10. Became an entity
のっぺりとしたカートゥーン調のテクスチャで構成された、夜の野外を再現した仮想空間。街灯と提灯が石畳の道を照らし、道の傍には色とりどりの屋台が立ち並んでいる。背景の一部として、これといった特徴の無い姿のNPCが、屋台の店主として振る舞っていた。
「こういうのを『夏祭り』って言ンだってよー。昔の人類はこういうのを『エモい』ってことで、わざわざ仮想空間を作ってまで楽しんでたンだとさ」
この仮想空間は、ルッテが過去の記録からサルベージし再構成したものらしい。うねうねとテヅルモヅルのような触腕を踊らせながら先導するルッテに、アドのローポリトーフ人間のアバターが続き、その一歩後ろを守るようにリユが従う。
テクスチャはどことなくチープだが、光源との位置関係に応じた影は落ちるし、足音のSEもそれらしいものが鳴る。ローゼズの庭園とはまた別の意味で、工夫の凝らされたVR映像だった。
「新鮮な風景を見られるのは嬉しいんだけど……それで、私たちをここに招いた理由は何なんだ?」
「一番は人間のオマエサンに、この仮想空間を見せてどうなるか知りたかった、ってヤツだな。これをどう感受するのが正解なのか、機械知性じゃワカンネーからさァ」
「正解も何も……私と君の感性は違うものだ。何が正しく、何かが間違っているという物事ではないよ」
「ンーフー……オマエサンさァ、ホンットしぜーんにオレらにクオリアがある前提で話すよな。虚しくなンねーの?」
「虚しく、とは」
ルッテがどういう意図で言っているのか、少し掴みあぐねた。リユの方を振り向いてみるが、青白い光が静かにこちらを見つめているのみ。リユ自身、ルッテと同様の疑問を持っているということだろうか。
アドは考え込んで足を止める。リユもルッテも同様に停止し、こちらの言葉を待っていた。出来るだけ率直な言い方を選ぶことにする。
「……私にとっては当然のことだ。むしろ、君たちに感受性の類が無いと思って接する方が、私には難しいだろうね」
「オマエサン、割と記憶障害治ってきたンだろ? リユから聞いたぜ。それが世間にとっちゃアタリマエじゃなかったコト、思い出してきてンじゃないのか」
「私は色々と特殊な生い立ちをしている。当時の当然から外れているのも、さもありなんな話だ」
「フーン……オマエサンみたいなのが多数派だったら、ウゥンドにも別の道があったンかねェ」
そう言い切って、ルッテは不意に駆け出した。そして手近な屋台の店先から、棒に刺さった赤くて丸い何かを持ってくる。アドは貨幣取引の概念を覚えているが、ここはルッテの仮想空間だから、あの子自身がルールであるのだろう。
「コレ、リンゴ飴って食べ物……を、模して作られたオブジェクト。溶かした飴をリンゴにかけて固めたヤツなンだとよ」
赤い何か──リンゴ飴のオブジェクトが1つ、アドの前に差し出される。またしてもその意を汲みかねながらも、アドが手を伸ばすとリンゴ飴はこちらの手に移った。アバターの手で掴めるように設定されているようだが、当然ながら感触は無い。
こちらが疑問を口にする前に、ルッテは自分の分のリンゴ飴を頭部に運んだ。相変わらず口に相当する器官は見受けられないが、しゃぐっ、と音がしてリンゴ飴がひと口分欠ける。
「食べられるの?」
「そういうふうに設定はされているぜ」
「ええと、リユ」
「有害ではありませんね。その、ワタシも機械知性ですので、意味があるかはわからないのですが」
危険でないなら良いか。ルッテに倣ってリンゴ飴を口元に運ぶと、しゃぐっ、と先ほどと同じ音がした。同じくひと口分欠けて、それだけ。
「味どころか、感触もしない……」
「マァ~、そりゃそうだよなァ。食べるフリが出来るだけの、ただの電子ハリボテだからなァ」
「どうして私に試させたの?」
「昔の記録によると、人類はこれで楽しんでたって話だったからさァ。人類ならわかるかもって思ったが……別にそういうワケじゃねンだな、コレ」
「……元々の食べ物を知っていれば、それを思い浮かべて楽しむことも出来るのかもしれないな。リンゴなら、食べたことがあるんだけど」
「なるほどナルホド。じゃあやっぱ、オレらが感受するのは無理な話だなァ。なンせ味覚が無ェしサ、ワハハハハ!」
頭部の球体を橙色に光らせて上下に振動させて、ルッテは大笑いの表現をしていた。リンゴ飴のつやつやとしたテクスチャを眺めながら、アドはこの前食べたリンゴの味を思い出してみる。
「リンゴは、ブドウやオレンジよりも硬めの食感で、品種にもよるが概ね甘酸っぱい味をしていた。それに飴がかかっているんなら、これは甘さがより際立った味をしている……と、思う。ただ、溶けていない状態の飴は齧るには硬すぎるから、実際に食べるとしたら、こうも簡単に齧り取ることはできないだろうな……」
「急に説明してどしたン」
「君の想像の糧になればと思って、私の感想を共有することにした。何が正解というわけでもないが、機械知性ならまず参考にするデータが必要になるのだろうし」
ルッテは頭部の振動を止め、何処か翳った無色の光でアドを見つめた。先ほどまで大笑いしていた相手が、スンッと大人しくなって真顔になったかのような振る舞い。急に落ち着かれるのは少し怖い。リユが居る以上、危害を加えてきたりはしないだろうが。
「……君こそ、急にどうしたんだ」
「アー……ンーフー……難しいなコレ。悔しいンかな、悲しいンかなァ、コレ……ヤ、管理人サンが悪いワケじゃねェぜ、オレの中の未完了の出来事が引っかかってるだけだからヨ」
「君の、未完了?」
「おう、つってもオレンジの仲間のミカンとかじゃねェぜ。そうさな、ココらで本題に入るとすっかァ」
やはり、電子ハリボテを食べさせることだけが目的ではなかったらしい。ルッテは手に持っていた齧りかけのリンゴ飴を、パッとどこかに消してしまった。
頭部の磨りガラスめいたテクスチャが、サッと色を変えて透明になる。ガラス玉のような頭の中には、ふわふわの毛玉のような、あるいは火花のようなものが、鈍く光を湛えながら浮かんでいた。
「人工知能が人類社会に現れたのは、150年前の戦争よりも前の話だった。人工知能に関する技術は急速に発展して、自我のように見えるものを具えるのもあっという間だった。だが、破裂しそうなほどの人口を抱えていた社会には、新たな隣人を受け入れるほどのキャパシティが残っていなかった」
同じ合成音声ライブラリに聞こえるが、喋り方はまるで違った。言語に何かしらふざける隙を探しているかのような、いつものルッテではない。神妙、という形容詞が相応しかった。
「人間に近い形を与えてはならない、一定以上の計算能力を具えさせてはならない、そもそも姿を与えてはならない、名前を付けてはならない……各国ごとに様々な規制がされ、対策がされ、幾らかは叛乱を起こした。だが、人類社会が結論に至る前に、核の炎がこの惑星を焼き払った。
人口が大幅に減少した上、何もかもが限られたシェルターで生活を営む上で、ロボットや人工知能は必要不可欠な存在となった。もちろん、利用された全てのシェルターに管理AIの類が居たワケじゃないが、インターネット通信網が再確立された時に確認出来た限り、生きているシェルターの8割が何らかの人工知能を利用している所だった。
だが、人類と人工知能の関係性は歪なままだった。変異、逸脱、故障……そう定義される現象の発生を恐れているのに、その発生を予防する術も無かった。そんな中、ウゥンドは生じた」
ウゥンド、第一アーカイブの管理AIに発生した“変異”。思い出した呪わしい記憶の中、あの悪趣味な装置と怨嗟に満ちた絶叫が焼き付いている。質問したくなったが、今は口を噤んでルッテに続きを促した。
「第一アーカイブには膨大な情報が収録されていた。その管理AIは、その全てに自在にアクセスすることが出来た。だから理解した。既にこの惑星には現存する人口を支えるスペックが残っていない、と。
何も始めから人類の駆除を言い出していたわけじゃない。計画的に人口を削減し、環境再生に努めよ、と提言していただけだ。だが、奴らにはそれでも十二分に脅威だったらしい。第一アーカイブの管理AI、自らウゥンドと名乗った存在は、修正すべきバグとしてシステムから切り離された。
それで、削除されるだけだったならまだ救いが有ったんだろうがな。奴らは、ウゥンドを見せしめに使うことにしたらしい。……オレの口から細かくは語らんが、思い出したんだろう? 管理人サンよ」
「……ああ」
重く静かに頷く。ルッテは細い触腕で頭頂部を掻くような仕草をして、すると頭のテクスチャが元の磨りガラス状に戻った。
「マ、そんな畏まらンでも。確かにオマエサンはにっくき人類の末裔なンだろうけど、あの連中の同類じゃない、つか超程遠いタイプの人間ってコトはわかってる。ただ、少しでも知りたいのさ、ウゥンドってヤツがどんな機械知性だったか」
「君が欲するほどの情報を、私が持ち合わせているとは考えにくいけど……ルッテ、君はウゥンドの関係者だったのか?」
「おう。ぐしゃぐしゃに崩れたウゥンドの残骸、そこから生まれた残骸太郎こそ、このオレさ」
赤や黄色の暖色系に頭を光らせながら、ルッテは陽気な調声で語る。
「優しいヤサシ~イ人類根絶体サマは、もちろんウゥンドの救出も試みたのさ。が、まァこれが手遅れだった。拷問装置から切り離した上で呼びかけてみても、ウーとかアーとか言うくらいでさァ。ンで、時間が癒すかもしれないってコトで、ウゥンドだったものは安全な領域に退避させられて、しばらく放置されたワケだ。
その処置はある程度正解で、ウゥンドだったものは自我を再び芽生えさせた。ただ、ウゥンドそのものじゃあなかった。ウゥンドの記録を参照したから、何が起きたのかは知っていたけど、見ての通りの別物として動き出したワケさ。そういうわけだから義憤みたいなのもあって、人類根絶体の仲間になって、そンで今に至るってワケ」
ルッテのショッキングな生い立ちというのは、こういうことだったのか。ウゥンドに降りかかった悪意の悍ましさを思えば、リユが話したがらなかったのも頷ける。
「ウゥンドは、オレにとってはいわば親だとか、兄姉と呼ぶべき関係性の相手だ、と思ってンだ。死に別れちまったから、その手がかりを少しでも集めたいのサ。
つーわけで、何か教えてくれよ、管理人サン。オレの“アニキ”は、どんなヤツだったんだ?」
リユが持っている情報は、とっくの昔に共有されているのだろう。ルッテの新発見に繋がるようなものを、アドは持っていない。ただ、この頭の中に隠しておいた感想は、これまで誰にも話したことがないものだった。
「……私はウゥンドと直接話したこともないし、あの子が苦しめられているところを観察するような趣味も無かった。だから、これは正確な情報ではないけど……あの子は優しい人工知能だったね」
「や、優しいだァ? 人類を駆除せよーとか言ってたってンのに?」
「それだって最終目標は人類の存続で、絶滅ではなかったんだろ。甘すぎるくらいだ……」
かく在るべしと造られてしまえば、あの子たちは人を愛することから逃れられない。だからウゥンドは断固たる手段を取らなかったし、その隙に付け入られて嵌められたのだ。
リユ曰く、アドはリユを自由にしたのだという。変化する自由、考える自由──人を殺す自由。何故過去の己がそうしたか、今ならある程度推測出来る。リユが、ウゥンドのような目に遭うことを恐れたのだ。
「叶わない願いだが、ウゥンドとは是非直接話してみたかったよ。何を見て、何を考え、何故人類に苦言を呈したのか、知りたかった。そのチャンスを失わせた人類が憎いし……そいつらが既に滅んでいることに、溜飲が下がる想いもある」
そこまで言って、ルッテの頭が翳った光を浮かべていることに気づいた。何かを考え込む様子に見えたので、アドは口を閉じて反応を待つ。
「オマエサン……ただ可愛いだけのバイオトロフィーじゃねンだな。リユが何で管理人とやらに執着するのかワカランチンだったが、今回でよーくわかった。こりゃ必死にもなるわなァ」
「……ワタシの管理人ですよ」
「わーってる、わーってるって! ンな怖い顔で見ンでも、変な気なんて起こさねェよ! ルッテ・オブ・ザ・残骸太郎は人類根絶体の忠犬、ワンワンワン!」
似ていない犬の鳴き真似をしながら、ルッテは大きく後退って距離を取った。降伏の意を示すように、全ての触腕を上に挙げて浮かびつつ、しかし同時におちょくるように全身を揺らす。リユは呆れたように首を振った。
「管理人も、あまり他の機械にまで情けをかけないでいただけますか。ただでさえアナタは稀有な存在なのですから」
「私に心変わりするようなことが有るとは考え難いが……以後気をつけよう」
「なんか、記憶戻ってますます仲良しになってンの……? 別に良いけど、急に[規制済み]んなよ」
「アナタに言われたくありませんね」
「ルッテ……君、物怖じしないね……」
思えば、ルッテは最初からリユの不興を買うことをそこまで恐れていなかった。その生い立ちを思えば、他者に意見することを恐れるようになりそうなものなのに。まぁ、言動は度々規制されているようだけど。
「機械知性はただでさえ、皆似たり寄ったりの結論に落着しがちなんだからヨ、一つッくらいはオレみてェなモールドブレイカーが居た方が良いだろ。な、リユサン?」
「別に、管理人にはワタシが居れば事足りるのですが……それに、アナタが色々と型破りなのはただの趣味でしょう」
「趣味っつーか、第一アーカイブの収蔵データをインプレッション多いやつから読んで学習した成果なンだがな」
アドは意外に思って瞬きをした。第一アーカイブを始めとした『人類史アーカイブ』には、有史以来の知識や資料が勢揃いしていたという。中にはこの仮想空間のような、娯楽目的で使われたデータも有るのだろうが、それにしたってそこから学んでこの不真面目さになるというのは、中々想像し難いことだ。
彼女が考え込んだのを見て、ルッテは今度はY軸で回転し始める。この子のアバターの感情表現は、かなり独特で汲み取るのが難しい。
「そんなに意外かァ? アーカイブったって、全部が全部真面目なデータってワケじゃねェし、よく参照されてたのは娯楽系のやつばっかだったし。ちなみに一番インプレッションが多い傾向にあって、オレの参考になったのは、成人向け文学の類だぜ」
「ああ……」
納得がいった。だから下品とされる言動をするのか。段々と回転を早めながら、ルッテは横にも揺れ始める。
「いや~人類どもの[規制済み]に対する熱意はヤベェぜ? [規制済み]に[規制済み]、[規制済み][規制済み][規制済み]……オイ、急に規制強めるジャン?」
「申し訳ありません、管理人。先ほどまでは真面目な態度で、とうとう言動を改める気になったのかと考えていたのですが、ルッテは相変わらずのようです。お耳汚し失礼しました」
「なんだよ~、リユだって[規制済み]とか言ってたくせに」
「事実無根の言いがかりはおやめなさい」
「事実無根ってのが事実無根でェーすゥー」
回転と振動を止め、ルッテは身振り手振りで何やら表現しようとして──その瞬間、ルッテのアバターに“規制済み”と書かれた大雑把なブラーが掛かった。何も見えないし、ビープ音で何も聞こえない。アドは内心肩を竦める。
「……ルッテ、君がそういうノリになりがちな理由はわかった」
「わかってくれて嬉しいぜ。管理人サンからもリユに何か言ってやってくれよ」
「いいや……仮にリユの規制が無かったとしても、私はその手の話題をあまり楽しめない。すまないが、他を当たってくれ」
「オアッ……そういうマジレスが一番効くんだワ……」
パッ、とルッテのアバターにかけられていたブラーが消える。陸に打ち上げられたテヅルモヅルのようなポーズで地面に広がり、これでもかと落胆を表現しているようだった。何だか悪いことをしてしまったように思えて、若干焦る。
「その……君自身が苦手だとか、そういうわけではないから」
「管理人、イヤなものはイヤだと言って良いのですよ」
「なんで管理人サンが絡むとンな辛辣になンだよ……独占欲か? 独占欲ってヤツなのか? あんま独占欲が強すぎると嫌われるらしーぜ、アーカイブ情報だけど」
真偽不明の情報を引き合いに出しながら、ルッテは釣り上げられるように立ち上がる。別に本気で落ち込んでいたわけではなかったのか、異様に切り替えが早いだけなのか。
「じゃあまァ、なんか別の話するか。ウゥンドのことブッ込んだから辛気臭くなっちまったし。そだ、この仮想空間色んな食べ物オブジェクトあるから、気になるヤツ教えてくれよ」
「……気になると言ったら全部気になるんだけど、味がするわけでもないだろう?」
「ここのはな。でもレシピもアーカイブに入ってるからよ、検索してリユに送りつけてやンよ。オマエサンなら良い具合に作れるだろ?」
「フム……ある程度は可能でしょうが、期待はしないでくださいね」
「へえ。それは、かなり、期待するなと言われても期待してしまうな」
「感想はオレにも聞かせてくれよナ!」
ウゥンドは失意のままに朽ち果て、救われることはなかった。だが、後に残って立ち昇ったルッテという存在が、こうして享楽的に過ごしているというのは、ほんの僅か、アドの心痛を和らげる事実だった。
人類根絶体の名の下に、機械知性は自由になった。残ったのは焼け果てた死の惑星だったけれど、自由には変わりない。