第二十四話 拓くもの 後編
巨大なグアラドラ孤児院の背に隠れるようにして、裏には広大な海が広がっていた。夕暮れ時、照り返す陽光が砂の一粒一粒をきらきらと輝かせて、乱反射する水面と混ざり合いながら幻想的な風景を生み出す。
「風はここから来ていたのか……」
オーリンは風に乗る潮の匂いを感じながら、目を瞑りその身を任せる。揺れる髪はゆるやかに、心は波立つこともなく静寂に至る。砂浜に残る熱は、オーリンの身体を温めるように、心地良いものへと変える。
「ここにいらしたのですね」
心を揺らす音色が、まるで風の音のように、ごく自然にオーリンの意識へと入り込む。
「クインか……。本当に不思議な場所だな、ここは」
風を受けて居心地の良さを確かめるように、目を瞑ったままオーリンはその声に応える。
「いい景色ですよね。子供たちは皆この景色を見て育つんです」
「故郷とは良いものだ」
「オーリンの故郷はスルナ村になるのですか?」
「……スルナ村は大災害の折に俺を救ってくれた、第二の故郷だな。もう一つの故郷は、今となっては、とても遠い場所になってしまった」
オーリンはゆっくりと瞳を開くと、目の前に広がる大海を見る。
「それは?」
「俺の故郷は、ルードとルノウムの境に位置する小さな街であった。だがそれも十年前、二つに分断されることとなる」
「分断? ルードとルノウムの境……国境の街サリア……」
「最初は国同士が見栄の為に行う、小競り合いのようなものであった。街に持ち込まれたのはごく僅かな変化。だが、サリアに持ち込まれた形無きそれは、大きな歪みを伴って、やがて毒となる。当時のサリアは、西も東も各勢力の息のかかった者達の思惑が犇めいては、街を混沌へと導いていた。そこに国の意思が加わわってしまえば、その混乱に終着点が見えることはない。今となっては、ルードの影響力が強かった西側はまだよかった方なのだと思う。ルノウムの力が作用する東側は、悲惨なものであったから。……それ故に、憎しみにより生み出された形無き悲劇の種は、実ってしまう」
「サリア紛争……」
「たまったものではない……国同士の争いに、そこに生きている人が巻き込まれるなんて。昨日は同じ街に住まう隣人であった者が、話すら出来ない状況になるなんて、想像もしていなかった。本当に地獄のようなものであったよ。それでも、ルード帝国の騎士であった親父の力で、西側に住んでいた俺達は救われた。だが、サリアの街に住んでいた者達の心はバラバラになってしまった」
「オーリン……」
「クインだったらどうする? 故郷が自分の力でどうにもならない状況になったら。俺は単純であるが故に力を求めてしまった。後のことを全て親父に任せたままに、自由奔放に、旅に出ることまで許して貰った。だけれど、その先で直面したのは、俺が目を背けたはずの、どうにもならない現実だった」
オーリンの瞳が真っすぐにクインを見る。
その瞳に迷いは見えない。オーリン自身の自問自答のようにも思えたが、クインは考える。
「私だったら……」
──それこそ、導師としての自身の力を過信して、無理をしてしまうのだろうか。ヘムグランやサイといった、身近な誰かに頼ってしまうのだろうか。クインの頭の中を、幾つもの言葉が揺蕩っては、どれもしっくりとこず、風に溶けて消えてゆく。
「俺はクインやヘムグランと出会った時に、己の限界を知った。いや、知った気になっていた、といった方が近いか。そして求めた力の先に、僅かに灯る炎が見えた。それは単純なものではなく、難しすぎるものでもなく、己の中に確かにあったもの。命を掛けることで、初めて見つけ出せた、俺の中に眠っていた本当の心」
「本当の心……」
クインが繰り返した言葉に、オーリンの表情にふっと笑みが浮かぶ。
「答えは常に、自分自身だったんだ。そしてここに辿り着いた時……俺は、俺が果たすべき宿命と向き合う時が来たのだと思う」
「宿命?」
「俺が歩いてきた道と、魔導王が指し示してくれた道が、此処で重なった。それはきっと大きな意味を持つ」
「オーリン……」
「ヤン導師が待っている。俺は魔導王に会いに行く」
「魔導門に入って帰らない者も多くいると聞きます。それでも貴方は行きますか?」
「……それをハルに聞いて、正直少しだけ迷っていた。だが不思議なことに、ここに立って迷いが消えた。本当にきれいさっぱりに。……この気持ちはどこからきているのだろう。あぁ、うまく言葉に出来ないな。だけれど、そう思うのだから、きっと大丈夫なのだろうさ。それに、魔導門にはヤン導師もいる」
「……オーリンに、一つだけお願いがあります」
「お願い?」
「ヤン導師に会ったら、伝えて欲しい事があるのです」
* * *
晩に至って、オーリンは子供たちと一緒になって準備をした夕食を食べた。
エミリオやフーは相変わらずマシューの側に陣取って、ワイワイと楽しげに食を進めている。
オーリンの周りにも、多くの子供たちが集まるようになった。これまでの旅の話や、外の世界の話をした。いろんな表情を見せる子供たちの姿は、オーリンの心へと沁み入るようで、交わした言葉は大切に刻まれてゆく。此処での用事が済んだら遊ぶ約束もした。
それらの行為の一つ一つが、まるで子供たちから力を分けてもらっているようで、オーリンはそれが無性に嬉しかった。気を緩めてしまえば、涙が溢れ出しそうになるほどの感慨を覚える。
団欒の時が過ぎて、用意してもらった部屋に戻ってからは、緩やかに流れてゆく時間を過ごす。
とても長い一日であった。グアラドラに辿り着いてからの濃密な一日を思い返している内に、オーリンは自分でも気付かない内に寝入ってしまった。
締め忘れた窓から、部屋の中へと風が吹き込む。
急に流れ込んできた冷たい空気に身を震わせると、オーリンは毛布を手繰り寄せる。季節が冬へと移ろう時期に差し掛かっている。
暗くなった室内で、瞼を少しだけ開く。
オーリンは微睡から覚醒する直前、部屋の中で虹色の蝶を見たような気がした。
幻想的にゆらゆらと舞う蝶は、ゆっくりと飛んで窓をするりと抜け出すと、部屋の外へと消えてゆく。
蝶が消えた後に、窓から差し込む月明かりが見えた。
グアラドラに来た時、ナーニャは魔導門がグアラドラの奥にあると言っていた。
だけれど、オーリンは魔導門のある場所がここでは無いことを理解していた。
ここにあったのは、魔導門を拓くために必要な、決意という名の鍵。
「グアラドラで、ヤン導師と最初に出会った場所……」
少し硬いベッドの縁に手を付くと、オーリンは身を起こす。
「そうか……。魔導門は、ずっとあそこにあったんだ」
子供たちを起こさぬように、オーリンはそっと、孤児院を出てゆく。
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次回更新は木曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十五話 始まりの日 前編』
乞うご期待!




