第二十六話 ヤン 前編
「グラム・フィズ……」
オーリンは鈍く重い頭痛を伴って、微睡みの中から目覚める。目を開いたオーリンの視線の先にあったのは、これまでにも幾度か経験した事のある、真っ白な空間であった。そして、そこに立つ人物にも見覚えがあった。
「──オーリン。よくぞ、ここまで辿り着いた」
そこには、穏やかな目をしたヤン導師が立っていた。
じっとオーリンを見つめる瞳は、郷愁に胸を焦がす少年のように、輝いて見えた。
「ヤン導師……今の体験はなんだ。俺と同じ姓を持つ、グラム・フィズとは……。それに、魔導王レフと一緒にいたあなたは一体?」
「……全ては、あのグアラドラでの出会いから始まったのである」
ヤンの言葉に反応して、白い空間は彩りを取り戻す。
広がるのは、遥か彼方にまで続く蒼海。
オーリンとヤンが立っている場所は、人の身では到底到達出来ぬであろう、天空であった。
雲が流れ、風が穏やかに佇む場所。
そこで感じられるのは、頬を撫で髪を揺らす大いなる自然の吐息と、眼下に広がる眩い海。
視線を巡らせれば、オーリン達が生きているアムリアの大地が見えた。
草原があり、山があり、森があり、ぽつりぽつりと街も見える。
地に足がつかない状況、というのも地で行くと、案外狼狽えぬものなのだなと、オーリンは思った。
全てを見渡せるこの場所は、一体何なのだろう。
意識を深く潜らせようとすると、オーリンが見ていた景色は変化を迎える。
見えたのは、オーリンの旅が始まった場所、故郷の街サリアであった。
今や瓦礫に埋もれ、ルノウムより押し寄せた魔獣が闊歩している、見捨てられた街。
それを見て、オーリンは大きな悲しみを覚えた。
次に見えたのは、リバックと出会ったグラデウス山脈。
力を欲したオーリンは、何かに導かれるようにグラム王国へと辿り着き、そこで運命の出会いを経験した。
同年代の友リバックと、魔導を操るヤン導師との出会い。
そして、その後因縁を持つこととなる大災害。
季節は揺蕩い、巡りゆく。
彩色鮮やかに、冬の純白から若葉芽吹く春の新緑へと色が変わる。
そこで出会ったのは、道を見失ったオーリンが傷ついた身体を休めた、第二の故郷スルナ村。
オーリンにとって、テオやマルク、オルフェ達と過ごした日々は、掛け替えのないものであった。
何者にもなれず、自らを否定して過ごした日々も、思い返せばつい先日のようにも思えて、今でもオーリンの心を鷲掴みにする。絶対に忘れていけない感情が、命という温もりを持ってそこで芽生えた。
今や無人となったスルナの村には、野生の動物が出入りしていた。
何もない所からも、新たな生命が生まれようとしている。
クインと出会い、ヘムグランと出会い、世界は次から次へと新たな側面をオーリンに見せる。
サイに助けられ、シュザに導かれ、歩き始めた道の端が分からぬ程に霞んできた時、アインハーグでマシューと出会う。巨人すら討ち斃す唯一無二の個を見せる、剣闘王ヨグとの出会い。
悲しき呪いに人生を縛られたカナンの人々。
ぶつかり合いながらも、共に歩くことを決めたガルム達。
歩いて、歩いて、歩いて……。
オーリンは様々な経験をした。
本当に長い、長い旅であった。
移り変わる景色に気を取られているオーリンに、囁くようにヤンの言葉が宙を舞う。
「人生を物語とするのであれば、長い旅をしたようにも、過ぎてしまえば短かったようにも思える。これは我が人生にも当てはまる」
「ヤン導師……」
「いやはや、縁、というやつなのであろうな。……この時代にお主達が集うというのも」
「ヤン導師。一体俺は、俺達は何を求められている?」
「世界は求めても、求めず。可も否もなく、そこにあるのは、果て無き大空を泳ぐが如く、無限たる可能性の瞳」
「可能性の瞳……」
「オーリン、魔導とは何か、考えたことは?」
「……世界に揺蕩う、未知なる力。だけれども、それがあたたかいものだというのは、理解った。意思を持って必死に俺を救ってくれようとしていることにも、気付いた」
「魔導とは力。求めなければそれもただの無力。オーリンが魔導に助けられたのならば、お主の持つ魔導と共鳴したのであろうよ。それはまごうことなき己自身が持つ力。誇るがよい」
「俺の力……」
「魔導の力に最初に気付いたのは、伝承にもあるとおり、魔導王その人であった。多感であり物事の機微にも聡かった王は、散らばるように光り輝くそれに手を伸ばし、そこに集められし想いを受け取ることとなる」
「想いを受け取る?」
「魔導とは、世界創生の時より産まれ落ちた人間たちが、星霜を経て、大事に生み落としていった、生きた証。希望そのものなのである。そして、導師とは苦難を払う為に、それらを取り集め、正しく使う事のできる者」
「希望……」
「内から魔導を生み出せる者、外部より受け取る者。その力は千差万別ではあるが、この世界のあらゆる場所に存在する、己を含めた、全ての人を導く為のもの。最初は名もなく漂うだけのその力に、魔導王レフが名を与えた時、すべての人間は、誰にも気づかれずにずっと傍にあった、その贈り物を受け取れるようになった」
「それが……魔導」
「そうだ、オーリン。そして、魔導が希望の集まりであるという事に気付いた魔導王は、次に聖女サアラが持つ未来視という力の意味を考えた。その悪夢が現実のものとなろうとする、理についても。──魔導が希望であるとするのならば、対極に位置しそれを無へと還そうとする大災害は、全てを消し去る虚無の力」
ヤン導師の言葉に、オーリンの心音が早くなる。
「──虚無」
ヤン導師は、オーリンを見て、ゆっくりと頷いた。
「魔導を世界に満たして、やがて来るであろう終焉の大災害たる虚無を押し返す。その為に我は、今もここに立っているのである」
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次回更新は木曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十六話 ヤン 中編』
乞うご期待!




