#3 ローゼンハイムの夢
セバスの職業は執事。農村生まれの青年です。
容姿が気に入られお屋敷で働くようになり、雑用兼執事見習いからいまでは仕事を取り仕切る執事長となりました。
「セバス」は彼の本名ではなく、このお屋敷で呼ばれる名前です。
旦那様からは信頼を置かれていて、セバスは確実にこのお屋敷の歯車の1ピースになっていきました。
セバスは今年34才。寡黙な性格で毎日仕事に追われていました。
セバスは規則正しい生活が好きで、キッチリとしたシャツやシワのないテーブルクロスを見た時は嬉しくなりました。
けれども、いまの仕事が大好きなわけではなく、所帯を持つこともしませんでした。毎日の生活は面白みはないけれど満足していました。
ヴェネツィアはこの辺では大きな港街で貿易が発展しています。水路が発達していることから、水の都と言われていました。
お屋敷の広い部屋の窓から街を見下ろすと、遠くにはキラキラとしたアドリア海が見えました。
海を見ていると、穏やかだけど何か物足りない。何のために生きているのか。
本当の自分で生きたい。誰かに命じられるのは嫌だ。そんな小さな抵抗が湧いてきました。
すると窓の下を流れる水路に、一艘のゴンドラが止まりました。ゴンドリエーレ(漕ぎ手)はこちらを見て手招きしています。
そのゴンドリエーレは舞踏会へ行くような仮面をつけていて、顔は見えませんでしたがセバスを呼んでいるのは間違いありませんでした。
下へ降りていこうとすると、不思議なことにセバスはなんとも言えない甘い花の香りに包まれ、一瞬で睡魔に襲われ床に倒れてしまいました。
「立ってられない。まだ、仕事中なのに」
「・・・ローゼンハイム」誰かがセバスの本名を呼びました。気がつくとそこは真っ暗な場所でした。
だんだん目が慣れてくると、遠くに映画のスクリーンが現れ、そこには農園で暮らしていた頃のセバスがいました。
過去のセバスは自由に、木の上から太陽が沈むのを見たり、牛や馬達の世話をしながら日々過ごしていました。
「戻れるなら、あの頃に戻りたい」
目が覚めると、セバスはお屋敷のベッドの上にいました。仕事仲間が心配そうにセバスを見つめています。
「少し疲れがでたのね。あなたは仕事のしすぎだから今日は休みなさい」とメイド長が言いました。
セバスはその言葉を聞くと、安心してため息をつき、また深い眠りについたのでした。
もう、あの農園へは戻れない。でも、いまいる場所も何か違うと感じている。ならばどうしたらいい?
「ローゼンハイム、何か心がときめくものを探してごらん」仮面のゴンドリエーレが現れて言いました。
「いま君に足りないことは遊びや楽しみだよ」
「君、わりと何でもひとりでできるタイプでしょう?」
「楽しみって、みんなで分かち合うものだよ」
「そこから、夢が広がるんだよ」
「さぁ、恐れずに」と言って、
仮面のゴンドリエーレは手招きをして、セバスを舟の上に乗せました。
ゴンドラの行き先はこの街一番の舞踏会が開催されるダンスホールだと説明されました。
「さぁ、この仮面をつけて一夜の夢を楽しんで来てはいかがかな」
「その容姿と寡黙な雰囲気はご婦人方に受けが良ろしいかと思うのだが」と言うと
仮面のゴンドリエーレはセバスに入口へ向かうよう促しました。
扉を開けるとそこはきらびやかなダンスホールで、
大勢の人々が様々な衣装を着て、会話を楽しんだり、お酒を飲んだり踊ったりしていました。
「なんだここは」
セバスはホールへ入って行くと、テーブルの上にある一輪の薔薇の花に目が止まりました。
「この甘い香りは、どこかで…」
甘い香りに包まれ意識を朦朧とさせながら、進んで行くとある部屋に辿り着きました。
それを見たウエイターが、慌ててセバスに駆け寄ってくると、
「普通は舞踏会に魅了されて、この部屋までたどり着く方はいないのですが」と言いました。
「この部屋の扉を開けますか?」隣にウエイターがやって来て耳元で囁きました。
「ここには、あなたが望む未来があります」
セバスがうなずくと、ウエイターはスパークリングワインをグラスに注ぎセバスに持たせました。
「ローゼンハイム様の未来に乾杯!!」と言いながら、扉を開けました。
目が覚めると、朝になっていました。
夢の中で見た扉の向こうの景色は、
農園で見たあの夕陽でした。
ローゼンハイムは決めました。
ここで働いたお金で牧場を始めよう。
そして家族をつくろう。
ローゼンハイムには、
心がときめくような夢ができました。