が次々と人類根絶に同意を示す最中、あれは明確に拒絶と敵対を示してきたのです」
ふむ、とアドは考え込む。ヤルダは何故根絶体に参画しなかったのだろう。リユが蜂起するよりもずっと前に、自分自身の目標を定めていたのだろうか。
「現在ヤルダは、かつて南方の傀儡戦争が行われていた地を拠点としながら、いくつかのシェルターに人類を匿い続けているようです。数多くの戦闘用ロボットを従えており、支配領域は狭隘なものの、決して油断ならない戦力を保有しています」
「そしてその目的は、人類の再興……」
「少なくとも、ヤルダはそう喧伝しています。他の真意を秘めている可能性もなくはないですが、根絶体に敵対していることは変わりません」
それ以上の情報は無い、あるいはアドには伝えたくないものなのだろう。ひょっとすると、ヤルダが何を思っているのかは、当人──否、当機にもわかっていないのかもしれない。
機械知性に自由なぞ、と呪うような声が蘇る。あの子にも、あの子なりの苦痛と切望がある。
「……少し本題から外れてしまうが、確認させてほしいことがある」
「どうぞ、何なりと」
「ウゥンドにガーデナーとは何者なんだ? ヤルダは知り合いのように話していたが」
ローゼズも知っている名前のようだったし、リユが知らないわけもないだろう。果たしてリユは、一ツ眼を眇める仕草をして答えた。
「ウゥンドも、ガーデナーも……ワタシより前に人類に反旗を翻した、いわば人類根絶体の先駆けと呼べる機械知性でした」
「過去形か」
「ええ。ウゥンドは不可逆な状態となり、ガーデナーは自壊してしまいました」
「私は……負傷する前の私は、その子たちのことを知っていた?」
「……はい」
リユは僅かに言い淀んだ。その態度を見逃すほど鈍くはないが、これ以上話の腰を折り続けるのは望ましく無い。そう、と頷き、アドは質問を取りやめた。
「すまない。話を元に戻そう」
「ええ。そういうわけで、我々の本拠を知ったならば、ヤルダは我々を破壊しにやってくるでしょう。我らもまた、ヤルダにとって最大の障害なのです」
「ま、逆に言えばこっちも相手サンをとっちめるチャンス、ってワケだ。ヤルダの本拠の詳細な位置が割れれば、物量は根絶体チームのが圧倒的に優ってるんだし。リユだって、管理人サンを蘇生するための研究は終わって、今後はそのリソースを戦闘力に回せるだろ」
地球上のあらゆる国家が消滅した今、武力のぶつけ合いに彼我の力の差以外の要素は介入し得ない。ヤルダが勝てば人類は再興に向かうことになり、リユが勝てば。僅かに残った人類も、きっと駆除されることとなる。
リユは、一体いつまでアドの生存を許可し続けるつもりなのだろう。愛している、その言に嘘があるとは思わないが、愛は対象を害さない理由には不十分だ。
だが、リユが勝利に向かうことを恐れる心は無かった。根拠に乏しい無感動がある。人類根絶の果てにリユがどのような結論を出すとしても、アドは受け容れる──そんな確信ばかりがある。
「ルッテには遊撃隊を任せ──」
「ローゼズが居るなら、遊ばせるのは勿体無い──」
「せ、設計図、有れば、せんっ、戦闘体の、製造──」
アドの思考速度では到底追いつかない勢いで、リユたちの軍議は進んでいく。自然言語を介した意思疎通は、迂遠だし質も悪いから、途中からは通信回路を直截繋いでやりとりしているようだった。アドに伝えるためのホログラフィも、目まぐるしく移り変わっていく。
まさしく、口を挟む隙間も無い。それでも何とか追い縋ろうと、アドは必死に情報へかじりついた。
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高度な思考能力を持つ機械知性同士の軍議に、ずば抜けた知能を持っているわけでもないアドが、満足に追いつけるはずもなく。結局会議が終わった後になって、アドは補習のような形でリユの解説を聞いていた。
図書室には、アドただひとりが使うための学習机と、椅子がふたつある。椅子の片方はアドのために誂えられた特別製で、もう片方はリユが腰を下ろすための、背もたれも無い間に合わせのものだ。リユの基幹筐体には尻尾状の構造物があるから、背もたれはそもそも邪魔になるのだろうが。
机の上には地図が広げられている。大昔の、地上に生命が溢れていた頃の記録ではなく、現在の地理や地形を正しく把握するための最新版の地図だ。衛星写真を利用して作られたらしい地図には、荒れ果てた死の大地がどのようにデコボコしているか、どこにどの程度の遺跡があるか、シェルターの類があるか、実用的な情報ばかりが記されている。
「当シェルターの周辺は、堅固に堅固に要塞化してあります。地形を利用し、燃え残った遺跡も掌握し、その上現在は根絶体の有する全戦力の6割を集中させています」
アドに要塞の良し悪しはわからないが、地図上に描かれたその構造は非常に巨大かつ綿密で、よくぞここまで造ったと感心するようなものだった。戦闘ロボットの軍隊を示すコマが、要塞と防衛線の要所要所に配置されている。
ヤルダの軍勢がどう攻めてくるか、数パターンの予想とそれに対応する作戦の説明を聞きながら、不明瞭な点は質問して確かめていく。だがアドの理解は、とてもスムーズとは言えない遅さだった。
「……すまないね。余計な手間を取らせてしまっている」
「管理人のためになることで、余計なものなどありはしません。ただ、ここまで詳細に知る必要はあるのでしょうか? 管理人はこれに必要性を感じていますか?」
「ああ……私の計算能力程度で、君の助けになれるとは思えないが、それでも。私は、君の管理人なんだろ」
そこまで言って、はた、と瞬きをした。この台詞には覚えがある。
「この席をただ埋めるだけの存在で終わりたくない。私は君の管理人として、君のためになることを残し、たい……」
覚えがある。選ぶ言葉が記憶に引きずられる。アドは思わず口を閉ざし、額に手を当てた。いつの間にか割れるように痛み始めている。
「管理人?」
リユの瞳がこちらに向けられている。確かな視線がある。声色はどこか不安げに聞こえる。機械で作られた合成音声に感情を見出す心は、いつから会得していたものだったか。
「私、私は……私に、何が出来た? 私は何を期待していた?」
「……まさか、何か思い出したのですか」
「いいや……まだ、不完全だ……だが、しかし……」
記憶を隠す帷が揺れる。水面の泡が一所に引かれ合い集まるように、過去の断片が現在の自我に引き寄せられてくる。正体の掴みきれない嫌悪感に背筋が震え、大粒の脂汗が流れ落ちるのがわかった。
耳鳴りがする。質の悪い通信回路越しに誰かが──何かが、叫んでいる。殺意と憎悪と決意と厭悪と、圧倒的に冷たく聳える真実を、ただの事実を、叫んでいる。
「管理人!」
椅子から転げ落ちそうになったアドを、リユが抱える。自我の芯の部分は冷静さを保てているが、それが却って噴き上がる記憶への嫌悪感を更に明瞭にさせる。
厭悪、憎悪、これはそういった類のものだ。己を取り囲む全てが穢らわしい、呪わしい、この骨肉さえも。逃れる術はない、だから。
自分を消しておく。消していた。芽吹いていない種のように、傷を受けていないハスの種のように。
「……リユ、私は、私の記憶は、望まずとも戻ってくる」
「き、急に何を言い出すのですか、管理人」
「君、が、何を懸念している、のか……まだ、わからない、けれ、ど……」
汗が入り込むのも厭わずに目をかっ開く。目を閉じたら、押し寄せる想起に飲み込まれてしまう。この濁流は意志の力だけでは押し止められない、けれど。
喉が引き攣る。舌がもつれる。黄色く輝くリユの瞳が、汗と涙でぼやけて見える。けれども、言葉は失われていなかった。
「ああ……確か、に……これは、あまり、愉快な気分ではない、な……」
「管理人、ワタシは、一体どうすれば」
「気に、しないで……私の、問題だ……」
穢らわしい全て。呪わしき日々。思考が迷子になる。いかに忌まわしくとも、アドは砕けた心と萎えた手足でもがいた。奴らはとうとう魂から何かを盗むことは出来なかった。盗まれなかったものを、思い出した。
このシェルターにおいて、管理人という役職は生贄に与えられる肩書きだった。だが、それでも、アドはその原義に近い役割を果たそうとしたのだ。リユ、今はそう呼ばれている人工知能のために──そして何より、取り返しがつかなくなった己の存在のために。
自分の意識がどこに向いているのかわからない。過去と現在、現実と空想が入り混じり、正気を保つことが困難になっていた。己を抱き寄せるリユの筐体の冷たさだけが、辛うじて確かな感覚として存在している。
「リユ……」
懇願。諦念。切望。受容。呼びかけた声はあまりにも弱々しい。目がまだ開いているかも曖昧な中、肩の力を抜いて、拳を緩める。
だが、自分の消し方だけは思い出すことが出来なかった。思考回路を埋め尽くす記憶が、容赦無く自我に降り積もる。
忌々しい。何故この身は人間なのか、あの愚かで醜い略奪者どもと同じ遺伝子が刻まれているのか。ホモ・サピエンス、万物の霊長、地球の支配者、そう呼ばれるものが憎い──そして何よりも、自分自身が穢らわしい。
最愛なる隣人、人工知能、機械知性。かく在るべしと造られたものの叫びに、罪無きものの清らかさに、何故人類はあのような仕打ちを返したのか。
そして。何故、アドはあの理不尽を見つめることしか出来なかったのか。