第二十七話 微笑みを君と 前編
「かつて僕達が、志を共にして目指した理想郷。それは、皆が笑って暮らせる世界。それは、誰かが悲しみのときに向き合い、そっと見守れる世界」
レフが言葉を重ねる。
幾百の時を経て、想いを重ね、積み上げてきた理想への道。
淡い光が、周囲を包み込む。
レフとサアラは満足した表情のまま、静かに泣いているヤンを見守っていた。
滲んでゆく世界。
オーリンは、この孤児院という場所が消えようとしていることを感じ取った。
この場所は、まるで誰かの心象風景であるかのようにとりとめもなく、次々と色を変えては新たな世界を見せる。
空が暗くなる。
暗闇が世界を覆いつくし、暗雲が立ち込める。
雷を伴った雲は、蛇が舌を出すように顔を覗かせては、雷鳴をとどろかせる。
大地を震撼させる程の轟音。
空の切れ目には緋色の瞳が現れて、強い存在感を放つ。
「まさか……竜!?」
オーリンは、伝説にも語られるその物体の正体を言い当てる。
ヤンは面を上げ、空を見上げる。
レフとサアラは表情を崩さぬまま、天に蠢く竜に目を向けた。
地鳴りが起こる。
それは、大地が割かれるのではないかと錯覚するほどの振動であった。
あまりの激しさに体勢を崩しそうになって、オーリンは姿勢を維持する。
次の瞬間、黒い群れがヤンとオーリン達の周囲に現れる。
顔は見えずその全身は真っ黒であるが、確かに人の形をした影の群れ。
外側から迫るのは、黒煙を上げながら大地を駆ける轟音の主。オーリンが対峙した事のある魔獣グアヌブよりも遥かに巨大な、四足の魔獣の群れ。その後方を、人型の巨人がゆらりと歩く。
「天に魔竜。地に魔獣。その間には巨人。……終焉の波であるか」
混乱の渦中に放り込まれ、オーリンは一瞬だけ放心状態になったが、ヤンの言葉に反応してすぐに正気を取り戻す。冷静に周囲を見渡せば、周りの影たちは、右往左往しているようであった。それは、想像を絶する困難を前にして、何をやるべきかわからず、迷いの中にあるように見えた。
オーリンの握った拳が熱い。
熱に気が付いた時、オーリンの右手には愛槍が握られていた。
幾度の苦難を共に払ってきた、テオの思いが籠った槍。
オーリンは久しぶりに感じたその重みに、身体の芯からジンジンとした熱が放出されてゆくのを感じる。
時は動きを止めず、オーリン達を囲むようにして大災害の包囲網は完成されていく。
この状況が大災害のそれだというのであれば、オーリンと、この人型の影達に為す術はあるのだろうか。
浮かんできた不吉な結末も、今も尚、オーリンの身体の内側から溢れ出す熱が、悉く全てを蒸発させるように燃やしてゆく。
「オーリン、これは後に起こりうる未来の一つ。されど我らが見ているだけで手を拱く理由もなし。いざ参ろうか」
雷がヤンの全身を一気に覆う。
蛇の形をした雷は、ヤン導師の周囲を蠢きながら、魔獣を威嚇をするように鳴き声を上げる。
オーリンは周りにいる影を一人ずつ見ていく。
どれほど見ても、表情は分からない。
だけれども、震えているのは分かった。
大きな影から、小さな影まで。
全てが大災害に恐怖している。
何か言っているようだが、言葉は分からない。
もう駄目だと諦めているのだろうか。
助けてくれと叫んでいるのだろうか。
何も言わずに震えているのだろうか。
そんな事を思っているうちに、オーリンは眼の前にある小さな影に気が付く。
小さな両手で必死に耳を抑えているその影が、オーリンにはスルナ村で共に過ごしたマルクに見えた。
どんな言葉を掛ければいいのだろう。
どんな言葉にも正解はないような気がして、オーリンは小さなその影の肩に手を置く。
「大丈夫だ」
自分は上手く笑えているのだろうか。
オーリンはこの期に及んで、そんなことが気になった。
隣で見ていたヤンと目が合う。
にやりと笑ったヤンの表情は、初めて出会った時のものと同じであるように思えた。
ふっと吐息が漏れ、オーリンは歩いてゆく。
大災害を前にして、魂が燃えている。
それは、生命の重みであり、己の正直な気持ちと向き合ったオーリンが、手に入れた力。
「続く常闇を照らし、闇を払い給え。迷い子を導き、光として道を示せ。歩け、たとえ立ち止まろうとも。歩け、後ろを振り返ろうとも。目的地があろうともなかろうとも、ただの呼吸のそのひとつが、前人未到、明日への大いなる第一歩となる」
ヤンの朗々たる口上。
オーリンはそれを聞きながら、素直に心地いいと思った。
足が止まろうとも、呼吸をするだけで未来へ進んでいる。
なんと力強い言葉であろうか。
オーリンは深く呼吸をしてみる。
「なんだか、やれそうな気がしてきた。──力を貸してくれ」
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次回更新は月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十七話 微笑みを君と 中編』
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