第三十話 約束 前編
グラム王都には、内側に小さな森が存在している。
そこは冬であっても色を落とさぬ鮮やかな緑の神域。
その場所は王都の民にとっても、フィテスにとっても、特別な意味を持っていた。
数多の魂が眠る鎮守の杜。
王都で生まれた全ての者達が、死んだ時にはこの森の奥深くで眠ることになる。
常日頃であれば、その森は一般の者が立ち入ることは不可能であった。
一年に一度行われる霊祭において、三日間だけ解放されることを除けば、場所が場所なだけに誰彼と入れるわけではない。ましてや、日も落ちて草木も眠る夜であればなおさらのこと。静かな夜の森は、わずかながらに夜を主にしている小動物が活動しているくらいだ。
だが、立ち入り禁止というものにも例外はある。
特別な権限を持ち、森の中に立ち入ることが許された人間がごく僅かに存在しているからだ。
それは、この森自体を管理をしている、ホウロ家という一族であった。
ホウロ家とは、予言の聖女の生まれしフォン家から派生した分家であり、王国においても長い歴史を持つ。しかしその名を知る者は意外に少ない。一族自体がずっと森を中心とした生活をしているし、生来の出不精という気質もある。
そして今、日中であればホウロ家の誰かが見回りをしているであろうこの森を、数名の足音が固められた土の道を踏み鳴らしていた。
「ベル、急遽付き合ってもらってすまんな」
リバックは王国騎士団のベル・ホウロを伴い、シイナと共に森に足を踏み入れていた。
「いえいえ、構いませんよ。親愛なるリバック坊ちゃんとシイナお嬢様の頼みでしたらいつでもなんでもどこへでも」
朗らかに笑うのは、リバックの母ユーリより少しだけ年若い、ベル・ホウロという女性であった。
ベルはホウロ家であるが、学園に通っている時にユーリの性格に惚れ込み、心酔してホウロ家を飛び出した変わり者である。家を飛び出したあとはずっとフィテスの家に厄介になっている為、リバックやシイナの事も生まれた時から知っている。まさに勝手知ったる他人の家、というやつだ。
「それにしても、シフィアトの木が見たいというのは願掛けか何かですか?」
「ん、いや、昔シイナと探してみた事があったんだが、その時は見つけられなくてな」
「あー、なるほどです。しかし時期的にどうでしょうね。あの木は気紛れですから、見える時はずっと見えるんですけど、見えない時は一年二年と平気で姿を隠しますからね」
「そんな習性があるのか」
ベルの口から唐突に出てきた情報に、リバックは目を丸くする。
「シフィアト自体が意思を持っている、というのがホウロに伝わる話です。本当のところはさっぱりですけどね」
眉間にしわを寄せて、うんうんと頷きながら喋るベルに苦笑いを返すと、リバックは傍らにいるシイナを見る。最初に会った時より顔色は幾分良くなっているようだが、まだ元気はなさそうだ。
心配になっていて見ていたリバックの視線と、少しだけリバックの表情を盗み見ようとしていたシイナの視線が交わる。
暗闇に映り上がる瞳は炎に映されて揺らぎを見せる。
それは心細さからか、それとも、胸中に巡る迷いからか。
「寒くないか?」
空気が乾燥して喉が少しだけ引っ掛かりをおぼえるが、言葉は思ったよりも簡単に出た。
季節は冬に差し掛かって、夜ともなれば気温は格段に下がる。なんのけなしに魔導を使って暖を取ろうかとも思ったが、木々に燃え移っては一大事だとリバックは考えを改め直す。
「大丈夫、です。それよりも──兄様はなぜ、何も聞かずに私の言うことを聞いてくれるのですか? あの時も、今も」
意を決したように、一瞬つばを飲み込む音で止まった呼吸が、シイナの口から吐き出される。
「理由……か。そうだな。ただシイナと……昔のように歩くのも楽しそうだ、と、思ったんだ」
「何で……そんなに、たどたどしいんですか」
リバックの考えながら発される不器用な言葉に、シイナは小さく笑う。
「それは、シイナもだろ?」
「私は、兄様みたいじゃありません」
「いーや、一緒だね」
隣ではあわあわとベルが口を抑えているのが気になったが、リバックは無視して言葉を繋げた。
「もうっ」
シイナの膨れた頬は、恥じらいを覚えてか朱に染まる。
ほんの一瞬、温もりが生まれた。
「まいったな」
口に出る言葉とは裏腹に、リバックは少しだけ何かを取り戻せたような気がした。
目指す場所はまだ見えない。
シフィアトを見つけるまでに、リバックはもう少しだけシイナと話が出来ればいいと、そう思った。
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次回更新は今週の木曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第三十話 約束 中編』
乞うご期待!




