戟 ~呪い/ 03~
神水会事務所に「葉月」の姿は無かった。
途方に暮れる佐伯であったが、
彼を追いかけてきた女性スタッフから
「葉月からの伝言」だという、
一枚のメモを受け取る。
葉月が残したメモに記されていたのは
祓衆の本部の所在地であった……
12時40分。
メモに書かれた住所が同じ京都市内の番地であった事から、目的地までの経路を確認するため、途中で見かけた観光案内センターを訪ねてみる。受付の事務員の男の話によると、住所の場所は〝比叡山の中腹〟にあたるらしく、八瀬駅から叡山ケーブルで山中に入り、そこから険しい山道を徒歩で進む事になると言う。
佐伯は男に頼んで目的地周辺の地図をコピーしてもらうと、その足で受付の脇にあった公衆電話に向い、持っていた小銭を全て投入する。
「?」
メモに記された番号にダイヤルするが、先方の反応が無い。というか、呼び出し音すら流れない奇妙な無音状態が続く。
「あのー、これ。……電話、壊れてるんですかね?」
佐伯は受付に向って大声で尋ねてみる。
「いやー。さっきもお客はんが普通に使こうてたし、壊れてはいないと思うよ」
男がこちらに身を乗り出し、即答で返してくる。
佐伯は首を傾げながら117をダイヤルする。
――12時58分30秒を……――
時報の自動音声が鮮明に耳の中に響きわたる。
「なんだよ。繋がるじゃないか……」
佐伯はメモの数字を慎重に確認しながら再び同じ番号にダイヤルする。
が、先ほどと同様に呼び出し音すら聞こえてこない。耳に入ってくるのは「サーーッ」という微細な電子音のみであった。
――……メ…………コ…………シノ……………ワ………――
「!」
電子音の向こうに僅かではあったが一瞬何かの会話のような音声を拾い、佐伯は驚いて暫く自分の聴覚に全神経を集中する。
――サーーーーーーーーーー………………――
そのまま電子音に2~3分耳を傾けるが、受話器の向こうからは何も聞こてはこない。
「気のせいか……」
諦めて受話器を置き出口ドアに向かう佐伯に、後方から受付の男が声をかける。
「あー、ちょっと!」
「……何でしょう?」
「今日はこれから夜にかけて結構な雨になるって。そやから山に入るんなら今日は止した方がいいよ。あと、クツ……。そりゃぁアカン。運動靴にかえた方がええなぁ」
男は苦笑いしながら佐伯の履き古した革靴を指さした。
「あ、……ああ、なるほど。……ご忠告ありがとうございます」
センターを出ると確かに空模様は先ほどより暗さを増しており、小雨がパラついていた。
佐伯は丁度目に入った対面の靴屋方向に早足で駆けて行った。
19時。
観光案内センターの男が言ったように、雨は夕方前には本降りになっていた。佐伯は駅の近くに宿を取り、ロビーに設置してあるTVに映る天気予報士のことを先ほどから険しい表情で睨みつけていた。TV前のソファで同じように画面を眺めていた滞在客とみられる小柄な老人が、こちらに話かけているのか独り言なのか、何とも判断しずらい微妙な声量で小言を言っている。
「まったく、近頃の天気予報はちっともあてにならんね。今週はずっと晴れだと言うとったのに……台風か何かが来とるなら分かるが、なんじゃい、この大雨は」
確かに彼の言うとおりだった。翌朝から比叡山に入ろうと靴まで新調してしまった佐伯も、いたたまれずについ老人に話しかける。
「あした比叡山に入ろうと思っているのですが、この雨が続いたら無理ですかね?」
老人は初めて佐伯の方に視線をやると、何かを払うように眼前に差し出した右手を左右に振りふり、呆れ顔で答えた。
「あむない、あむない!……雨がふっとったらやめーな。そんなの」
「ですよねぇ……」
佐伯は、我ながらおかしな質問をしてしまったなと思いつつ、頭をかきながら画面の方に視線を戻す。
――そうだ――
ふと、昼間に普通だった祓衆本部の事を思い出した佐伯は、ソファからすっと立ち上がり、受付の備え付け電話に小走りで歩みよる。
「これ、使って良いですかね?市内にかけたいんですが」
「あ~。どないぞお好きに使こうておくれやすー」
無人の受付の奥の方から係員の返答が返ってくる。佐伯はポケットにねじ込んでいたメモを確認しながら、再度書かれた番号にダイヤルする。
――プルルル……プルルル……――
「かかった」
昼間は完全に無反応であったその番号から、通常の呼び出し音が聞こえ佐伯は少しホッとする。
――カチャッ――
数回の呼び出し音後、誰かが受話器を取る。佐伯は慌てて言葉を切り出した。
「あ、もしもし!……私、集敬社の佐伯と申しますが、葉月さんにお取次ぎいただきたいのですが……」
「………………」
「もしもし!………聞こえてますか!?」
「………佐伯さん……ですか?」
電話から聞こえてきたのは明らかに聞き覚えのある、神経質そうな低く細い声色であった。予想外の展開に佐伯の声のトーンが自然に上がる。
「え?……葉月さん?……葉月さんですね!いやー良かった。今日、教わった事務所のに直接行ったんですが追い払われてしまいましてね。一時はどうなる事かと……」
「佐伯さん……あなた、やはり京都に………いやダメだ……今はタイミングが悪すぎる」
「え?…………ダメって……一体何が駄目なんです?」
佐伯は葉月の意味不明な言葉に一瞬動揺するも、返す刀で問い返した。葉月は、まるで近くの誰かに聞かれないようにしているかの如く、囁く様な声で返答する。
「首が……首どもが来てるんですよ………私にくっ付いて、こっちに来てるんです」
「首!?………それってまさか、ごろんぼうの……」
――ブツリ!――
言葉の途中で電話は突然切れた。
「くそっ……大事な所で、なんだってんだ」
佐伯は、慌てて同じ番号にリダイヤルする。
――プルルル……プルルル……プルルル……プルルル……プルルル……――
呼び出し音だけが冷たく繰り返される。
佐伯は一度受話器を本体に戻し、十秒ほど待った後、再びダイヤルに指をかけた。
――プルルル……カチャッ――
今度はすぐに受話器がとられた。
「良かった。突然切れたから何かトラブルでも起きたのかと思いましたよ」
「は?………お宅、どちら様ですか?」
電話から聞こえたのは葉月ではない別の若い男の声だった。佐伯は気を取り直して言葉を紡ぐ。
「これは失礼しました……私、東京の出版社……集敬社という出版社の佐伯と申しますが、今しがた電話口に居られた葉月さんに代わってもらえますでしょうか」
「葉月やて!?………あんさん今、葉月はんと電話してたと?」
「はい。ほんの1~2分前に」
「そない馬鹿なこと!……あん人は今、昏睡状態〇×た△×××……ブツリ!」
電話は、またしても突然切れてしまう。
「今、昏睡って言ったよな…………昏睡状態?……葉月が?……」
――聞き違いだ――
急激に速まる自分の鼓動を強引に制御し、気持ちを切らさず再リダイヤルする。
「こんなバカな……」
佐伯は番号違いが起きないよう慎重に確実にダイヤルした。だが、昼間に電話をした時と同じ様に、受話器の先からは全く音声が聞こえなくなっていた。そしてその後は、何度電話をしても、その番号だけは完全な無音状態が続いた。
「やはり現地に行くしかないか」
佐伯は電話連絡を諦め、天候の回復を願いつつ早めの床についた。
7月5日 7時。
部屋のカーテンを開けた佐伯の表情が少しほころぶ。
先日の雨はすっかり止み、空を覆う雲の端々からは日の光が漏れている。佐伯は、あちこち小さく傷付き、踵のすり減った古い付き合いの革靴を部屋のゴミ箱にポイと放ると、先日購入した濃茶の運動靴の紐をキュッと締め直す。
「この天気なら大丈夫だな」
そそくさと身支度をし、受付で会計を済ませていると、丁度エレベーターで降りてきた先日の老人が笑顔で話しかけてくる。
「これなら行けそうやなぁ」
「そうですね。天気予報でも昼には晴れるって言ってますし」
佐伯の発言に老人は顔をしかめる。
「予報はあかんて。予報は……ああ、あんた、お山ん行き方は分かってるん?」
「たしか、八瀬駅から叡山ケーブルですよね」
「分っとるねー。まぁ、昨日の雨で道は滑るやろから気を付けて」
「ありがとうございます」
佐伯は老人に軽く会釈をし、旅館を後にした。
9時20分。
京都駅から列車を乗り継ぎ、叡山本線で八瀬駅に到着した佐伯は、ケーブルの発着場へと歩みを進めていた。空模様は快晴とまでは言えないものの、雨の気配も全く無い穏やかな状態を保っている。こじんまりとした駅建物に足を踏み入れた佐伯は、切符売り場の窓口に張られた張り紙を見て唖然とする。
〝落雷の影響で運休中。昼には運行再開予定〟
「ツイてないな、全く……」
ポケットから出したタバコを一本口に銜え、受付に背を向け一旦外に出ようとする佐伯を駅員姿の若者が呼び止める。
「お客はん。配電盤復旧したらしいんで、すぐに運行再開できそうですわ。列車ん中でお待ちおくりゃす」
若者はそう言いながら、張り紙に必要以上に大量につけてしまったテープをカリカリと剥がしている。
――いや、これはツイてたか――
佐伯は手早く乗車券を購入すると、斜面に面して微妙なひし形を成している独特な形状の一両列車に乗り込んだ。
列車最後部の横長のシートに陣取った佐伯は、上着のポケットから愛用のメモ帳を取り出し、以前、京都の喫茶店で葉月と交わした会話が記された箇所を再確認する。
・祓衆=江戸末期から続く政府お抱えの呪術集団
・怨霊の封印の儀式には『生贄の札』と『絶界の札』という2種類の札が使われる
・大怨霊の正体は「尊徳の御心体」なる物で、祓衆本部に存在する?
呪いを解く為に必要な情報を頭の中で再度整理してみるが、やはりどうにもチンプンカンプンで合点がいかない事だらけであった。そして未だに引っかかるのは、葉月が別れ際に言った言葉だった。
「〝何かあった時は『舟越ケイコ』を訪ねろ〟か……強力な能力者の娘だって事は分かったが、事件当時は小学生位の子供だよな。そんな子がなんだって言うんだ……」
佐伯はメモ帳をパタンと閉じ、窓の外に目をやる。気のせいか雲の層に厚みがかかってきた様に感じ、無意識に眉間に皺が寄る。
――ジリリリリリリリ……――
――間もなく発車します。ホーム上のお客様はご乗車になってお待ちください――
列車のすぐ横に立つ古めかしい柱の上部にある拡声器からアナウンスが流れた。
――プシューーッ――
壊れた蒸気機関のような音と同時に列車のドアが閉まる。
「発車しまぁす」
いつの間にか乗り込んでいた運転手の声がスピーカーから車内に響く。このタイミングでの運行再開は誰が知っているはずもなく、車内の乗客は佐伯ただ一人であった。
列車が鈍い電動音を上げながらゆっくりと前進を始める。話によれば僅か10分程度で比叡山中腹の終点駅に到着するとの事だった。暫しの間、この高地の絶景を独占できる事に気付き、佐伯の眉の皺も自然と消えて行った。
ところが喜びも束の間、列車は発車してものの2~3分でその動きを止めてしまう。
――ピンポローーン。ピンポローーン……――
「お客様にお知らせします。只今、終点駅から危険信号を受理しました。安全確認ができるまで当列車は暫く停止状態で待機いたします。恐れ入りますがお客様の安全の為、暫くの間、座席から離れずそのままの姿勢でお待ちください……」
――なんてこった!――
〝全く身動きの取れない場所で立ち往生〟という悲惨な状況に陥った佐伯は絶句し、先程まで持っていた「ツイてるな」という感覚を胸の中で力一杯踏みつける。肩を落とし、深いため息をつきながらうなだれてみたりするが、何をどうした所で『ただひたすら待つしかない』という状況が変わることはない。
「ねえ、おかぁさん。この列車いつまでここに止まってるの?」
突然聞こえた少女の声に佐伯は仰天して身を硬直させる。
「そうねぇ……昨日の雨で機械が壊れちゃったみたいだから、すぐには動かないかもね」
聞き覚えのある声であった。
佐伯は、床にやっていた視線を少しずつ声のする右斜め前の方向に移動させていく。
右側の壁に面した座席にちょこんと座る二人の親子の足元が視界に入る。手前の女の子が履いている靴は、白いウサギのシルエットの入った見慣れた運動靴であった。
「由香里っ!」
佐伯は反射的にはじけ飛ぶように、二人の前に歩み出た。
『!』
佐伯の前には、二人の親子がこちら向きで静かに座っている。
「ねぇ、お母さん……お父さんみたいな声がするけど、いったい誰の声?」
「本当ね。お父さんみたいな声………でもお母さんにもよくわからないわ」
「お母さん……私の首、一体どこにいっちゃったの?」
「そうね。お母さんの首と一緒に、誰かが見つけてくれると良いんだけど……」
『お、お前たち……』
佐伯の目の前には〝頭部の無い胴体だけの二人〟が椅子に腰かけており、仲良さそうに会話をしている。
「お父さん?……やっぱりお父さんなの?………由香里、見えないよ……暗くてなんにもわかんないよ……」
「あなた?本当にあなたなの?………あなた、どうしてもっと早く家に帰って来てくれなかったの?……それとも、私たちの事を見捨てたっていうの?………」
二人は、きちんと椅子に腰かけた姿勢のまま人形のようにピクリとも動かなくなる。
見えない首が、なおも佐伯に向かい問いかける。
「お父さん!……どこに居るの?……怖いよっ!由香里の首はどこっ!」
「あなたったら……私たちの首をどこかに隠してしまったのね。本当に酷い人……」
『ゆ、…由香里!利恵!………違うんだ!俺は!!!』
「お父さん!……たすけてっ!」
「あなたったら、早くこっちにいらっしゃい」
「お父さぁーん!」
「あなたったら……」
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
二人の声が壊れたレコードの様に同じフレーズを刻みだす。
『違うっ!違うんだ!……由香里!利恵!』
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
「お父さーーーん!」
「あなたったら……」
『利恵!……俺は本当に!……』
――キィィーーーーーーーーーーン!――
つんざく様な金属音がしたと思った刹那、突然佐伯の頭部に激痛が走る。
『ぐあっ!』
佐伯はそのあまりの痛みに、頭を抱えて二人の足元にうずくまってしまう。
――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ……――
列車内の温度が急激に下がり、聞いたことのあるおぞましい声が周囲に響き渡る。
割れる様な頭部の痛みに抵抗しながら必死に顏を起こすと、眼前に居たはずの二人の姿はどこかへと掻き消えていた。
佐伯は、笑い声の聞こえる後方に振り返る。
「き、貴様らだな……」
――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ……――
後方の正面窓とその左右の窓のすぐ外側に、異様な表情で笑い続ける6つの生首がぷかぷかと浮かんでいる。首たちは列車の窓ガラスにへばりつくような距離を保ち、死んだ魚に似た不気味な目で佐伯を凝視したまま、奇声を発し続ける……
首たちが発する地獄の声に呼応するかのごとく、佐伯の頭の痛みは激しさを増し、その意識をみるみる内に削り取っていく。
「お……俺は……絶対に………………」
悪意の固まりのような真っ黒な嘲笑の渦の中、佐伯は深い眠りに堕ちて行った。
(つづく)
~あとがき~
10月初旬からスタートした
当小説の書籍化プロジェクトですが、
やはり、閲覧者と支援者の間には
『大きな大きな壁』
があるようで、大変苦戦しております……
細かな宣伝活動を行ってはいるものの、
現実はヤッパリとても厳しいです。
という訳で、このお話を読まれて少しでも
『面白いかも』
と思っていただけた貴重な読者の方にお願いです。
拡散しておくんなましっ!!
(↓詳細はコチラ↓)
https://camp-fire.jp/projects/view/499917
羽夢屋敷