第8話 王妃の覚悟
「おそらく、逃走劇は過酷なものになると予想されます故。しっかりと紐で固定してください」
乗馬した兼昌に案内を受けるシオン王妃。
不安な表情を見せないように、無言で言われたとおりに自分の体と兼昌の体が離れないように紐で二人を結び。
結び目を兼昌に託す。
シオンは、円錐型の塔が複数建っている、霞みがかった青色を貴重とした城を振り返る。
この城門を出れば、おそらく数日戻ってくることはない。
そして、自覚する。
自分は、この高い城壁に守られて、育てられたのだと。
初めて、この城に来たときのことをシオンは思い出す。
馬車に揺られながら、この城へ入場し、父の兄。つまりシオンの叔父に当たる人物が亡くなり、代わりに父が王位を継承することになって、この城に訪れた。
幼かったミレイは父親を亡くし、私が義理の姉となり、私は妹のようにミレイに接してきた。
ミレイは、今も私のことを姉として受け入れ、お互いに親をなくした私達は、なんとか、この国の運営をしている。
シオンは、村上幽連と一緒に作戦に出たミレイを心配しながら、私は、私の役割を全うしなくてはと、前を見据える。
「城から出るぞ。良いな」
兼昌はそう言うと、馬を走らせる。
片手に手綱を引き、片手に長柄槍を持ち、ものすごいバランス感覚で馬を操っている。
シオンはその動きに感心しながらも、自分は振り落とされないように、兼昌にしがみつく。
いくら、縄で固定されていたとしても、怖いものは怖い。
今まで、馬車は乗って考えたことはなかった。こんなに馬の上は揺れるのかと、シオンは驚く。
しばらく、城の裏庭に位置する森を移動しながら、思う。
自分は、城の外に出たことがなかったと。
そして、これから潜むであろう。獣人の国と自分の国の狭間はどうなっているのかと、考えた。
自分の知らない世界に踏み込むことは、怖くはあるが、自然とワクワクしてきて、みんなが必死に戦っているのにも関わらず、自分だけこんな思いをしてよいのかと、少し、申し訳がない気分になる。
そんなことを考えていると、目の前で馬を操り、無言だった兼昌が口を開ける。
「貴方にとって、国とはなんでしょうか?」
なんで、そんな質問をするのかと、シオンは不思議に思う。
「大切な民たちが暮らす国。常に性の対象に晒されるサキュパスたちにとっては、必要不可欠なものよ」
なるほど。兼昌は、感心した声をあげる。
「私の暮らしていた世界でも、常に虐げられる対象は存在した。特に価値観の違いは大きな戦禍を生むことを繰り返してきた。」
兼昌はそう言うと、続けて話す。
「我らの殿は命がけで、そなたの国を守ろうとしている。自分の国ではないのに。もちろん、我らその決断についていくだけだが」
そして、少し間を開けて、告げる。
「そなたは、命を賭してまで、この国を守る覚悟はあるか?この国は、本当にそなたが、存命であれば存続するのか?そなたは、この国を亡くして本当に生き残れるのか?」
「そんな、はずはないわ。この国は、サキュパスの為の国であり、私の国でもある。決して、私と国の関係が逆転することはないわ。私が生き残るのは、今、戦う民たちの象徴を失わないためでは、あるけど、それは、決して、私がいるおかげで国があるという関係ではないわ」
シオンは、兼昌の問いに、今答えることができる。自分なりの言葉を返す。
そして、兼昌は少しずつ馬の速度を上げだした。
うわっ
シオンは、ゾワっと感じた一瞬の恐怖に緩みながらも、必死に兼昌にしがみつく。
「その覚悟があれば、問題はない」
兼昌は、風切音と蹄が地面を切る音を加速させる。
そして、シオンは、恐怖でしがみついていた背中から、顔を離す。
シオンの背後で小さくなっていると思っていた城の面影は気づけば、自分の左側にそびえ立ちどんどん、距離が遠のいていく。
そして、兼昌の背中越しに前を見る。
森に囲まれた風景はそのまま、しかし、思っていた風景と違和感を覚える。
「ちょっと方向あってるの?」
シオンは焦って、無言の兼昌に答えを求める。
先程の会話の意味を求める。
「もともと、直政には黙って連れて行くように言われていた。だが、そなたの心意気は我が殿に通ずるものがあると感じた」
地響きの音が近づいてくる。城を揺らしていたと思われるその重量のある音に先程まで聞こえていた、馬の蹄が地面を蹴り上げる音はかき消される。
徐々に森に囲まれていた視界が広がる。
「そなたは、己の民に誇れるように、進んで性の対象に晒されよ。そして、力強く民を引っ張るのだ。」
兼昌は、更に速度を上げる。ゴブリンと思われる重低音の獣の声が前方から響き渡る。
シオンは覚悟を決めた。
「この藤堂兼昌。この身を賭して、シオン王妃。そなたを守り抜くことを誓おう」
兼昌は、そう叫ぶと、一気に森を抜けて、平野に躍り出た。
シオンは目の前に迫る光景に驚く。
そこには、ゴブリンのおよそ5000の軍隊が行軍をしている途中だった。
ちょ、ちょ、ちょっと待ってぇぇぇぇ。
シオンは叫ぶ。
そんな声を待たずに、手綱を手放し、その鍛えられた体幹で長柄槍を両手に構える。
馬上から、ゴブリンの頭部が迫る。
ふんっ。
兼昌は唸り声とともに、長柄槍を振りかぶる。
馬の走る速度を乗せたその斬撃は、鋭くゴブリンの頭部を刳りこんでいく。
シオンが頭上を見上げたときには数体のゴブリンの頭がシオンの頭上を舞っていた。
嘘でしょ。
シオンは、振り落とされないように、兼昌にしがみつきながら、様子を伺う。
しかし、その読めない動きにシオンは混乱する。
おそらく、今、右翼から中央に向けて、切り込んでいる。
しかも一騎単独で。
終わりのない戦いに挑むというのか。
この身を賭して、守り抜く。
その言葉の重みを感じる。
シオンがそう考えている間にも、数十体のゴブリンが切り伏され、長柄槍でなぎ倒されていく。
これだけでも大変なのに、あえて目立つように兼昌は叫ぶ。
「そなたたちの目的の者はここにおるぞ。さぁ、我らを止めてみせろぉぉぉぉ」
え、なんで。
シオンはその言葉が発された瞬間、身の毛が逆立つ感覚に襲われる。
周囲のゴブリンがざわめき立つ。それは噂話のようにすぐに伝わり、ゴブリンの目が一斉に私を向く。
黄色の目をした、歪んだ表情をしたゴブリンたちが、私に向かって走り込んでくる。
走っているせいか、後ろから叩かれることはない。でも、兼昌に向かう敵は、以前にも増して増えた。
兼昌の槍術がどんどん速い型に切り替わる。
大振りだった槍術が突きをメインにした槍術に切り替わる。
す、すごい。
シオンはその速度に自分の目を疑う。
この人は、人間の身でありながら、どれほど鍛錬を繰り返して強くなったのかと。
しかし、その勢いを殺すように前方から地響きのような叫び声が聞こえる。
巨人級のゴブリンがこちらに気づいたのだ。
数里先に構えているはずが、巨人級のゴブリンが走り込むと、一歩が大きくあっという間に近づいているように感じる。
これでは、間違いなく馬もろともなぎ倒される。
瞬く前に巨人の手で払う攻撃は近づいてくる。
大きな指先がシオンたちめがけて襲いかかり、今にも襲われそうな感覚なる。
シオンは全身を身震いする。本当にこれで終わりなのかと。
大好きなミレイについて、唯一残った家族であるミレイについて、考える暇もなく、その攻撃は襲い掛かってくる。
うっ。
襲いかかる直前、全身でその風圧を、兼昌越しに感じる。
怖くて、全身から冷や汗が吹き出る。
怖い。
死にたくない。
死を感じたその間際。ガタガタ体が震えだす。
身体が微かに抵抗していた。
全身のコントロールが効かずに、小便が漏れていることにも気づかず、シオンは自分の意識が飛ばされない事のみに集中する。
命途切れるその瞬間まで、生き抜いてみせると。
シオンがそう、覚悟をした瞬間、兼昌が叫んだ。
「幸長。任せたぞ」
「ハッ」
幸長と呼ばれる。前方で待ち構えていた家臣団の人影が見える。
幸長の隣には、先日の牝馬撹乱作戦から戻ってきた美女の一人。
サキュパスのアンナが手を繋いで構えていた。
アンナは転移の魔法を発動させ、二人の姿が消えたかと思うと、私達の前に宙に浮かんで現れ、眼前に迫る巨人の指先に対して、腰にぶら下がった大きな刀を抜刀する。
太刀の中でも刃長が長い大太刀を選んだ幸長。
その刀の大きさはちょうど、巨人の指一本を落とせるサイズの刀だった。
そして、一番力がかかりやすい腰反りの武器。
幸長は大太刀でも、巧みな才覚で、巨人の指先に剣先が接触した瞬間。
体を軸に腰反りの大太刀の湾曲した部分を起点に力を込める。
腰反りの刀は、反りの湾曲点が一番柄に近い刀で、力がかかりやすい。
振りかぶる速度は一瞬だった。
一瞬で触れる予定だった指先5本飛ばすと、その落ちる肉塊を兼昌が長柄槍が弾き飛ばす。
シオンが安堵する隙もなく、馬の速度は増して、姿勢を低くし、巨人の足の間をくぐり抜ける。
幸長は、指を一刀両断したあと、今度はアンナとゴブリンの頭上に転移する。
そして、抜刀したままだった大太刀を両手で構え直す。
瞬間、二度転移したアンナが大太刀の刀芯に触れ、形状を腕をも両断できる刃長に変化させる。
「うぉぉぉ」
幸長の力む声が聞こえたあと、地面を揺らすほどの重量物が落ちる衝撃音をシオンは背中で感じた。
「さすがだな。我々も負けてはいられないな」
兼昌はそうつぶやくと、一気に前方にいるゴブリンを切り伏せ、馬をその場で止め、二人を繋げていた縄を懐の短刀で切り落とす。
え。シオンが驚いた声を上げると、兼昌はシオンの方を見て言う。
「さすが、ゴブリンも野獣。そなたの匂いに大軍が反応している。見直したぞ」
周囲に見渡すと、波のような形状で群れを為し、一気に襲い掛かってくるのがわかった。
一匹が大軍になると、目を疑うような虚像を作り出す。
シオンは迫りくる緊張感と、匂いという言葉に思わず、自分の股間を触り、自覚する。
あ。ぁぁ。
シオンは顔を赤くして、その濡れた自分の服を触り、少しでも握るとまた溢れてくる液体が漂わせる匂いに嫌悪感を抱く。
しかし、状況は待ってくれなかった。すぐさま、兼昌の声が聞こえる。
「馬に担がせている筒の紐を引け。狼煙が上がる。そうしたら、すぐに馬の腹の下に身を伏せろ。弓矢の雨が来る手筈だ」
シオンはすぐにでもその大群に飲まれそうな状況に、手を震わせながらも、筒を手に取り、地面に筒を立てて紐を引く。
すると、筒からは火薬が弾けた音が鳴り、黙黙と勢い良く煙が吹き出した。
そして、左翼の方からほら貝の音がなったかと思うと、頭上に無数の黒い点が広がった。
やばい。
シオンはすぐさま、馬に身を潜めた。
弓矢の雨が馬の腹の隙間から見え、地面に突き刺さる様子を知ることができた。
そして、安堵の息をつくとともに、兼昌のことを思い出す。
「兼昌!」
シオンがそう叫んで、馬から出ようとすると、決して、出るな。と兼昌の声が聞こえる。
兼昌は長柄槍を傘のように振り回し、弓矢の雨を塞いでいた。
シオンは後悔した。
転移で兼昌のことを助けられないことを。
魔力を貯めることを今まで、してこなかったことを。
ミレイの取り計らいを断り、初めて会った村上幽連に対して、無礼なことをしていると、考えもせずに、断ってしまったこと。
バカだ。私。
シオンは後悔をした。
そして、数時間続くこの矢の雨の中、兼昌の無事を祈った。
それしか出来なかった。
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