勇者と盤外の女神
世界が魔王によって心を失って数年。
瘴気は減ったが、物流や人の流れは途絶えてしまっている。
瘴気による飢餓に喘いでいた時代は、魔王による経済不況に困窮する時代へと移行した。
そんな時代を生きる私の名はルーリング。『裁定』を司る女神の巫女だ。
ルーリングは本名でなく、『裁定』の女神の巫女が代々名乗る名前だ。本名は巫女となったその時に忘れてしまった。俗世を捨てて女神に尽くせという啓示なのだろう。そう悟った私は身内とも完全に縁を切って巫女となった。
数年前、女神が信託を下した。
『魔王が復活した。六神の力を宿した勇者に協力し、魔王を封じよ』
私は驚愕した。生贄を代々排出し、封印を保ってきたクライムレス国の儀式は滞りなく行われたと報告を受けたというのに。
だが、如何なる理由であろうと与えられた役割を怠ったことは確かである。
私は『裁定』を下す。クライムレス国への援助をすべて停止し、国から出奔しようとするものを罪人として拘束するように命じた。
女神から与えられた役割を損じたものがどうなるのか。それを身をもって知らしめなければ愚かな人々はすぐに女神への信仰を忘れてしまう。
その信仰を疑ってはいけない。信じることで私たちの繁栄は約束されているのだから。
女神の加護に適合した人間は巫女と呼ばれ、己が主神の代行者という存在になる。
その権威は貴族であろうと国王であろうと届かぬ高みにあった。
だが、それと同時に女神の意思を必ず成し遂げなければならない重責も背負う。
「ルーリング様、自称勇者様が三名いらっしゃいました」
信託は各女神が守護する六大国を中心に世界各地に伝わっている。
それ以降、金や名声を求める不埒物が巫女の元を訪れるようになった。
女神に栄誉を賜わりし勇者を騙るなど公開で拷問にかけたのちに死刑になるのだが、困窮したこの時代、命がけで詐欺を働こうとするものはどうしても途絶えない。
魔王を封じればまたあの輝かしい時代が再来するに違いない。
だから、私は勇者が訪れるのを待っている。
謁見の間に赴けば、報告通り三人の勇者を名乗る人間がいた。
一人は20代前半の青年。爽やかな印象ないかにもな好青年だ。肉体は確かに勇者を騙るだけあって鍛え上げられている。私の姿を見ると礼儀正しくその場に跪いた。
二人目は、20歳前後の女性。自分に絶対の自信があるのだろう。背筋をきれいに伸ばし、礼を取る。女性にしては来たられているが一人目の青年には劣る。
三人目は10代の少年だった。身なりが整っておらず、とても巫女である私に謁見する姿ではない。たとえ本物の勇者であったとしても許容しがたい存在だった。その瞳は昏く澱んでおり三人の中で唯一私に礼を取らなかった。
「貴様らが勇者を騙る者たちか?」
「はい。その通りでございます。横の二人と違い、私こそが本物の勇者セルジュ」
「いいえ、わたくしこそが本物の勇者レイラです。巫女ルーリング様」
「…………」
青年と女性が互いを牽制しあうように名乗りを上げる。対して少年はこちらを見定めるような視線をよこすばかりで言葉を発しない。
「赤子ですら知っている事実だが、女神の信託を受けし者を騙ることは重罪である。それを脳裏に刻んだうえでもう一度応えよ。貴様が勇者か」
ゴクリと二人は私の気迫に押されて唾を呑み込む。
「くだらない」
ここへきて少年が初めて口を開く。声変りがまだな高い声だった。いやもしかしたら少女だったのかもしれない。汚れた身なりでは性別を判別できない。
「かような茶番にいつまで時間を浪費するか『裁定』。とっとと己が役割を果たせ」
「なっ、無礼な!」
少年の口の利き方に部下が眉を顰める。
横の二人はこれ幸いとばかりに、少年が偽物であると糾弾した。まずは候補者を一人減らすつもりなのだろう。浅ましい。
「貴様、名は?」
少年は目を細めて嘲笑する。
「女神に役割を与えられたものに名前などありはしない」
「決まりだな」
私は少年の前に歩み出て跪く。
「『裁定』の巫女ルーリング。今宵より、私はあなたの配下に下ります。我が身を何なりとお使いください。勇者様」
その場の誰もが驚愕に表情を彩らせる。
「な、何の間違いです! こんな薄汚いガキが勇者のはずっ!」
「貴様ら二人は勇者を騙った罪で拘束する。一週間後には五臓六腑を晒すことになるだろう」
連れて行けと部下に命じれば、速やかに彼らは拘束された。
そう。あの二人は名乗った瞬間に偽物だと判明してしまった。それ以前に巫女だからわかる女神の力をあの二人からは全く感じなかったのだ。
対して、勇者からは複数の女神の力を感じる。
六神の力を宿す勇者。正直、思い描いていた理想とは程遠い人物像だった。
旅立つ前に勇者に湯あみをさせ、衣服を新調させた。さすがに物乞いより汚い身なりのものの隣を歩きたくはなかったからだ。
綺麗になった勇者は驚くほどの美しさを持っていた。少年とも少女ともとれる中性的な顔立ち、雪のように肌は白く、髪は黒檀のように黒く、まるで彫刻のようだった。唯一顔色に生気がなく、瞳にも光がなかったが、その異様さも相まって唯一無二の美しさを持っていた。
巫女は生涯独身の習わしだ。それに伴い煩悩は捨ててきたつもりだった。だが、私は一瞬勇者に劣情を抱き、すぐに自身を恥じた。何をやっているのだ。私も勇者も偉大な使命があるというのに。
だが、まさしく理想的な勇者が目の前に現れたことに私は舞い上がっていたのは確かだ。
そこから私たちの旅は始まった。旅といっても六大国をめぐり、各女神の巫女を集めるだけだ。
それが思っていたより大変だった。馬車を使っても何か月もかかるくらい国同士は離れている。道中山賊に襲われたり、偽勇者一行と間違われたりした。
何より勇者はずっと無言だった。他の巫女と対面したときにしか会話をしない。まだ幼い『旺盛』の巫女は勇者との距離感を掴みかねて不安そうだった。
フランクな『寵愛』の巫女が何度アプローチを変えても目線すら合わない。
そんな気まずい空気の中、それでも六人の巫女が勇者の元にそろった。
『覚醒』、『寵愛』、『闘志』、『循環』、『旺盛』、そして私『裁定』。
勇者との交流はなかったが、巫女同士の交流は盛んだった。元々信心深く、差はあれど真面目な人間が巫女に選ばれやすい。意見は合った方で、合わない部分があったとしてもあえてそれを煽るようなものはいなかった。
こうして私は3年の歳月をかけて集結し、魔王がいるクライムレス国へ訪れる。
異様な光景だ。人々は生気を失っているのに規律正しく労働に準じ、食料配給の列に並んでいる。
「ある意味地獄だな」
『闘志』の巫女がそうつぶやいた。これではもはや人間はただの奴隷ではないか。いや奴隷ですらない。ただの人形だ。生き物ですらない。
動揺する私たちをおいて、勇者は先へ進む。
その足取りは迷うことがない。
勝手知っているように霊山へと入り、山頂を目指す。
火口の近くに魔王はいた。若い女性の姿をしている。あれは最後の生贄だったはずだ。
何故、魔王が生贄の姿をしているのか。まさか、生贄にされた腹いせに魂を売り渡しというのか。だとしたらなんと恥知らずなことだろう。なんの不自由もなく暮らさせてもらっておいてその恩をあだで返すような真似をするとは。
「久しいな。勇者」
「いや、そうでもないさ」
魔王と勇者は互いに武器を構えながらそうした会話をする。
知り合いなのか? 馬鹿なそんなはず。
魔王はその下劣な瞳で私たちを見る。そしてどこか憐れむように目を細めた。
「姉神さまたちも飽きぬな」
「おうおう魔王よ。世界をめちゃくちゃにしてくれた落とし前、つけに来たぜ!」
『闘志』が言う。
「め、女神様の教えに従い、あなたを討たせていただきます!」
『旺盛』が言う。
「アンタが死んで世界はより美しくなる! うーんなんて素敵なのかしら!」
『寵愛』が言う。
「己の行いは巡り巡って己に返ってくるのです。今報いを受けなさい!」
『循環』が言う。
「さあ、張り切っていっくよ!」
『覚醒』が言う。
「いきましょう。勇者様」
『裁定』は言う。
全員が武器を構えて勇者に並び立った。
そして鮮血が舞う。
赤に彩られる。
勇者が私たちを切り伏せた。
「な、ぜ……?」
勇者はこちらを見すらしない。
「だ、だましやがったのかてめぇ!」
怒りの絶叫が虚空に響く。
「皆、同じようなことを言う」
「もう少し捻った言葉が欲しいものだ」
魔王は憐れみを、勇者は諦観をこめてそれぞれいう。
「まさか、魔王と手を組んだとっ、いうのですか! 六神の加護を受けたあなたが何故! ぎゃあ!」
問いかける『覚醒』の息の根を勇者は完全に止める。
「俺は言ったぞ。役割を果たせと。巫女の役割は勇者の贄となることだ」
雷が落ちたような衝撃が全身を襲う。
「嘘だ」
「きゃあ」
『寵愛』が死ぬ。
「嘘だ」
「助けて女神様!」
『旺盛』が死ぬ。
「嘘だ」
「ふざけんな! ふざけんなぁぁぁぁぁ!」
『闘士』が死ぬ。
「嘘だ」
「めぐ、巡り……我が信仰は……加護はめぐ……」
『循環』が死ぬ。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
「何故女神が大した戦闘力を持たないお前らを俺に寄こしたと思う?」
「と、ともに魔王を封じる……だってそう女神は仰せに……」
「違うね。奴らは俺が力を得るための生贄をよこしたのさ。芳醇な力で満たされた巫女を……俺が、『鎮静』と永遠に引き分けるようにな」
引き分ける? 引き分けるって何? 勝つためですらない? 何それ。なんだよそれ。
女神よ。お答えください! 私とは巫女とは何なのですか! 勇者の……この男の言う通りの存在なのですか!
違う! 私たちは選ばれた! 特別な存在なはずだ! 出なければ今まで私が『裁定』によって切り捨てた人々は……。あの日以降会えない家族は……。
女神よ。どうか……どうか……せめて最後に……答えを……真実を……!
『煩わしい』
最後に聞こえたのは誰の声?
魔王? 勇者? 女神? それとも―――――。
力で己が身を満たした勇者は魔王に対峙する。
「何百回繰り返したか。我とそなたの決闘は」
「さあな。俺が作られてから今までずっと。何度も終わればいいと思ってはこうして繰り返す」
「どういった決着が最も幸福なのだろうな」
「互いの役割と世界に準じるのであればこのまま永遠に引き分け続けるのが理想だろう」
「個人に準じれば?」
「どちらかが滅びるか。或いは相打ちか。そうなれば世界がともに滅ぶがな」
「それは避けたいものだ」
「俺は滅びればいいと思ってる。だが、この身は神のものであって俺のものではないからな」
「故に交流を絶ったのだろう。いずれ己が手で殺す仲間との」
「そう呼ぶ資格は俺にはないさ。今までもこれからも」
二人は天を仰ぐ。空はどこまでも広くて青い。だが世界は狭くて暗い。
「行くぜ。魔王……いや、『鎮静』の女神!」
「来い、勇者……最高神の落とし子よ」
「お父様」
「『裁定』か」
「予定通り、勇者は魔王の封印に成功しました。衰弱していた勇者を再び地殻にて休眠させました」
「そうか。今回は長かったな」
「一か月間による激闘です。過去最長記録です」
「全くあの出来損ないどもは手間をかける。まあいいこれまで通りお前たちは世界を繫栄させることに準じよ」
「承知いたしました」
「世界を維持するのにお前たちの犠牲は必要なもの。これからも永遠繰り返すがいい。我が手中でな」