第十九話 遠雷 前編
ばらばらと大地に激しく打ち付ける大粒の雨が、騒がしげにサイの耳を打つ。遠方の空には雷が蛇の様に蠢いて、目にした者への不安を掻き立てる。
そして、そんな空の下に広がる光景が、サイ・ヒューレの思考をさらなる憂鬱へと誘う。
グラム王国の王都は今、見れば酔うほどの人の波でごった返していた。それ自体を表すならば、活気があるようにも見える。だが現実問題としてのそれは、積もりに積もった無理難題が、肥大化して可視化された姿でもあった。
大災害の魔物被害により近隣の街や村から逃れてきた難民達は、救済を求めて王都へと集まった。戦えぬ者たちが行き着く判断としては至極当然の結果ではあるのだが、抱え込んだ問題群は当初の予想を遥かに超えていく。短い期間で王都へと流れ込んできた尋常ではない人の波は、大災害を前にして都市の機能を麻痺させるほどであった。
「様子はどうかね、サイ導師」
部屋の扉が開き、入ってきた男がサイに語り掛ける。深い碧色の髪を持ち、深緑の瞳を向ける男。年の頃は壮年に差し掛かったくらいに見えるが、実際の年齢はサイと倍以上違う。
「エド卿……」
「ヨアヒムで構わんよ。その様子だとまだまだ雨は続きそうだな。こう長いと気分も沈んでくる」
振り返ったサイが見た声の主は、サイが世話になっている館の主であった。男はそのまま窓際に立つサイの傍に寄ると、外の様子を眺めて言葉を繋ぐ。
サイが今いる場所は、王都の中心に位置する王城からほど近い位置にある、大きな館の中であった。館の主は今話し掛けて来たヨアヒム・エドという男であり、グラム王国にある二大大家である、エド家の現当主でもあった。
「こんな状況下にあってもいまだに大きな暴動は起きていない。慣れぬ環境にあっても民衆の理性が働いている事を喜ぶべきか、まともな環境を用意できぬ事を嘆くべきか、難しいところではあるな」
ヨアヒムの視線がサイを見た後、すぐに窓の外へと戻る。簡易的に作られたテントの下には、雨を凌いでいる大勢の難民の姿があった。
「これ以上の受け入れは……出来ませんか?」
「そうだな。開放出来る土地はあらかた開放した。それこそ王城のこんなすぐ近くまでな。それに問題も山積みだ。物資も、食料も、難民を守り抜く為の人員も足りない。難民の中からも募集をかけてはいるが、集まったとてすぐにやれる事も多くはないだろう」
サイは民衆を見るヨアヒムの横顔を見ていた。
王国の大貴族として、為政者として、苦渋の決断を迫られている。
「それでも何とかなっているのは、フィテスの女傑殿が当主代行として民衆の先頭に立って動いているのが大きい……これ以上を求めるとなると、選別をしていかねばならん段階なのかもしれぬ」
言葉の端々に、矜持と悔恨が見え隠れする。
「……グアラドラとしても最大限の助力はさせて頂きます。しかし、元凶を絶たねば、この長き暗闇を抜ける事は難しいかもしれません」
喉元まで出掛かっていた言葉を、サイは飲み込む。
エド家にはかつて、才気に溢れる次代の後継者がいた。サイとしても深い事情までは窺い知れぬが、彼の者が表舞台から姿を消してから既に長い年月が経っている。たられば、ではあるのだろうが、その存在があれば、強い指導力を持ってより良い方向へと導けたのであろうか。
それはもはや選ぶことの出来ぬ未来の一つ。今は霧中を突き進む為に、新たな道を探るしかない。
「苦しいな。──ヤン導師はもう旅立たれたか?」
「えぇ。少し前にグアラドラへと向かわれました。門の開放の為に」
──魔導王であれば、このような状況であっても導くことが出来るのであろうか
誰もが一度は考え、空気と混ざる前に消えてゆく言葉。
「どこにでもあり、どこにでも通ずる……か。新たな魔導門が生まれるのがグアラドラだというのは、王の目覚めを暗示しているのかもしれぬな」
「そうであれば良いのですが──」
魔導門の一つはグラム王城の地下にある。あるが、魔導門はその数に際限がなく、新しく生まれるということが度々あった。そのどれもが魔導王の眠る場所に通じているとされ、規模は大陸全土に渡る。
門を開くことが出来るのは、王に認められた一握りの人間。ヤン導師は新たな門の現出を感じ取ると、その度に門を目指し、開放を行っていた。
大陸の最南端に位置する、魔導王の生まれ育った大地でもあり、サイの故郷でもあるグアラドラ。グアラドラに生まれた門が何を意味するのか、サイには分からない。ヨアヒムの言うように、王の目覚めが近いのかもしれない。
──不意に、いつか交わした約束を思い出し、サイは空を見上げる。
懸命に生きる人々の吐く息と温もりが、そのまま空へと昇っているようにも見える。
雲が空を飲み込み、時折顔を覗かせる雷は、瞬きのように世界の色を変えていく。
結局その日、王都に降る雨が止むことはなかった。
いつもお読み頂きまして、ありがとうございます!
週末にかけての大雨に注意されてください。
次回更新は来週月曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十九話 遠雷 中編』
乞うご期待!




