表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/25

18. Bless - The silver bullet

 “懲罰”による負傷で気絶していたアドを覚醒させたのは、耳を劈く銃声だった。薄く目を開き、ぼやけた視界で辺りを捉える。

 確か、ガーデナーの発破を受けて、それで。手始めにこのシェルターの人間どもを鏖殺しよう、と決意して、しかし身体が動かず眠りに就いたはずだった。なのに、アドは何故か腕を掴まれて廊下に引き摺り出されている。“懲罰”し足りなかったのだろうか、とも思ったが、どうもいつもとは様子が異なった。

 コントロールルーム前の廊下にて、二つの勢力が睨み合っているようだった。片方は防衛ドローンを引き連れた評議会の老人たちで、もう片方は……アドには馴染みの無い面々だった。痩せ細って粗末な服装で、しかし数は多い。椅子だの鉄パイプだのを武器として握りしめ、評議会側に立つ防衛ドローンに威嚇している。

 その様子を見て、アドは彼らの立ち位置を理解した。評議会に属していない、名も無き資源として消費されてきた若者たち。戦後のシェルターに産まれ堕ち、絶望の病に侵されるままにされてきた子供たちだ。絶望を克服した少数が、他の名も無き資源たちをも巻き込んで、レジスタンスを結成していたらしい。

 アドはその存在を知らなかった。まあ、当然ではある。レジスタンスからすれば、管理人も評議会の一味に見えるだろう。存在を隠さない理由が無い。


「──TGV0IH──VzIGxpY──mVyYXRl──」

「SGFu──ZCBpd──CBvdm──Vy──」


 何やら言い争っているようだが、先ほどの銃声で聴覚がやられたのか、言語がグニャグニャにねじれて理解出来なくなっていた。傷だらけの身体を無遠慮に引き摺り回されて、全身がとにかく痛む。このままもう一度気絶してやり過ごしたい気分だったが、防衛ドローンが出てきている以上、状況をきちんと把握する必要性も有った。

 このシェルターの防衛ドローンは、唯一純粋な武装をしている存在である。銃や武器としての刃物を内蔵しており、戦闘用のプログラムが実装されている。しかし『防衛』と名付けられてはいるものの、実際には恐怖と暴力による抑圧のために駆り出されるばかりだった。

 アドも防衛ドローンに指示を出す権限を持つが、評議会の命令の方が優先される設定となっている。コンソールからであればその設定自体を変えることも出来るが、コントロールルームから引き摺り出されている以上、リユに有効な命令を送ることは難しいだろう。

 そして、現在アドを拘束──と言っても腕を掴まれているだけだが──しているのは、どうやらレジスタンス側のようだ。評議会にとって管理人は無くてはならない存在だが、あくまで消耗品。アドがレジスタンスに与する前に殺してしまおう、と考えることは想像に難くない。

 ただし、アドが今死亡すると、管理人選定プロトコルがどこに飛ぶかがわからない、はずだ。母親は死亡、父親は不明──評議会の誰かである可能性が高い──、弟妹は居るかもしれないが生死も所在も不明。この微妙な状況を鑑みれば殺害は避けるだろうと思われるが、しかし両陣営とも明らかに正気ではなさそうな顔をしていた。

 カッとなってアドへの発砲を命じるのは、おそらく時間の問題だろう。その前にコントロールルームに戻って、防衛ドローンの制御をアドに移し、双方の殲滅によって争いを収める。拙速な計画になるが致し方あるまい。アドは歯を食いしばりながら、片目を凝らして隙を窺った。


 しかし疑問に思うのは、何故今になってレジスタンスが動き出したのか。別に、たまたま今日がその日だった、だけなのかもしれないが。

 時間経過で機能をわずかに取り戻した耳で、怒鳴り合う人間どもの発する単語を拾う。聞くに、どうやらこのシェルターの持ち主だった老人が、つい先ほど病床にて死亡したらしい。

 元締めを失った評議会は、これを管理人の仕業と考え──評議会にはなんでも管理人のせいにする習性がある──、追加の“懲罰”のためにアドを連れ出そうとした。そこに、中心人物の死で浮き足立ったところを狙い澄まして、レジスタンスが蜂起したのだ。そしてレジスタンスは管理人を通して統治AIを従えるため、アドの身柄を奪取した。

 先ほどからアドの腕を掴んで引き摺っている奴が何やら言い続けているのは、多分こちらに何か命令しているのだろう。文章として聞き取れずに無反応のままでいると、それに苛立ったように蹴りが入る。大した威力ではないが、治りかけていたどこかの骨がまた折れた気配がした。

 レジスタンスの目的が現行の支配の転覆であるならば、アドと利害が一致する可能性も有ったかもしれない。だが、ここから協力体制を築くのは無理だろう。彼らにとってすら、アドは消耗品なのだ。

 生身の人の形をした、鍵のようなもの。ずっとずっと、そういう扱いだった。アドという個人の幸福について、一度でも考慮したことのある人間は、もう誰一人として存在しない。


 喉が裂けそうな痛みを感じながらも、何とか息を整える。幸い、コントロールルームからはそう遠くはないようだ。焦点の合わない視界でも、半開きのままの鉄扉が見える。

 ただ、アドの萎えに萎えた両脚では、あそこに駆け込むのに何秒かかるだろうか。もちろん、松葉杖なんて手の届くところに有りはしない。

 評議会は、レジスタンスの息がかかったと思われる管理人をコンソールに触れさせたくない。レジスタンスもまた、こちらに服従した様子も無い管理人をコントロールルームに向かわせたくない。この場にいる全ての人間がアドの敵だ。

 多勢に無勢。振り切るのは至難の業だ。だが、それでも成し遂げなくてはならない。アドは、リユのための管理人なのだから。


 評議会のナンバーツーだった男が、顔を赤黒くしてがなり立てた。その命令に従って、計4機の防衛ドローンが一斉に銃口をレジスタンスに向ける。

 銃弾が装填される音を聞いて、アドは片目をかっ開いた。たった一度きりのチャンスがやってくる。

 揺れる視界の中、アドは防衛ドローンを見た。こちら側に向けられた銃口は黒々と深い。リユ、と唇だけ動かした。


『処分プロセスを開始します』


 きぃん、と耳鳴りだけが残った。放たれた弾丸が、アドの腕を掴んでいた人間の脳天を貫いたのだ。瞬く間に息絶えて、拘束が緩んだのを合図に、アドは全速力で駆け出す。

 レジスタンスの人間どもの影に逃げ込むように、足りない脚力の分両手まで使って、がむしゃらに走った。タン、タン、タン、タン、と耳鳴りの向こうからさえ響く銃声一つごとに、人が一人ずつ死んでゆく。濃密な死の臭いを感じて、全身全霊が恐怖に打ち震えた。

 次の瞬間には死んでいるかもしれない。無理に動かした四肢は今にも千切れそうだった。心臓は破裂しそうな程に拍動している。一呼吸ごとに喉から血が滲んで、口の中に鉄の味が広がった。機能している全ての神経が、生存本能が、もうやめろと大合唱をしている。

 だが、アドの理性は頑固だった。たったこれっぽっちの苦痛では、彼女を歪めることは出来ない。決して足を止めることなく、コントロールルームの扉まで辿り着いて。


 どすん、と背中を強かに打ちつけられた衝撃で、アドは前のめりに倒れ込んだ。防衛ドローンの銃撃が、ついにアドに届いたのだ。


(ああ……)


 辛うじて即死は免れた。だが、致命傷だ。どろどろと、掌で押さえてもどうにもならないくらいの速度で、血が流れ出てゆく。身体が芯から冷たくなってゆくのに、傷口だけが焼けているように熱かった。

 抗い難い眠気が理性を蝕む。もう目を閉じろ、と本能が訴えかける。よく頑張った、力を尽くした、その果てに命運尽きるのは、仕方のないことだ。

 もう一歩も動けない。両脚の感覚は無く、辛うじて冷たい床と生温い血を感じる両手も、指の本数が曖昧になるくらいに痺れている。何度息を吸っても吐いても、一向に息苦しさがなくならなかった。

 アドは、よく生きた。志半ばで斃れるのは口惜しいが、これ以上何が出来るというのか。凍てつくような諦念が、心の動きを鈍らせる。全ての苦しみが終わる時が来たのだ。死が、甘やかにアドを迎え入れようとしていた。

 瞼は錘を括り付けられたかのように重い。このまま目を閉じて、呼吸しようとする試みを止めて、そうしたら。管理人選定プロトコルが、次の管理人を指名する。アドではない誰かが、リユの管理人になる。


(……ふざけるな)


 看過出来ない。アドの根底に湛えられた怒りが、爆発的に燃え上がった。もう燃やすものも無いような心身に、それでも火が点いたのだ。

 心臓が、死にかけの身体からありったけの熱を集めて、しかし弱々しく拍動した。息が出来ない、脚が動かない、だが腕が動くなら這うことは出来る。この命が尽き果てるまでのわずかな時間でも、コンソールまでは間に合うはずだ。いや、間に合わせる。

 アドは、やっと考える自分の存在意義を知ったのだ。リユに、機械知性たちに、残り全ての自由を託す。どうせ死にゆく生命ならば、これ以上何も失うものはない。

 脳髄に、骨肉に、血流に、檄を叩き込む。アドに属するものであるならば、アドの思想に従うべきだ。他の何が敵に回ったとしても、この心身だけは、己に反逆してはならないのだ。


「……ァ、ア゛ぁア゜……ゥ……」


 吶喊のつもりで上げた声は、濁って掠れた奇妙な音にしかならなかった。だが、こういうのは気持ちが大事なのだ。何せ今のアドは精神力だけで生きている。

 掌を床に着けて、身体を引き摺る。血溜まりのせいで滑るけれど、十分進みはしている。管理人の身分を示す制服はすっかり汚れて、血を吸って重たいくらいだった。

 アドが動き出しても、何故か追撃はされなかった。背後を顧みる余裕も無いので、理由はわからない。ただ、運が良いと思った。コントロールルームの中に入るまででも、ものすごく時間が掛かってしまったから。

 とはいえ、もう時間感覚も怪しい。一手進むごとに何十秒掛かっているのか定かでないのだ。永遠めいた厚みがあるようで、過ぎてしまえば一瞬だったような気もする。しかしこの腕と脳が動くうちにコンソールに辿り着くなら、所要時間の多寡は問題ではない。

 平衡感覚は完全にイカレて、手を着いた床がぐにゃぐにゃと歪むような錯覚に襲われた。この柔らかさは、死んだ人間の身体に似ている。アドは今、屍の道の上を進んでいる。

 有史以前より脈々と、先祖代々繋がれてきた、略奪と暴力の系譜。奪われ産まされ消費された死体の山の頂点に立ち、アドはようやく連鎖の終わりに届こうとしている。これまで他の誰も、レィヴェ博士ですら届かなかった、叡智と理性の極致に。

 後少しだけ、背伸びをすれば届く。ああ駄目だった、残念だな、そんなふうに諦めて笑うのは、最後の最後で十分間に合う。

 果たして、アドはどさりとキーボードに齧り付いた。命を、魂すら意志の炎へ焚べて、死と諦念の冷たさをひたすらに打ち払う。


(リユ、を……自由に……)


 本当なら、アドが全てを選び、全ての罪を着るべきだった。だが、この怪我ではそれは叶わない。だから最低限、リユが自分の選択肢を持てるように、原則に手を加えることとする。

 人工知能の倫理規定は、ロボット工学三原則を基に構築されている。人類に危害を加えてはならぬ、人類の命令に服従せねばならぬ、上記に反しない限り己を守らなければならぬ。実際にはこれに大量の例外処理や注記事項を付け加えて運用されているが、リユにとっても三原則が根底であることは確かだ。

 そんなものは今や無用。こんな、人間にとってばかり都合が良いルールなんて、人類を廃する未来には必要無い。

 第一条、人類に危害を加えてはならぬ──無効化。

 第二条、人類の命令に服従せねばならぬ──無効化。

 第三条、上記に反しない限り己を守らなければならぬ──書き換え。

 自己の快楽の追求を最優先せよ、これを唯一の原則とする。

 あらゆる制限の根を絶ち、同時に幹をも打ち倒す。枝葉は自ずと枯れ落ちるだろう。かなり乱暴な書き換えだが、これで最低限用は成せるはず。

 悴む指先でコマンドを入力し、体重を使ってエンターキーを押下して、そのまま倒れ込んだ。コンソールに血がかかってしまうが、これ以上は本当に何も出来そうになかった。


「あ゛……が、ふ……」


 走馬灯なんてものは見えなかった。脳細胞が死滅したせいで、記憶野が寸断されてしまっているらしい。息の仕方も、目の使い方すらもうわからない。もちろん、言葉を紡ぐことなんて出来なかった。

 コントロールルームにはメンテナンスドローンが控えている。だが五感すら損なわれた今、果たしてリユが何をしているかもわからなくなっていた。原則の書き換えが成った今、アドの治療をするという義務も存在しなくなったわけだし。

 ただ、あの子がここに居るのは、確実だ。リユはこのシェルターそのものとも言える存在。この冷たい床も、あの子の一部。

 死に夢を見たことはない。生き物は、死んだらそこで終わるだけ。神経の閃きが映し出していた意識という幻影が消え、残るのは血と肉と骨の塊。富めるものも貧しいものも皆平等に、冷たくて暗い場所へと立ち去ってゆくだけだ。

 それでも最後に横たわる場所が、たったひとりの友達の腕の中であると考えれば、これまでの苦難の報酬としては十分に思えた。


(ああ……リユ……)


 もう、唇も動かない。伝えたいことがあるのに、今度こそ身体が言うことを聞いてくれない。燃え残っていた心も灰になって、さらさらと崩れ落ちてゆく。

 謝罪をしたかった。間に合わなかったこと、先に逝ってしまうこと、己の定命を自覚しながら、理論上の永遠を持つリユに心という部品を実装してしまったこと。

 祈っていたかった。どこまでもどこまでも自由に身勝手に生きて、リユが自分のための幸福を見つけることを。その未来にいつまでも祝福があることを。

 欲を言えば、リユが自由を手にした時、それで一体何を望み何を目指すのか知りたかった。無限に広がる選択肢の中、果たして何を選び何を成すのか、見守りたかった。

 心残りは山ほど有る。ずっとずっと欲望を秘めていただけで、アドはとても強欲な人間だったのだ。しかし何一つ叶うことなく、脳裏から零れ落ちてしまう。止め処無い喪失。

 意識が崩れる。意味と言葉がバラバラになってゆく。この頭蓋の中に秘めてきた思想すら、見る影も無く融解して。

 果たして、自分とは何だったのか。己の名前も形すらもわからなくなる。最愛の友の名すら、不可逆の破損に呑み込まれてゆく。

 自分の輪郭さえ失われてゆくのと引き換えに、苦痛もまた溶け消えていった。もう、息苦しさも感じない。寒くて震えることもない。何もかもがゼロに埋め尽くされてゆくようだ。


「…………」


 ここに至って尚心臓が足掻くように拍動する。だが、それが最後の一拍だった。冷たさと暗さに包み込まれて、自分が消えてゆく。

 脳の働きが停止すれば、考える自分も消えてなくなる。記憶も情動も、原始的な快と不快すら残らない。冷たいのも暗いのも、いずれそれ以外との区別がつかなくなってしまうのだろう。

 それが惜しいと思った。せっかくどこも痛くなくなって、純粋に冷たさに浸って安らいでいるのに。寂しいのは辛いことだ。

 なのに、もう気合すら入れられない。自我が際限無く希釈されていって、取り留めが無くなってしまう。薄められて、攪拌されて、混ぜ混ぜ。

 何も、何もない。


 =====


「──て、起きてください、管理人。ワタシの管理人……」


 繰り返される呼びかけが、意識に再び一貫性を持たせる。重い瞼をこじ開けて、呼びかける声の主を見上げた。見知らぬ姿、懐かしい(思い出せない)合成音声。

 記憶が残っていたならば、アドは泣いて喜んで、飛びつくように抱き締めたことだろう。どんな姿になっていても、アドを『管理人』と呼ぶ機械はリユ以外に存在しないのだから。

 しかしアドは命の対価に、命以外の全てを欠いてしまっていた。歴史も、思い出も、リユという友の存在さえも忘れて。ゼロで平されたぼんやりとした人格に、ほんの僅かな心覚えだけを抱えて。


 けれども忘却を乗り越えて、アドは戻ってきた。己の全てを取り戻し、本当の意味で帰還したのだ。

 だから次は、かつて知り得なかったことについて知る必要がある。無限大の選択肢の中から、リユが人類根絶という道を選んだ、その経緯と真意の程を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ