第三十一話 白銀と風 前編
大地を駆ける。
巻き上がった砂は、薄い膜となって視界を奪うが、そのような些事を気にすることもなく声が飛び交う。剣戟が振るわれ、統一された群青色の装備をした軍団が眼前に迫る化物と交戦していた。
「一組、右方に小型、掛かれ! 二組と三組、正面、待機して陣に入った中型を波状にて削れ!」
新生魔導兵団特務隊隊長、リーン・フェイは盤上を氷のような目で見極めていた。手に持った指揮杖でコンコンとリズミカルに大地に打ち鳴らす。
「九組、詠唱準備、左方の大型魔獣、谷まで吹き飛ばして落とすぞ。十から十二組までは詠唱補助、強化、掛かれ!」
張りのある声が喧騒渦巻く戦場の渦中にあっても団員全員に伝わっている。
リーン・フェイは、戦場において己自身の声に魔導を混ぜるという離れ業を行っていた。
こと乱戦においては類まれなる技能であり、この状態のリーン・フェイが戦場の主導権を手離すことはない。
ルード帝国が誇る魔導兵団特務小隊。
特務小隊は新体制、特務隊となって初めて新たな任務に取り掛かっていた。
初陣であるにも関わらず、内容は苛烈を極める。
特務隊が陣取るその場所が戦場になってから、十日が過ぎようとしていた。
ノール砦より北に伸びゆく山脈を伝っていくと唐突に現れるのは、地面が割け谷となっているケルオテ大断層であった。
谷の底は見えず、古の人間達は幾度となく底を目指した事もあったが、その全てが帰ってくることはなかった。
以来、奈落との異名も持つケルオテ大断層。
断層自体がルード帝国とルノウム国を隔てる国境線の意味も併せ持つ。
二国間の交流が活発であった時には、国境を跨ぐように大きな橋が掛かっていたが、いまではその橋もない。かつてその場所には、橋の東西に分かれて一つの街があった。
国同士の争いを憂いた当時のルード皇帝とルノウム王の合意により橋は落とされることとなる。
それに伴って、街からは人が消えた。
──廃墟サリア
かつて名前のあったその街は、魔獣に支配されようとしていた。
ケルオテ大断層から這い上がるように無数の魔獣が産まれてくる、地獄のような光景。
魔獣出現の報告を受けたルード皇帝、アルケス・ヴァン・ミドナは、魔導兵団特務小隊を再編成を試みる。特務隊として規模を拡大、先陣を任せその後に駐屯する予定の帝国騎士団に前もって事態の収集を指示する。
大災害ののち戦火は留まることを知らず、人々の想いを嘲笑うように大陸全土に燃え移っていた。
ルディ・ナザクの後任として任務にあたっているのは、皇帝の懐刀でもある帝国親衛隊総長リーン・フェイその人であった。
女性という身でありながら高度に魔導を修め、個人の武勇に関しても武神と名高いシグニール将軍と支持を二分するほどの人物。リーン・フェイ自身は表にでることを嫌う性質ではあったが、大災害以後の大陸の混乱を収めることを第一として行動を一貫している。
ケルオテ大断層から這い上がってくる魔獣は、存在そのものが既知のものとは別種と言っていい存在であった。
区分分けをした時に、小型ですら人程度の大きさを持ち、中型は小型の倍程度の大きさ。大型に至っては中型四体と同程度の大きさと質量を持つ。それらが断崖絶壁に爪を立て、這い上がってくる姿は悪夢以外の何ものでもない。
散開した騎士達が眼前で猛威を奮う魔獣を狩る。先のノール戦役より、特務小隊は規模を八百名にまで増員していた。全ての者が魔導への理解があり、最低限の技としても肉体強化の魔導を会得している。さらにそれらの人間達が、五十名を一組の編成として、対する魔獣の規模によって布陣を変える変則編成となる。魔獣狩りに特化している特務隊でしか実現できない戦略。それを実現するのは、リーン・フェイの声と、盤上を操る手腕にあった。
リーン・フェイは冷静に一つずつ的確に対処してゆく。
大断層はとにかくその幅が大きく長大である。
面している部分だけでも、山が二つはすっぽりと収まる程度の距離がある。
面で対応した場合に漏れが出ないよう慎重に各組と連携を取る。大型に関しては魔導を使い谷に押し戻すという手段を基本として、とにかく魔獣を逃さない為の作戦を取っている。帝国騎士団が到着次第、攻勢に出る手はずではあるが、大部隊の移動は時間が掛かる為にそれまではどのような状況になろうとも予断を許さない。
「リーン隊長! 大型、止めきれません!」
「十八組!」
部下の焦った声に、リーンはひと際大きな声を上げる。
太い漆黒前足に長大な爪と身体。
体毛は黒光りして陽の光を受けようとも周囲を暗く染める。
大地にその身を顕現させた大型魔獣は、紅い瞳に愉悦をみせる。
──水天一碧
砂が舞い、風が吹き荒ぶ。
突風が巻き起こると、光り輝く蒼い衣が大型魔獣の前足を絡めとり、一気に巨体を空に押しあげる。
中空で足掻く大型魔獣を、さらなる紺碧が覆い被さって四肢の全てを封じてゆく。
──銀剣
魔獣が囚われし蒼天の衣の中心から線が走り、刹那の内に二つに別つ。
魔獣はその猛威を一切振るうこと叶わず、奈落の底に落ちていった。
それを見て周囲から洩れるのは感嘆の声。
リーン・フェイは、この戦場において初めて感情を覗かせるようにそれらを行った二人を見る。リーン・フェイの視線の先にあったのは、靡く髪を抑えている銀髪の女性と、優しそうな少年の姿であった。
いつも本作を御愛読頂きましてありがとうございます。
次回更新は来週の月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第三十一話 白銀と風 中編』
乞うご期待!




