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第十九話 遠雷 後編





「何かを変えるために、必要なものはなんだと思う?」


 王都の外れにある場所に、長い間誰も近寄らない朽ちた聖堂があった。かつては多くの人々に愛されたその場所も、王都の中心部への移設を理由に人が入らなくなってから、既に長い年月が経っていた。中身は元より、周囲の手入れもされておらず、草木に覆われたその場所にあえて立ち入るものも、そこを住処としている野生の獣くらいであった。


 そんな場所に近年、とある一団が住み着いた。一見して普通ではない彼等は、誰にも気付かれる事なく時を待っていた。


 その中の一人の男こそ、王都の希望の象徴でもあるユーリ・フィテスの暗殺に動いた男であった。気配を断つ技術に長け、油断なく逃げおおせた男を出迎えたのは、彫りの深い顔をした、一人の小柄な男であった。

 黒いローブを纏った小柄な男の存在は、陰鬱な空気を持ち合わせていて、いるだけでその場の空気を重くする。若々しい見た目とは裏腹に、言葉は低くしゃがれ、老人のような落ち着きを見せる。


「……強い意志と、決断力、ですか?」

「それでは面白みがない。俺が求めるのは、もっと胡乱うろんかつ、悪逆なるものだ。ただただ純粋な悪を持ち寄りて、絶え間なく普遍であるものを喰らう」


「普遍であるものを……ですか」

「そうだ。それは例えて言うならば、何千年という時を生きる大樹のように。陽を受け、雨に育まれ、場所を取り当たり前のように存在するもの。それを普遍の枠から少しだけずらす。何も根っこから掘り返す必要はない。ただただ年月を喰らい、ブクブクと太った幹と枝の一部を、そっくりそのままぎ落とし、悪逆なるものにげ替える。誰も気にはしない。もし気にする者がいたとしても、その全てを喰らい尽くせばいい。後に残るのは、何も理解できぬ雛鳥よ」


「はぁ……」

 いまいち要領を得ぬ男の様子を見て、小柄な男は邪悪な笑みを浮かべる。


「例えば、グラムに巣食うフィテス。あれらは常に清く正しく、清廉せいれんである事を旨とする」

 漏れ出そうな何かを必死にこらえるように、小男は肩を揺らす。


「……ザムジード様?」

「あぁ、すまん。それと皆はもう出た、お前も今までご苦労であったな──」


 ザムジードと呼ばれた男の手が、不安そうな男の肩に触れる。男にとってザムジードとは、自らの所属している組織の名前であり、最も上位に立つ絶対者を表すものでもあった。だが、今日に至っては上位者であるザムジードの様子はおかしかった。常日頃であれば、もっと寡黙な人物なのだ。ザムジードの様子を伺おうと、目を覗き込もうとした男は、自らの身体がぶよぶよとした異物へと変質するような気持ち悪さを覚える。


 何で──という、男の思考が一巡りする間もなく、身体が端から崩れ落ちていく。それは文字通り、泥のように指先から始まり、最後にはぼとりと頭までも落とす。地べたにへばりつくように広がった泥。男には何かを知り得る時間すら与えられることはなかった。


「──特殊な毒か、その男は仲間ではなかったのか」

「広義の意味での仲間などおらぬよ。全ての民は我等が王の贄であり、供物なのだよ、フィテス」


 扉が開き、差し込む陽光が入り口にいる人物の輪郭を見せる。


「俺の事をフィテスと知っての行動であるならば、街中での騒ぎはやり過ぎだったな。ようやくそれらしいものに出会えたのだ、洗いざらい吐いてもらおう」

 薄闇に燃える炎。動きやすいように切り揃えられた灼熱色の短髪と、力強く猛々しいおもて。緋色に輝く瞳が、態度を崩さぬ小柄な男、ザムジードを捉えていた。


「ふん、それにしても存外大物が掛かった。剣聖アルバート・フィテスか」

にじみ出んばかりのその悪業あくごう、グラムに持ち込ませるわけにはいかぬ。ここで祓わせてもらおう」


「は、恐ろしいものだ、魔導というものは。取り憑かれたものの目をくらまし、幻想まやかしを見せる」

「人はそれを理想というのだよ、ご老人。姿形を誤魔化し、たばかることに長けたその口上、戯言もそこまでにしてもらおう」


 ガタリと音がする。アルバート・フィテスが聖堂の中にある暗闇を注視すると、人形ひとがたに空間が切り取られ、その中から漆黒の鎧を着た男が現れた。


「……何者だ」

 アルバートの言葉に、ザムジードが首を僅かに傾げると、無機質な顔を向ける。


「気付いた時には全て手遅れ。我等はそういう風に動いてきたのだからな。グラムの守護騎士がこんな所にいて、街は大丈夫なのかな? ──やれ、聖魔」


 ザムジードの声に反応して、闇夜を思わせる漆黒の剣が放たれる。それをアルバートが剣で弾き返す。音もなく足を運び、相手に間を取らせぬ剣の振り。それは、フィテスに伝わる、裏拍打という剣技であった。


「……まさか」

「俺を殺してくれ、アルバート」


 目に見えぬほどの速さで、幾重にも繰り広げられる剣戟の嵐。一歩も引かぬ刃の闘争。本能がぶつかり合う聖堂に、ザムジードの笑い声が木霊する。


「愉しい戯曲の始まりだ、フィテス」





 * * *





「母様!」

「ただいまマーク。シイナはどうした?」

 邸宅に帰宅したユーリは、執事よりも先に出迎えてくれた愛しい我が子に、優しげな表情を見せる。


「姉様は母様が出られたすぐ後に、お城より使者があり、それに付いていかれました。もうすぐ戻られるのではないでしょうか?」

 マークが必死にユーリへと情報を伝える。歳は幼いが、伸びた髪は幼い頃のもう一人の息子を見ているようで、少し感慨にふける。


「そうか。街はいまだ混乱の渦中から逃れられてはいないようだ。物騒なことも多い。マークも外に出るときは気をつけるのだぞ」

「母様、大丈夫だよ。悪いやつなんか、アルバート叔父様がみんな退治してくれるんだから」

 マークのキラキラと輝く瞳は、まだ幼いがフィテスの炎を宿している。フィテスというもの自体に絶大な信頼を置いているマークの一途な想いが、時に危うさを連れてきそうでユーリは心配になる。今はもうここにはいない息子のように、強い責任感を抱え込んでしまわないように、守っていかなければならない。彼が一人で立つその日まで。


 その時、今しがたユーリが入ってきた外の門が開く音がする。ユーリは今のマークの話を聞いて、シイナが帰ってきたのだと思った。


「ユーリ様! 街のほうぼうで火の手が上がっています。何者かが悪意を持って放ったものであると、騎士団のサエリ様が!」

 その逼迫ひっぱくした声の主は、ユーリの部下である女騎士のものであった。


「何だと! ベル、貴女は今すぐアルバートのいる聖堂騎士団と連絡を取り、行動を共にしなさい! 私は一足先に難民達を助けにく」


「母様!」

 不安そうなマークを見て、強く抱き寄せる。

「マーク……大丈夫」

 目を合わせ、頷いた息子を見て、ユーリは屋敷を出る。


 門を開いたユーリの前に広がっていたのは、王城へと続くように赤く燃える空と、戦場にある燻った臭いであった。





いつもお読み頂きまして、ありがとうございます。


次回更新は来週月曜日夜の予定となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第二十話 王都炎上 前編』

乞うご期待!

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