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「ったくいい加減にしてくれよな!」


それは威勢のよい、少々乱暴者のこどもの声のように聞こえました。


辺りには動くものとてなく、ただ静かに夜が更けていくばかり。


声を発するものの姿は見えません。


ましてこどもとなると、もうこの世の存在とは思われません。


少女はそう考えましたが、それは確かにその通りで、声は鹿の口の中からしていたのです。


とはいえ、鹿が喋っているのではありません。


「どいつもこいつも勝手なことばかり言いやがる」


キーキーとわめき声を上げながら、鹿の口をこじ開けて何か黒いものが這い出してくるのを少女は見ました。


這い出てきた黒い塊には手足があり、顔がありました。


よく動く舌もついているのでしょう。


その姿は人間に似ていました。


その大きさを除いては。


「おい、娘」


雪の上に降り立ったそれは、みるみる大きくなると、少女を見下ろして言いました。


「お前がこの毒を喰らうなら、俺様がお前の弟を助けてやろう」


「助けるとは、具体的に?」


用心深く、少女は訊ね返しました。


「あなたが弟の病気を癒やし、老人になるまで健やかに生きることを保証できるのですか?」


もし弟が助かるのなら、自分がここで息絶えても悔いはありません。


ですが、助けるというのが苦痛を緩和するために死期を早めるということでは困るのです。


果たして、この得体の知れない者を信じてもよいものでしょうか?


「お嬢さん、耳を貸してはいけない」


鹿は警告を発し、苦しげに呻きます。


けぽり、と音がして、先程食んだ草が吐き出されました。


少女は鹿の首をさすってやりながら、その瞳を覗き込みました。


青く深い、星空のような色をした瞳です。


「それは、死だ。きみのような若者が近寄ってはならない」


「死?」


「いかにも俺様は死だ。ずっとここにいて、ここで生き物が息絶えるのを幾度も見てきた。俺が死を与えてきたのだから当然だが」


少女は、鹿の震える体を撫で続けながら、それはどんなに寂しいことなのだろうと考えました。


今まさに死なんとする鹿を前に痛む少女の胸が震えました。


「本当に弟を助けてくださるのですか」


「俺はもううんざりなんだ死を与え続けるのは。お前がここで毒を飲み俺に成り代わって新たな死となるのならば、俺がお前の弟を生かしてやる。健やかに年老いるまで末永く」


本当に、信じても良いのでしょうか?


少女には最期までわかりませんでした。


それでも。


「いいでしょう」


少女は鹿の食べ残した薬草を無造作に引きちぎると、すっくと立ち上がり死に対峙しました。


弟を助けるという言葉を信じることはできませんでしたが、少女は彼のもううんざりだという言葉を信じたのです。


「私がお前に成り代わり、お前を死から解放しましょう」


そう言うと、少女はむしった草を一息に口にいれました。


「愚かなことを……」


鹿の悲しそうな声が聞こえた気がしましたが、それきり少女の意識は深い闇に沈み、続いて彼が何を言ったのかを彼女が知ることはありませんでした。

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