戟 ~呪い/ 02~
六ツ鳥居事件を追い、
最愛の妻と娘を失ってしまった佐伯一郎。
その事件解明への執念が、
彼を謎の祈祷集団「祓衆」の核心部へと
近付けていく……
7月4日正午 京都市神水会神事務所ビル。
京大附属病院から数十メートル山側に進んだ道なりに並ぶ木造建築の中、一軒だけ不自然に少し背の高いコンクリ製の建物が立っている。番地的にはここが『神水会事務所』のはずであるが、それを示す会社の看板や表札らしき物はどこにも見当たらない。佐伯は思い切ってビルの入口のガラス戸を押し開けた。
建物に入ると、すぐ右手に40~50センチの幅の小さなガラス窓がある。そのすぐ脇にはドアがあり、どうやらビルの管理人室らしい事が分かったが、部屋の中は暗く、人の気配が全く感じられない。佐伯は小窓の前を通過し、そのまま廊下の奥へと歩みを進めた。
数メートル先に管理人室の扉よりも一回り大きい磨りガラス付きの扉が表れる。扉の上部に張られた横長のプレートにはガムテープが張ってある。
「空きテナントか……」
ガラスに顏を近付け中を確認しようとするが室内はかなり暗く、こちらも人の気配が無い。ドアノブに手をかけ捻ってみるが、扉にはしっかりと鍵がかかっている。仕方なくそのまま廊下を直進すると、廊下の突き当りの壁についた薄暗い蛍光灯の下に、古めかしいフロアのテナントプレートを発見する。プレートの2階の部分に『有限会社神水会』の表記を発見し、佐伯は少しほっとする。
「なんだよ。ちゃんとあるじゃないか……」
確かにこのビルが目的の場所である事は確認できた。だが、何とも薄気味の悪いビルであった。京都駅から近く、交通の便も良さそうな立地であるにも関わらず、4階建のビルに入っているのは神水会ただ一社だけ。他のプレート部分は空白のままという状態である。
佐伯は奇妙な違和感を感じつつ、建物の突き当り右側に出現した灰色の階段をゆっくりと登って行く。
2階の廊下を中ほどまで進むと、一階にあったのと同じ形状の扉が目に飛び込んでくる。
佐伯は、扉に付いたテナントプレートに小さく記された「神水社」の3文字を確認した後、慎重にその扉を数回叩いた。
「こんにちはー」
しばらく待つが反応が無い。ただ、扉越しに奥の方から何やら経文を読み上げるような音が微かに聞こえてくる。佐伯はドアノブに手をかけ、ゆっくりと部屋の扉を開いた。
部屋に入ると、目の前に2畳ほどのつい立てがあり、良くわからない複雑な名称の行事スケジュールの印刷された紙片が数枚貼られている。佐伯は猫のように歩みを進めると、つい立の向こう側をそっと確認する。
眼前に飛び込んできたのは20畳ほどのスペース、壁際には書類棚、中央には向かい合わせで縦向きにデスクが並べられた、ありきたりな事務所の様相であった。従業員らしき7~8名の人間が奥の神棚の方を向いて直立し、読経を行っているその姿を除けば……である。
読経を途中で妨げるのは憚られ、佐伯が声をかけあぐねていると、出入り口の一番近くに居た男が異物の気配に気付いたのか、不意にこちらを振り向いた。
「なんですか、あなた?」
読経の声が止まり、従業員たちの視線が佐伯に集中する。
佐伯は、その何とも言えない押し潰されるような威圧感に気圧され、喉元で閊えた言葉を強引に押し出す。
「すいません。何度かノックしたのですが返答が無かったもので……私、集敬社の佐伯と申しますが、葉月さんはどちらにおいででしょうか?」
「ああ、あんた東京の!」
恰幅のよい、聞きなれた声の男が奥の方からつかつかと早足で佐伯の元までやって来る。
男はなれた仕草で佐伯の両肩に手を添えると、ぐいと佐伯をつい立ての裏側に押し戻しながら小声でつぶやいた。
「困りますよ~、こんな所まで来られても……電話で言ったじゃないですか。葉月には繋げないって……」
「いえ、状況を説明される前にいきなり一方的に電話を切られてしまったもので……葉月さんに直接お会いして話したい事があるんです」
佐伯は失礼なその男の太い手を払い除けながら、逆に身を乗り出して反論する。相手は自分より明らかに華奢な体格の男の予想外の反抗に一瞬たじろぐが、すぐに険しい顔で言葉を返した。
「佐伯さん……でしたね。どういう理由があるかは知りませんが、居ないんですよここには。一昨日から休暇中なんです。葉月の奴は……」
「休暇中!?……今、彼はどこに?家の連絡先とかわかりませんかね。どうしても一度話をしたいんですよ……」
男は露骨に顔をしかめると、今度は佐伯の肩口を両手でがっしり掴んでそのまま佐伯をぐいぐいと出口に押しやる。
「無茶言わないでください、休暇中なんですから。……個々人のプライベートな事まで我々が知る訳ないでしょう。……ささ、申し訳ありませんがお引き取りください……ささ」
「ちょっと待ってください、少しはこっちの話も聞いて……」
――バタン――
――ガチャッ!――
佐伯はそのまま事務所の外に追いやられ、扉は施錠されてしまった。
「参ったな」
はるばる東京から来てはみたものの、本人が留守で居場所も不明と言われてしまうと、これはどうしようも無い。佐伯は頭をかきむしりながら事務所の扉に背を向けた。
建物を出ると先ほどまで出ていた太陽は厚い雲に覆われていた。佐伯は頭上の灰色の片雲を眺めながら、ラジオが「近畿地方は週末天気が乱れる」と言っていたのを思い出す。
「さて、どうしたものか……」
佐伯はポケットからジッポーを取り出すと、巻き込んだ唇にくわえたショートホープに火を点けた。
――佐伯さん!――
背後から不意に聞こえた女の声に、佐伯は驚いて事務所ビルの方に振り返る。見ると、建物の玄関の方から、一人の見知らぬ若い女がこちらに小走りで駆け寄ってくる。女は佐伯の前まで辿り着くと、息を整えながらこちらに右手を差し出した。
「葉月さんから、あなたが来たらこれを渡してくれと言付けを預かってまして……」
「葉月から?」
女は黙ったまま4つ折りの紙片を佐伯の胸元にグイと押しやる。
「おっと、失礼……」
佐伯は火を点けたばかりのタバコを慌てて足元に投げ捨て、それを踏み消すと、素早く女の差し出す紙片を受け取り、中身を確認する。
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京都府京都市左京区〇〇-〇〇 電話〇〇-〇〇〇
神水会本部
必ず連絡を
葉月
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「これってひょっとして祓衆の……」
佐伯の反応に女は小さく頷く。
「はい。本部の所在地です。……普通、一般の方にはお教えできないものなんですが……こんな状況で、あの方のたっての頼みですから……」
「?こんな状況って……」
女は一瞬伏せ目になり何かを考えていたが、それ以上何も言わず、踵を返して事務所の方に駆け戻ってしまう。
「ちょ、ちょっと!君!」
状況が全く飲み込めない佐伯であったが、葉月の周囲で何かが起こっている事は容易に察しがついた。
佐伯の頬にポツリと一粒の水滴が舞い落ちた。
頭上の遠い方でゴロゴロと不気味な迷音が響いていた。
(つづく)
~あとがき~
久しぶりの投稿となってしまいましたが、
皆さんお元気でしょうか?
第一章のあとがきにも追記しましたが、
先日、クラウドファンディングによる
当小説の出版プロジェクトを立ち上げました。
リターン品として特大の本格絵画等も描きおこし
お配りしようと考えています。
皆さんのお力もお借りし、なんとか出版まで
こぎつけられると良いのですが……
(↓詳細は以下をご確認ください↓)
https://camp-fire.jp/projects/view/499917
羽夢屋敷