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第十九話 遠雷 中編




「このままでは泥沼だな」


 王都を歩いていたサイの口から零れ出た言葉は、現状を言い表していた。雨足は小康状態へと移り変わっていたが、しとしとと霧雨のようにまとわりついて身体の芯を冷やしていく。


 急速に流れ行く時が個人の事情を省みることはなく、次から次へと変容する世界をこれでもかというくらいに見せつける。それでも進まねばならぬと覚悟を決めて歩を進めても、踏み出した足はさらなる深みに嵌っていくようで、ずぶずぶと身体までも沼の底へと沈めていく。


 大災害というものの巨大さを考えれば、このような状況も惨状と言うには遠い光景とも思える。だが、外から流れてきた難民の多くは、何かをするという気力までは持てず、日々を持て余しているようにも見えた。未来への希望よりも今の苦境を受けて、し崩し的に陥った状況を改めて見つめ直している段階なのかもしれない。


 サイは緩やかに流れる人の波を、ただ一人変わらぬままゆったりと眺めていた。連日代わり映えのしない風景ではあるが、調子を変えずにいつものように歩いていると、ふいにわっと人の中でどよめきが起こる。

 そして群衆の内部にほんの一瞬だけ生まれた殺気を、サイは敏感に感じ取った。頭が反応するより前に、腰に提げていた剣の柄に左手の腹が当たる。身体に意識が追いつくと、探るように人の群れを凝視するサイ。


「ユーリ様だ!」

 子供達の声が上がる。声がした後すぐに、サイが感じていた殺気は人の流れに紛れて掻き消える。


 声がした先にあったのは、人が群れとなって大通りを移動している様子であった。その波間に見えたのは、颯爽と歩きながら金色に輝く髪を靡かせて、目を引く白銀の鎧を纏っている女性。サイは子供達が叫んでいたユーリという名前にも聞き覚えがあった。


 ユーリ・フィテス。彼女こそ、昨日さくじつヨアヒム・エドとの会話の中で上がった、今のフィテスを象徴する人物であり、フィテスの遺志を途絶やすことなく受け継ぐ者であった。フィテス家は大災害の前後において、それこそ筆舌し難い困難な道を歩んでいた。


 当主となる予定であった長子は、先の大災害の折に行方不明となっていたし、その母であるユーリ・フィテスは、フィテスの家長であるクロードを失ってから当主代行として長年その座を守っている。


 少し前に剣聖の名を戴いたアルバート・フィテスも王国にて名高いが、非業の死を遂げたクロードの後を継ぎ、困難を乗り越え奮起するユーリの姿は、多くの人々を魅了し希望を与え続けている。長子の行方がわからぬ以上、彼女は残っている子らが成人するまでフィテスと王国を守り続けるのだろう。


「王国の象徴たるフィテスが狙われているのか。全く持って、いつになっても人の世というのは恐ろしいものよ」

 サイは今感じ取った出来事の裏にある悪辣なる邪気を肌で感じ取る。嫌な予感が働き、思考とともに体温が下がってゆく。そんなサイの考えを中断させるように、ユーリ・フィテスの歩みが止まると、ぼんやりと眺めていたサイへと向きを変えた。


「その道衣──貴殿はもしかしてグアラドラの導師殿か?」

 今こそ頭の中で思案していた人物、ユーリに突然に話し掛けられて、サイに衆目が集まる。


「お会い出来て光栄です。フィテス卿。グアラドラの導師、サイ・ヒューレと申します」

「そんなに畏まらなくていい、貴方がたに世話になっているのは、こちらの方なのだからな」

 話し掛けてきたユーリのからからと笑う姿は、貴族特有の取っ付きにくさを微塵も感じさせない。世間の評判も案外的を射ていると、サイはそこで実感を得る。


「いえ、大災害という国難において、グアラドラとして当然の事をしているまでです。人民を救う為にその身を常に民の傍に置く。まさに希望の申し子であらせられる卿のお噂はかねがね聞いております……」

「あまり褒めてくれるな。大災害の侵攻自体は緩やかになっているが、現状を打破できていない以上、これくらいのことしか私には出来ぬからな」


しかして少々気になる点が……。卿は今、狙われているのですか?」

 サイは静かに近寄ると、ユーリの耳に囁く。

「流石はグアラドラの導師といったところか。だが、現状はどうしようもない。ここ数ヶ月は見ているだけのようであるし、其れが民を扇動する様子もない。実害がない以上はこちらも動きは取れぬさ。それに私とてある程度の魔導は修めている。そうそう不覚は取らぬよ。アルバートも裏で見張ってくれている。それほど大事にはならぬさ」

 神妙な顔を一瞬だけ見せると、直ぐに気を取り直したようにそう言うユーリ。笑顔は曇ることなく、心の底よりそう思っているのであろうことがうかがい知れる。


「いらぬ心配かもしれませんが、このような状況です。大災害以外にも気を張らねばならぬというのは、心中お察し致しま──」


──ギィンッ


 甲高い音が鳴り響く。

 サイは瞬時に引き抜いた剣を回転させながら、自然な動作で鞘に納める。さらに数瞬遅れで天空から落ちてきた短剣を無造作に上げた右手で掴むと、サイは何でもない風を装って懐に仕舞った。

 あまりの早業に、何が起きたのかすら理解できていない民衆を前にして、サイは悠然とした態度をかけらも崩さない。サイの耳はその場から離れていく足音を捉えていたが、追い掛ける事はしなかった。追い付く事が出来たとしても、この群衆の中で無闇矢鱈に暴れられた場合被害が拡大するおそれがあるとサイは判断した。


「これでは狙われていたのが私であるのか、貴女であるのか、分からなくなってしまいましたね」

 サイはここ数年で増えた溜息の数をなんのけなしに考えてみたが、答えは出ないとしてすぐに思考を放棄する。


「驚いたな。今までは一度も手を出してこなかったというのに、まさか白昼堂々とこんな場所で襲ってくるとは……。それにしてもサイ殿は器用だな。左に差してある剣を左で抜いて、技量のみで勢いを殺すとは。あまりにも速すぎて、私以外誰も気付いておらぬ」


「あまり褒められたものでもないですが、条件反射というやつでしょうか。しかし、遠くに鳴り響く雷も、時には目の前に落ちる事もあるという事でしょう。何にせよ、何かあってからでは遅い。私も気を付けますので、貴女も気を付けられてください」

 サイの言葉が終わる前に周りの子供達に囲まれるユーリ。それを見てしょうがないなとユーリが苦笑する。区切りを見つけて話を終わらせると、その場でサイは別れを告げる。


 サイは過ぎ行く群衆を一度振り返るが、すぐに踵を返す。邂逅の時は一瞬であったが、同じ大災害と戦う者としてその生き様を心に刻む。


「戦いの進め方は千差万別、か。しかし──先程の暗殺者、想像よりも厄介なものであるのかもしれんな」

 懐から取り出した短剣を見てサイは呟く。

 刃から臭うのは微かな刺激臭。それを丁寧に布で包んで仕舞うと、サイはそのまま雑踏の中へと消えた。





今回もお読み頂きまして、ありがとうございます。


次回更新は木曜日夜の予定となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第十九話 遠雷 後編』

乞うご期待!

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