行き先は
ここはどこ?
「ここは法務局だよ。」
ガラス張りされたコンクリートベースの建物のようだ。透明と不透明で一見対照的に見せるおしゃれな箱だが、私にはどちらも冷徹な印象を与えるという点において同じに見えた。無生物だから暖かさを感じないというのも不思議ではないのだろう。
「法務局?ここで何を・・・?」
「李ちゃん・・・」
白は勝手な李に対して半ば呆れているように見えた。彼女は私をここに連れてきた意図が分かるのだろうか。
「戸籍登録、してないだろ?」
私は戸籍登録なんてした覚えがない。というか存在すら知らなかったくらいだ。
小学生の頃に、国籍の話題が出たような気がする。・・・あれは社会の授業が終わって大好きなわかめごはんが献立になった頃だろうか。
・・・
あまり覚えていないが、外国出身の友達が日本に籍を変えるのに苦労したみたいな、戸籍は持ってて当たり前すぎて実感できなかったとか、そんな話をした気がする。
その時、私のおなかから呻き声が鳴り響いてきた。
おなかすいたな。わかめごはん、もう食べられないのかな・・・。
考えすぎていたようだ。気が付いたら、私たちはすでに生気のない建物の中に入り込んでいた。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか。」
そこには、温厚な対応を見せる白髪の受付嬢がいた。
「今日は、この子の戸籍をそちらに記載したくて・・・」
李が率先して応対してくれている。私は黙っているだけでよさそうだ。
「戸籍登録ですね。わかりました。」
受付嬢は私の顔を見ている。というよりかは、頭を見ているような印象だ。
「そちらが、今日戸籍を登録する方ですか?美しいヘアピン、してますね。お似合いですよ。」
美しいヘアピン・・・
私は意図せず彼女の言葉を反芻する。
美しい。美しい。美しい・・・
美しいは、この世でもっとも醜い言葉だ。
私の嬢に対する憤りが収まらなかった。なぜ私を「美しい」などと形容するのか。
私は嬢に殺意が沸いて今にも吹き出しそうであった。どこから湧いてきたか分からぬ剣を手に取り、奴を斬ることにした。
すると、誰かに羽交い絞めにされたのか。前に進めなくなってしまった。
「やめて!在ちゃん!いきなりどうしちゃったの!?」
どうやらすぐ後ろに白がいたようだ。後ろで喚くな、うるさいから。
「登録の方は私がやっとくから、在は任せたぞ!」
邪魔をするな、李。私はあの女を消さねばならぬ。あの、女、を・・・
意識が途切れる瞬間、頭がひどく揺れた気がした。
「——ちゃん」
何かが聞こえてくる。白の声?
「在ちゃん!」
私ははっきりと目覚めた。法務局のときの負の感情が、嘘のように消えていた。固い土、花壇、周期的な木々、ベンチ、白。視界の中で、私の知っているもの達が知らない配置で並んでいた。
「何か、あったの?あの行動、おかしい。」
白の声は震えていた。
「あの行動?」
「ヘアピンを褒められただけなのに、受付の人を斬ろうとしたでしょ!?」
「あぁ、あいつか。あれは私に『美しい』と言うのが悪い。」
「どうして?『美しい』っていい言葉でしょ?」
「そうだね。私も美しいものには美しいって言いたくなる。」
「だったら!」
白は私の襟をわしづかみにした。優しい声の中に鬱憤が見え透く。冷たい手の中に怒りが煮えたぎっている。彼女には私がわからないようだ。相変わらず私はありのままを言語化することにした。
「私は自分に『美しい』と言われるのが苦手なんだと思う。」
「どうして?」
彼女の熱意はまだまだ冷めない。どう答えるのがいいのだろう。私は記憶を巡らすが、心当たりが全くなく、もはや無知を通す他なかった。
「わからない。」
「過去に何かあったの?」
「覚えてない。」
彼女はあきらめたのか、あきれたのか。私を掴んでいる手を離した。
「・・・私はあなたを信じたい。けどやっぱりさっきの行動はおかしい。」
おかしいと言われるとそうなのかもしれない。言葉ひとつで殺されかけるなんて。
「終わったぜ!」
馬鹿でかい声を発しているのは李だ。どうやら事は済んだらしい。
「お疲れ様。在ちゃん斬りかかっちゃったけど、大丈夫なの?」
「大丈夫だったよ。私たちに寛容で助かったよ。ほんと。」
「そういえば私たちはどういった存在なの?」
「ん~。私ここに来てあまり経ってないからな。白、説明できる?」
「わかった。」
私は白の説明を聞いた。どうやら私たちは世間ではanomariaと呼ばれているらしい。通常の人間にはない能力、奇妙なヘアピン、女性にしか表せない特質から、anomaly(異常)とmaria(海外の女性名)をもじって名付けられたのだそう。そして、私が『美しい』という言葉に過敏な反応を見せたように、anomariaは何かしら精神的な疾患を抱えているとのことだ。
杏が倒れていたのも、彼女がanomariaだからなのかな。てことは白や李も・・・
「話を聞いている限りだと、白も李も精神に異常があるんだよね?どういう病なの?」
「それはお楽しみってやつさ。ねぇ、白?」
「う、うん。」
何かしらの病があることは認めている?
「なんか、ごめん。」
「無理もないよ。でももし私たちが辛くなってたら世話はしてね!」
「辛くなってたらね〜、李が病んでるのあまり想像出来ないけど。」
表ではこう言ってるが、他人の看護をするために行動が制限されるのは嫌だな。
「あっ、そうだ。これを渡し忘れたな。」
李が自分のリュックからおもむろに黒いまな板のようなものが取り出され、私の方にやった。
「これは・・・?」
「これはIqadってやつだ。この前タブレット状の端末ひとつでいろいろなことができるって言ったろ?」
「そんなこと聞いた気がする。」
「それがこいつだ。」
私は突然小学校の時に出た宿題を思い出した。1桁の足し算が印象的な小学一年生の頃だったか。習い事に追われていた私は、時間の一秒一秒が惜しかった。それゆえ、宿題が出来ずに怒られたのだ。
説明が遠回しすぎたので順を追って言い換える。私はあまりに窮屈なスケジュールの下、学習机と面を向かって宿題をする時間などなかった。大抵は、仲のいい友達に休み時間の時に移して貰ったりした。しかし当時は計算問題100問と来た。休み時間を捻出した程度ではとても終わるような面倒事ではない。私はタブレット状の端末を風呂場に持っていって、風呂と宿題を同時に終わらせることにしたのだ。小学校の頃、読み書きは全てこの電子機器で済ませていた。風呂場にタブレットを持っていった私は、その存在を忘れて豪快にシャワーを浴びてしまった。その雨のせいで、電気で動く板は破壊されてしまい、私は悲しみの雨を流す羽目となった。
私は義務教育が与える教養のため、そのような電子機器が使用されていると言った認識だった。故に、それが農業などものを作れる役割を持つなんてとても考えられなかった。
「嘘でしょ。こんなのがどうやって?」
私は即座に李を疑ってしまった。しかし、李は顔色を一切変えずに話を続けた。
「嘘ついてると思われるのも仕方ないか。」
そう言うと彼女は私にIqadの起動方法、初期設定を教授し、農作物を育てるアプリをつけた。
彼女の説明は分かりやすく、丁寧だった。教えることは少なくないはずなのに、一つ一つの事項をまとまり良く話せる彼女には、同じ日本語話者として尊敬したい人であった。
「よし、これで作物が出来たかな。この『配送』ボタンを押すと、数日後に自宅に野菜が届く。試してみるか?」
「うん!」
私は意気揚々とそのボタンをタップした。
「初心者なら大体1日懸命に作って、一個出来ればいい方だな。」
私は李の発言につられて時計を見た。
「今30分くらいしか経ってないけど。」
「多分チュートリアルだからだよ。本来なら水害とかあったり、害虫に食われたりしてまともに育てられたもんじゃないよ。」
「ゲームの世界でそんなのあるの!?」
かなり不親切な設計だ。変に夢を見て損した気分だ。
「そうだ。お腹空いてきたし、そろそろうちでご飯でも食べないか?杏が支度する頃だろう。」
「杏?彼女はぐったりしてるんじゃ・・・」
「杏さんなら、もう治ってると思うよ。」
しばらくすると元気になるとは言ってたけど、ここまで早く完治するのか。身体的になにか不便があるわけじゃないんだね。
「決まり!飯だ!」
李は夏に移ろった。




