第三十三話 狂戦士 中編
見つかった。
思考を巡るのは、己自身でも理解できないそんな言葉だった。
決してあれに見つかってはいけなかったのに、見つかってしまった。
それだけは分かる。
息が止まり、意識が遠のいてゆく。
不安と恐怖で口元から出ようとした言葉を必死に抑える。
これ以上此処に居る事をあれに悟られてはいけない。
だけれども、抑えようとした口がない。
口だけではなく、手はおろか、身体すらない。
そもそも、元よりここには何もなかったのではないか。
何かがあると勘違いをしていただけなのではないか。
恐怖も、苛立ちも、焦燥も、全てが無と等しくなる。
何もかもがあった場所なのに、何もかもが失われた。
黒も白もない、何もない世界。
あらゆるものの存在が許されぬ虚ろの世界。
ユリスは、己自身を構成している一片が、その存在を薄く引き伸ばされて、何もない世界に同化していることに気が付いた。
抵抗は出来ない。
此処には何もないのだから。
大切な記憶が薄れてゆく。
決して手放してはいけない、何かが失われてゆく。
「そんなことは許せない」
誰かの言葉が、何もない世界に反響して、消えた。
──……………………
「う…………」
* * *
頬を撫でるように、風が吹いた。
身体は分厚い縄に縛られたかのように重く、緩慢であったが、瞼を開いた世界にあったのは、奇麗な眼をした一人の女性であった。
「ユリス、大丈夫?」
シルバス・エドは、意識を失っていたユリスを抱きかかえながら、心配そうに様子を窺う。
「姉さん……レインさんは?」
ユリスの口からついて出た言葉は、意識を失う前に助けようとした仲間の名前だった。
「大丈夫、皆助かったわ。ユリスのおかげよ」
自分の事を後回しにする弟に、しょうがないといった風に答えるシルバス。
シルバスの視線が別に向いた事に気付き、ユリスがその方向を見ると、少し離れた位置にいるエミリオと、灯りの傍で横になっているレインの姿が見えた。中央に設置された簡易式の小型ランタンによって明るく照らされてはいるが、ユリスにはここがどこなのか分からなかった。
ユリス達が今いる場所は、高さとしては大人三人を縦に並べた位か、圧迫感を感じない程度に広さのある、四方を壁に囲まれた空間であった。
壁のひとつの面にエミリオが陣取っている。傍には人一人が辛うじて通れそうな裂け目があり、エミリオは裂け目の外を警戒しているようであった。
「お、目が覚めたかユリス、良くやった、助かったぞ。レインはまだ眠っているが、目が覚めた時にはいつもの調子に戻っていることだろう」
エミリオは意識を取り戻したユリスを目ざとく見つけると、警戒中の神妙な顔を崩していつもの調子でユリスに話し掛けた。
「良かった。……でも、エミリオ隊長、ここは一体?」
「あぁ、必死になって奈落を逃げていたらここに辿り着いた。だが、おかしなことにここは自然に出来たものではないらしい。あっちを見てみな」
エミリオが指し示した方向には、石で出来た巨大な扉があった。
大きさは空洞の天井にまで到達しそうな巨大なもので、表面には人工物である事を示すように模様が刻まれている。
「奈落の大通りにはまだまだ魔獣共がうようよいやがる。うかつに戦闘をして怪物に見つかっても叶わんし、こいつが開くといいんだがなぁ。どこかに繋がっていてほしいんだが、高望みかねぇ」
エミリオは裂け目に簡易結界を張ると、ユリスとシルバスの横を通り、明かりの傍にいるレインの元まで歩く。
「う、うぅ」
うめき声を漏らすレイン。
苦しそうではあるが、顔色は悪くはない。
「だいぶ回復したみたいだな」
「魔導が……」
ユリスはレインの身体へと、どこからか流れてきた魔導が入っている事に気が付く。
粒子状の魔導は自然界で目にするものよりも更に細かく、石の扉の向こうから溢れ出ているようだった。
「気付いたか。この扉の向こう側から魔導が巡っている。偶然か必然か、それに俺達も恩恵を受けているようだ」
エミリオは負傷していたはずの左腕を動かして、ユリスに見せる。
「治ってる?」
「レイン」
その時、シルバスが声を上げた。
唐突にむくりと上半身を起こしたレインは、半眼で周囲を見渡す。
「あれ、……飯の時間?」
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次回更新は木曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第三十三話 狂戦士 後編』
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