第二十八話 常闇 中編
「あー、……頭がいてぇ」
気怠そうな声が、狭い壁に反響しながらその場に響き渡る。壁の隙間から滲み出る水滴は、長年同じ場所に落ちているのか、地面に穿たれた穴へと吸い込まれるように消えてゆく。
ひんやりとした空気が辺りを支配し、湿気を含んでさらなる重さを生み出している。
そんな場所にあって、横になって寝ていた男がむくりと上体を起こし、頭を軽く振る。傷だらけの筋肉質な上半身を晒しているその男は、眠たげな表情のまま軽く腕を上げ伸びをしながら欠伸をした。
ボサボサに伸びきった髪を、男が煩わしそうにかきあげた時、近寄ってくる何者かの足音に気付いて、男の黒い瞳が対象をぎょろりと捉える。
「あー? 何だクソガキぃ。……ん、別人か?」
「……やっと目が覚めたか。ジーヴォ・ウル・ルノウムだ、ランス・バルバトス」
「ジーヴォ・ウル・ルノウムだぁ……ウルのクソガキの家族かぁ?」
「貴様が眠りについてから既に五百年が経過していると言えば、理解できるかね?」
「……五百年ねぇ。ってことはクソガキのさらにガキのガキ、って辺りか。ふぅ、あんまり寝た気もしねぇが、ハラルハルラの術が成功したってわけだな。……まぁそこらへんはどうでもいいか。俺が眠りについた後、クソジジイはどうなった?」
「グィルデ王の身体は、現在ルード帝国にあるノールという砦の地中に封じられている。だが、取り戻すのも時間の問題だ。件の砦には現在、我が配下の魔獣兵が攻め入っているからな」
「くっく、あーっはっはっは。あのジジイ、そんな事になってやがんのか。ひっひ、腹がいてぇ。クッソ笑えるぜ。──でも、魔獣兵ってのは何だぁ? まだしょうもないことをやってんのか、ウルの一族は」
「どうとでも言え。結果が伴えば、人の矜持なんぞ何の役にも立たぬ」
「ふん、わかってねぇなぁ、わかってねぇよ。闘争ってのは魂でぶつかり合うからこそ面白いんだろうが。まぁ……てめぇら一族に言っても分かんねぇか。それはそうとして……一体何で俺はこんなとこに入れられてんだ?」
鈍く光る鉄格子が、ジーヴォとランスの間に鎮座している。
現状のランスの姿は、檻に入れられし猛獣ようにも見えた。
それでも、鉄格子越しに揺らぐランスの黒眼は、視線だけで人を殺せそうな程の威圧感を放つ。
「貴様にはまだここでじっとしておいてもらう」
「舐めてんのか? すんなり聞くわけねぇだろ、馬鹿かてめぇ」
「まっこと煩いのぅ。小僧」
ジーヴォの背後より、鷲鼻の老人が姿を現す。肉体は老いてはいるが、背は曲がることなく真っすぐに、瞳には精力が漲っている。
「……誰だてめぇ」
「──余はルオル・ウル・ルノウムである。頭が高い、控えよ」
──ドンッッッ
ルオルという老人が口を開いた瞬間、檻の内部に急激に高負荷の重力が生じる。ランスの肉体を地べたへとへばりつける不可視の力。ミシミシと音を立てて、ランスは五体がバラバラになりそうな程の圧を受ける。
「……なんだ……こりゃあ」
「駒である羽虫に好き勝手に動き回られては困るのだ。もう少しここにいてもらう」
「ぐ、がが……」
ランスは自らにのしかかる重力に抗い、無理矢理にでも身体を動かそうとして右の腕を上げようとする。だが、力を入れた端から腕の内部にある血管が切れ、激しく血が流れ出る。
「無意味なことをするな小僧。……かつて栄光を讃えられし常闇の騎士も、相対してみればこんなものか」
「──陛下、そろそろご準備を」
「うむ。ジーヴォ、ノールを疾く陥とすのだ。グィルデの肉体を得て、永遠の命を余に献上せよ」
「はっ」
慇懃な態度でルオルという老人に接する、ジーヴォ。
ルオルと呼ばれた老人と、ジーヴォと呼ばれた青年はランスのいる房を後にする。
その背後から、去り行く姿を視界から消えるまでずっと睨め付けるランス。
身体にかかる重圧は消えたが、再度力を入れる事は叶わなかった。
「一体全体、どうなってやがる……」
吐きだす息は荒く、思考は現状の在り様に疑問を呈する。
ランスが眠りに入る前、ずっと残っていたのは、尽きる事の無い怒りであった。
身を焼き尽くす程の業火は、今の出来事を通して、さらにランスの眼をより鋭く、恐ろしいものへと変えてゆく。
「舐めやがって、クソどもがああああぁぁぁぁ!!!!!!」
いつも本作を御愛読頂きましてありがとうございます。
物語はどんどん加速してまいります。
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次回更新は来週月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十八話 常闇 後編』
乞うご期待!




