第十五話 想うからこそ 前編
「彼方に見えるカナン山脈の全域において、邪なる気が蔓延しておる」
その日はシュザ導師のそんな一言から始まった。
グアラドラの地を目指して、王国内を移動していたオーリン一行は、四頭立ての馬車を使いながらアインハーグからさらに南方へと、大陸を横断している最中であった。
グラム王国の遥か南端に位置するグアラドラは、アインハーグの南にあるエーデという街を抜け、カナンと呼ばれる広大な山脈を越えた先に存在している。
山越えのために麓の村に立ち寄ろうとしていた矢先、カナン山を見たシュザ導師の口から放たれたのは、そのような言葉であった。
褐色の少年マシューは、目覚めてからずっと馬車内の窓際に腰を掛けて、流れる景色をうつらうつらと眺めていたが、御者席にいるシュザ導師の言葉にピクリと反応を示す。オーリンもその言葉を受けて、シュザ導師の指し示す方角に目をやる。
「大災害か?」
「カナン山の邪なるもの……伝承にある緑青鬼が現れたのかもしれません」
オーリンの疑問に答えたのは、共にカナン山を見ていたクイン導師であった。
「緑青鬼?」
「それはかつて、名もなき戦士に討ち斃されし悪辣なる緑青の鬼。その鬼は、巡りゆく時の中で数百年に一度、群れとなって人々を襲うと言われています。幾度か退治されているのですが、緑青鬼は群れが持つ生命保存の習性により、全ての個体を滅ぼすことが叶わないとされています」
「然り、今より向かおうとしていたカナン村には、伝承にある戦士の子孫達がいる。長い間立ち寄る事もなかったが、もうそんな時期であったか」
仮面の縁を軽く触り、飄々とした態度を崩さぬままに、シュザ導師は考える仕草を見せていた。
「緑青鬼……か」
「ふあぁ。強い相手なら、面白いんだけどなぁ」
マシューは欠伸を隠すこともせず、そんな言葉を漏らす。
育った環境や性格によるものか、全くと言っていいほどに強い相手以外には興味を示さないマシュー。そんなマシューを見て、オーリンは溜息をついた。
「カナン山の鬼の伝承はグアラドラにも数多く残っています。今は大災害の事もありますし、手助けが出来ればいいのですが」
クイン導師の言葉にオーリンが賛同しようとした時、徐にシュザ導師が仮面を外す。何か感じるものがあったのか隠れていた左眼でカナン山を凝視する。
オーリンの眼にも見える程の虹色の魔導が、シュザ導師の瞳に集まっていく。
「──ふむ。オーリン、マシュー、馬を二頭切り離す。お主らは先に行ってまいれ。どうやら山で人間が襲われているようだ」
「何だと!」
シュザ導師が次いで舌に乗せた言葉に、オーリンは愛槍を手に取る。
「兄貴!」
シュザ導師の言葉に、マシューは楽しそうな笑みを浮かべて飛び起きる。
いつでも準備は出来ていると言わんばかりのマシューを見てから、オーリンは馬に飛び乗る。
「往くぞ!」
* * *
オーリンは森の中で襲われていた青年と眼を合わせた後、周囲を見渡す。この場に人間は数人。負傷者が多数いるようで、それを囲むように守っている。
対する相手は大別して二種類いる。
四足の獣である漆黒魔獣はもう何度相手にしたか分からない。だが、オーリンが気になったのはマシューが狩った緑青の化物であった。その化物を見た時、オーリンの思考には魔の物、魔物という呼称が浮かんだ。
「あれが緑青鬼。武器や防具で身を固めているということは、より人に近しい頭脳を持っているというのか?」
オーリンは、負傷者の集まった場所へ近付こうとしている緑青鬼に気付く。
瞬時にオーリンの踏み出した足が大地を穿つ。
激しい音を打ち鳴らして、それは震脚へと至る。
──ドンッ
力を一点に集約させ、捻りを加えた一撃を繰り出すオーリン。
穂は一直線に緑青鬼の頭部へと向かう。
──ギャッ
唐突に現れた存在に対して驚いたのか、迫ってくる槍の穂を見て、緑青鬼の目はきつく閉じられ、口から小さな悲鳴が漏れる。
ゆっくりと景色が進むように、緑青鬼の動作が事細かに見える。
盾を構えようと動く鬼。
だがそれよりも速く、体重移動による加速が加えられたオーリンの一撃が緑青鬼を貫く。
刹那の間に穿たれた刺突は、突き刺さってから引き抜くまでの時間を無に等しいものとする。
──ドスン
一拍遅れて緑青鬼が地に伏せる。
止まった時は音を経て再度動き出す。
「名前は?」
オーリンは最初に目が合った青年に話し掛ける。
「ガ、ガルムだ」
青年が振り絞った声は掠れていた。
負傷した者達を守るために、懸命に剣を構え続けている。
「……ガルム。戦えるか?」
ガルムに語り掛けるオーリン。
「ああ……何とかやって見せる」
ガルムは恐怖を必死で抑え込む。震える手をもう片方の腕で掴むと、剣の持ち手を支える。
「良し。俺とあそこに居るマシューとで、周囲の魔物を出来るだけ殲滅する。ガルム達は抜かれた魔物の対処だけでいい。隊列を組み、戦える者は射程に入ったやつにだけ剣を振れ。無闇に飛び出るな。後から強力な援軍も来る。少しだけ踏ん張るぞ」
オーリンは静かに、だが力強く、ガルムの目を見て言葉を伝える。
オーリンの言葉に、ガルムが頷く。
さらには、ガルムの背後にいる者達の意思を感じ取り、オーリンは緑青鬼の群れと再度向き合う。
「マシュー。手加減無しだ!」
「あいよっ!」
オーリンの号令を待っていたのか、有り余るほど強大な力が込められたマシューの剣が、藁を斬るほどの容易さで、近くにいた憐れな緑青鬼を両断する。
弛まなく流れる時の中で、背中に命の重みを感じながら、オーリンはわらわらと集まってくる緑青鬼を見る。
オーリンは一歩踏み出し、槍を構える。
常人であれば死の領域であるそれ。
更にそこをもう一歩、オーリンは進む。
それは紛うこと無き死の境、死線を──オーリンは自らの意思で越えていく。
──ザッ
地に映る影。
頭上から降ってきた緑青鬼の攻撃をオーリンは柳の如き体術で小さく避ける。追撃の剣が振られる前に、相手の剣身を見てオーリンはもう一歩下がる。
たたらを踏んだ緑青鬼は、怒りの形相でオーリンへと距離を詰めようと、膝に溜めを作り、走り出す準備をとる。
が、そんな思惑すら知ったことかと、オーリンの槍によって軽く足を払われる緑青鬼。
するりと刃が通った後には、緑青鬼の分断された足のみが地に残っていた。
それを見ていた周りにいる緑青鬼の群れが怒りをあらわにする。
緑青鬼共が必死に放つ威嚇のそれすらも、今のオーリンの心に、漣一つ立てることは出来ない。
「掛かってこい」
──その時、何か言葉が聞こえた気がする。オーリンは、それを置き去りにして進んでいく。
前に。さらに前に。
* * *
「──ヤマツミの戦士……」
ガルムの口から言葉が出ていた。
なんでそんな言葉が出たのかは分からない。
だが、もし眼の前にいる存在が、本当の意味でのヤマツミの戦士と呼ばれるようなものであるのならば、自分たちは一体何であるというのか。
ガルム歯噛みする。
「何故俺は、ああじゃない……」
時に真っ直ぐな想いは、あまりにも眩い光を見て、そこに影を落とす。
いつもお読みい頂きまして、ありがとうございます。
7月に入りました。下半期もどうぞよろしくお願いいたします。
次回更新予定は来週月曜日夜となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十五話 想うからこそ 中編』
乞うご期待!




