第二十一話 白の騎士 後編
何か変化があったのか、扉の外が急に騒がしくなる。隠れているのが見つかってしまったのだろうか。帯刀している剣の柄を、汗が滲む手で掴みながら、シイナは乱れる呼吸を必死に整える。フィテスである以上、剣も人並み以上には扱える。だがそれでも、多数の命を守れる程の域には達してはいない。
理解しているからこそ、シイナが剣を抜く時には、自分にせよ、守ろうとしている誰かにせよ、犠牲が生まれる可能性があった。建物の中にまで入り込んでくる大きな物音。その度に、怯えが空気を伝わってくる。
この期に及んで、──シイナ自身覚悟はできていると思っていた。だけれど、窮地に陥れば陥る程に、自身の本当の感情がわからなくなる。
微かに声が聞こえた。その声がシイナが守るべき誰かの声なのであれば、どんな小さなものであったとしても聞き逃すわけにはいかない。部屋の片隅で恐怖と戦っている人達を見た後、シイナは重い扉に手を掛ける。
「シイナ! 無事か!」
「あ……、母……様」
* * *
白の騎士が大通りを駆ける。
重装備であるのに、軽やかに動く肢体は、小川を流れる水の如き流麗さを見せつける。其れが通った跡に残るのは、美しい白銀の軌跡。
剣が振られた後に残る音。それはまるで、朝露でも払うかのように、形ある悪意を視界に入る端から振り落としてゆく。それがたとえ強固な群れであったとしても、それがたとえ強力な個であったとしても、何人たりとも白の騎士の行く手を阻むこと叶わず。
その力に、その姿に、グラム王都に蔓延ろうとしていた形成す悪意共は、次第に意気を沈めていく。
常日頃であれば思うままに暴虐の限りを尽くし、ありとあらゆる無法の中に生きる者達。其れらが振り絞った最大限の力を持ってしても、眼前に在る白の騎士が放つ剣の一合すら凌ぐことは出来なかった。必死に受け止めようとした剣は、大地に落としたガラス玉のように簡単に砕かれてゆく。根底に根差す欺瞞すらも斬り捨てる程の容易さで。
悪意の首魁である、大罪が動く時間を稼ぐという目的を持っていた群れは、次々と瓦解していく。
さらにはどこからか合流してきたグラムの警邏隊が、白の騎士の後方から付いて来て負傷者の手当を始めている。
グラム王国にあるフィテス。
それは全てを貫く剣であり、全てを守護する盾でもあった。
間断なく放たれる矢が中空を支配しようと蠢く。大地から一瞬にして姿を消した白の騎士は、天高く跳躍して剣を掲げる。あまりにも早い時の流れ。瞬間の合間を泳ぐように、無数の白線が全てを斬り落とす。
「──近い」
兜の下にくぐもった声が出る。数々の妨害を抜けた先に白の騎士が見たのは、濁った空気と、一面を支配する重圧と、二つの強大な存在が戦っている様であった。
* * *
「ディー達を行かせたのは正解だったようだ」
サイ・ヒューレの口から出たのは、率直な感想であった。
「どうした、導師よ。もう終わりか」
ザムジードの口が裂けそうな程に大きく割れる。そこにあるのは嘲りか、侮りか。
サイにとってはどうでもいい事ではあったが、目の前の存在が人間という枠から大きく外れていることは理解できた。抱擁ができそうな程に大きく広げられたザムジードの両腕は、肩口から先が真っ黒に変色している。
その腕が持つ強い毒性のせいか、掠めただけであるというのにサイの道衣は腐食し、時間が経つごとに触れた部分がポロポロと崩れ落ちてゆく。さらには、その漆黒の腕はサイの魔導を込めた赤剣の刃をも受け止める硬度を持ち合わせていた。
一瞬でも気を抜こうものならば、瞬きの合間に決着が着いてしまう。
「しかし気になるな。わざわざ大罪を名乗るとは、お前さんは一体どんな罪を犯したんだ」
魔導を全身に循環させながら、ザムジードの様子を見るサイ。
「問答なぞ、もはや不要。散りゆく定めを呪いながら、我が名を永久に刻むがいい」
「つれないやつだ。まぁ、それも分かりやすくていいか」
言葉の終わり際に両手を柄に添えながら、サイは一足でザムジードの懐まで飛び込む。
下方からザムジードを見上げるような位置に陣取るサイ。
刹那、ザムジードと眼が合うと、サイの手元の剣が鳴き、跳ねてゆく。
それは左手で柄を抜き右手でさらに加速をつける、サイが編み出した独自の抜刀術。
サイの神速の剣は、弧を描きながらザムジードの首を捉えた。
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次回更新は来週月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十二話 掌に咲く 前編』
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