第二十九話 家族 前編
懐かしい。
リバックがそう思ったのは、単純に己がかつて歩いた風景と、今見ている景色が重なったせいか。記憶の引き出しから溢れ出るのは、在りし日の大切な思い出のひとひら。
リバックが王都を離れてから二年の時が流れた。父であるクロードが死んでからは七年の歳月が流れている。
何もかも、早いと感じるにはまだ遠く、遅いと感じるには近すぎる。
白でも黒でもない、曖昧な境界の中。
リバックはふいに開いた自身の手のひらを見る。
子供の時分より、ずいぶんと大きくなった。
身体以外に自分は成長したのだろうかと、リバックは自問する。
大切なものを失ってから、何一つ取りこぼすまいと気を張って生きてきたせいか、その手で掴めるものもあの頃よりは幾分多くなった。
開いた手のひらを天に掲げ、裏返してみる。
雲間から僅かに差し込んだ陽の光が当たると、透けて見えた場所に、とくんとくんと血が流れているのが分かる。
生命が、当たり前のようにそこにある。
グラデウス山脈で魔獣に腹を貫かれたとき、再びこの道を歩く事が出来るとは思っていなかった。
薄れゆく意識の中で、ぐるぐると渦のように回って描かれたのは、王都を発つときに見た家族の顔であった。
シイナは元気だろうか。
リバックの前では強がって、言いたいこともあったろうに、我慢強く、歯を食いしばって頑張っていた優しい妹。
マークは元気だろうか。
まだまだ甘えん坊であったが、リバックが剣の訓練をしている時はいつも傍にいて、真剣だった眼差しは、今も変わっていないのか。
母上は元気だろうか。
父上が死んでからは、知らず知らずの内に、リバックが背負う重責の多くを抱えてくれた強い人。
強い寒風が身を引き裂くようだ。
吹き抜ける風の冷たさに身を縮こまらせる。
だが、だからこそ生を実感する。
今を生きる痛みを実感する。
魂は、未だ消えることなく内側で燃ゆる。
リバックはグラデウス山脈で一度死んだのだと思う。
そういっても差し支えがないくらいに、新たな名で過ごしたルディ・ナザクの人生はとても身軽であった。
生と死の境を彷徨っていたリバックは、放浪の神ナーダに救われ、その後、ルード帝国のグリーク・エドに拾われた。
救われた恩を返したいと願い出た時、グリーク・エドと一つの約束をした。
帝国を襲う魔竜との戦いが終わるその時まで、ユリス・エドを守ってほしいという約束を。
自分にもまだやれることがあったのではないかという苦悩もある。
だが、それすらもグリークの覚悟を前にしてみれば、些末な事なのであろう。
グリークは他者が踏み込めない領域で戦っていた。
グリークはグリークとして、世界と向き合い、明確に戦う道を選んだ。
であれば、リバックに出来る事は、一体何なのか。
グラム王都を救う事であったのか。
それも一つの真理なのだろう。
だが、こと今に置いてはそれ以外にもあるように思えた。
フィテスの使命。
グラム王国を守り、大切な人達を守る。
では、リバックの使命は?
何度も歩いたグラムの大通りを歩く。
踏みしめるごとに、懐かしい景色が横を通り過ぎてゆく。
流れ、流れて、流れゆく。
景色であるのか。
記憶であるのか。
迷いはいつも変わらずあるが、微かにでも目的地が見えるのならば足が止まることはない。
結局のところ、やってきたことも、やれなかったことも、何が正解で、何が不正解なのかも、たぶん、リバックの人生が終わった時に分かるのだろう。
天へと還った父と、酒を酌み交わしながら答え合わせをするのも、案外楽しそうだなとリバックは思った。
吹き抜ける風は冷たくて、吸い込む空気は凍るように身体を冷やす。
懐かしい門が視界に入る。
身体の内側の何かがとくんと跳ねる。
手前に立っている人達がいる。
知っている顔であるのに、随分と違って見える。
背が大きく伸びている。
かわりに母上は少し小さくなったか。
いや、自分自身が大きくなっただけかもしれない。
あぁ、だけれど、大きくなってしまった身体とは裏腹に、今溢れ出している涙は、子供の頃ようだ。
たくさんの言葉が喉に張り付いて出てこようとしない。
感情ももうゴチャゴチャだ。
目の前に立って、急に恥ずかしくなって、腕で顔を隠す。
寒かったのに、もう暖かい。
抱きしめられたのは、いつぶりだろう。
「おかえりなさい──」
いつも本作を御愛読頂きましてありがとうございます。
次回更新は来週月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十九話 家族 中編』
乞うご期待!




