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第十四話 ヤマツミの詩 前編





「頼むよ、エリィ。ツケにしてくれないか? この通り、一生のお願いだ!」


 酒場に男の声が響き渡る。

 まばらにいた客が声のする方を振り返ると、テーブルに座った大男が、両手を合わせながら給仕の少女へと懇願しているところであった。


「明日、明日必ず払うからさ!」

 男はその巨体も相まって、店内でも目立っていた。歳の頃は三十に少し入ったほどだろうか、全身から生命力が溢れて出している。外套から覗く腕も、戦士として十分なほどに鍛えられし筋肉を纏っていた。髪の色はくすんだ白色。それもあかりの当たり具合では青みがかって見える。


 元は精悍であろう顔付きも、給仕の少女に頼み込む姿によりその影を潜める。古びた灰色の外套マントの下には皮革の鎧を着込んでいて、背中には抜く事が出来るのかどうかすら怪しいほどの、一振りの大きな長剣を背負っていた。


「駄目ですよスーさん! スーさんがそう言って何度目になるんですか。私も主人マスターから口酸っぱく言われてるんです。溜まったツケの一回分でもいいから払って下さい。払って貰えないなら、もうスーさんの相手もしないです」


「そんな、殺生な。長い付き合いじゃないかエリィ。それとも俺に麦酒エールなしでこの寂しい夜を過ごせって言うのか」


「長い付き合いって、二週間前にこの街に来たばかりじゃないですか。もうっ!」

 大の大人が己より一回りは下の少女をつかまえて、おいおいと泣き言を垂れ流す。その姿を前にして少女は溜め息をつく。給仕の少女も、これ以上突っぱねるほどに強くは言えない、そんな状況に対応をしあぐねている。


「こぉら、スウェイン! てめぇ来る日も来る日もうちにたかりに来やがって! しっかりと働いて、金を稼いでから店にきやがれ!」

 店の奥から筋骨隆々とした大男が、どたどたと大きな音で床を踏み鳴らしながら飛び出てくる。その身体の大きさはスウェインと呼ばれた男と遜色がない。


主人マスター、頼むよ! 本当に今回だけだ! 今、丁度持ち合わせがないだけなんだよ。それに俺ぁ麦酒エールを飲まねぇと剣が振れねぇ」


「どんな言いぐさだ馬鹿野郎! 全く、一度面倒見てやったら骨の髄までしゃぶろうとしやがって。てめぇの背負ってる馬鹿でかい剣は、見せかけだけじゃねぇんだろうがよ」

 厳つい顔で烈火のごとく怒っていた主人マスターも、スウェインの不甲斐ない姿を見て、そのあまりの情けなさに呆れ果て、次第に語尾を弱めていく。


「頼むよ。いざとなったら俺が魔獣でも何でも叩っ斬ってやるから、用心棒代として一杯、いいだろ、な?」

 片目を瞑り、指を一本立てて店内でごね続ける大男。そこまで見ると、常連客はいつものことかと興味を失っていく。


「またそんな大層なことを……」

 どうしようもない空気に、いつものごとく店の主人マスターが折れそうになった、その時──


「その代金、私が支払ってもいいのだろうか」

 そんな声が耳に入り、スウェインは声の出処でどころを見る。そこには、純朴そうな一人の青年がいた。


「あん?」


「その変わりと言っては何なのですが、お願いがあるんです」


「あー、……んー。まあ、金を払ってくれるってんなら、俺としては有難いがよ。その願いってのは?」

 聞き心地は良いが、どこかきな臭いその言葉に、少し伸びた髭をさすりながら、スウェインは右目を瞑って先を促す。

 店の主人や給仕の少女も、事の成り行きを見守っている。


「私の住んでいる、カナン村に来てほしいのです」


「……カナン村、ねぇ」


「ええ、そして……村のそばでうろついている、魔獣を退治してほしいのです」

 次いで飛び出してきた青年の言葉に、スウェインは目を細め眼光を鋭くする。





 * * *





 遠吠えが聞こえて、ハサンは恐る恐る背後を振り返る。時刻は夕暮れ時、夏を過ぎてゆく季節の中で、体温は高くなっているというのに、ハサンは少しだけ寒気を覚えた。


 振り返った先には一人の大男がいた。

 古びた灰色の外套マントに身を包み、背中には異常に大きな長剣を背負っている。体格は成年としても決して低くはないハサンの身長から、頭二つ分ほど高い。髪は白く、陽の光に反射して青くも見えるが、手入れをする気がないのか、整えることもなく無造作にしている。


 男はハサンの視線を気にすることもなく、周囲の気配に気を配っていた。

 ハサンは街での買い出しを済ませて、自らが居住しているカナン村へと帰る途中であった。


 元々細やかな性格をしているハサンは、物事を慎重に行うために村の中で重要な仕事を任されることが多かった。

 今回の旅でいつもと違う点があるとすれば、それはハサンの住んでいるカナン村へと、しばらくの間、村に逗留とうりゅうしてくれる戦士を雇うというところにあった。


 ハサンの住むカナン村には、村の若者たちの手で結成された青年団があり、村を自衛できる程度には武力を保有していた。だがそれでも最近は不安な事が多かった。山で魔獣を見たという者がいたからだ。今の所実害は出ていないのだが、対処を間違えればカナンという小さな村は消えてなくなってしまう。


 この状況に憂いて、迅速に行動に移したのは、村で実権を握っている村長ら寄合衆よりあいしゅうではなく、青年団の長であるガルムという若者であった。そうした状況下で白羽の矢が立ったのが、ハサンである。常日頃から買い出しの仕事を担っていたハサンは今回、青年団のガルムに命じられ、街で腕利きの戦士を雇うという使命を与えられる。


 しかし、ハサンはすぐにその使命がとても難しいものであると知る。

 腕利きの戦士は言わずもがな、街にいる戦士に片っ端から声を掛けてみたが、色良い返事が返ってくることがなかったからだ。


 依頼が難航した理由は無数にあった。村で用意できる金銭が、戦士達が街で雇われるものよりも少なかったというのもあるし、何よりも、遠方にある村での依頼というのが大きな問題であった。


 街からも遠い、孤立した村に行くということは、それだけ危険度が高く、何かあった時の保証がない。

 命を掛けるにしてはあまりにも危険度の高いハサンの依頼は、熟練の戦士であればあるほどに、二の足を踏ませた。


 それでも、村で待つ者達のために、来る日も来る日も、ハサンは探し続けた。

 街での逗留期間とうりゅうきかんが予定よりも長くなり、ハサンは一度カナン村へと帰ろうと考えた。

 そんな中、ハサンの依頼を受けてくれる戦士に出会えたのは、ハサンにとっては運命といっても過言ではなかった。


「スウェイン様、歩きになってしまってすみません」


「あー、様付けはいらん、己が大層な人間になったと錯覚しちまうし、むず痒くてかなわん。それに、諸々の条件込みで引き受けたつもりだ、気にするな」

 手を振り、軽い口調で答えるスウェイン。

 酒場で見た時ほどの緩さが見えないのは、依頼先でもあるカナン村までハサンを護衛するという意識があるためか。


「そうですか」

 どこか寂しそうなハサンを見て、スウェインは口を開く。


「ところで、魔獣を見たというのはいつ頃からだ?」


「ああ、一月前の事ですが、村の人間が山の中で食い散らされた獣の死骸を見付けたのです。最初は獣同士の縄張り争いだと思ったのですが、日を重ねるごとに手つかずの死骸が増えていったのです。そして丁度一週間ほど前、村の狩人であるダンが、獲物を待つために木の上で身を潜めていた所、化物を見たというのです。幸いなことに見つからずに済んだようですが」

 荷を積んだ馬の手綱を引きながら、ハサンが答える。


「……そいつぁ面倒くせぇ相手だな。急いだほうがいいかもな」

 少し考える仕草を見せ、ハサンを見るスウェイン。


「スウェイン様、何か気になる点でも?」

 スウェインに言葉の意味を問おうとしたとき、今まで遠かった獣の咆哮が、近くなっているように感じた。


「様はいらん。……まて、近いな」

 見える景色に異変がないかを確認するスウェイン。

 魔獣と呼ばれる化物が巷で見かけられるようになった昨今では、住処にしていた場所を奪われた獣が、新たな住処を探すために山を下りる事も少なくない。


 スウェインが視線を戻すと、目の前の青年はその言葉におびえているようであった。

 元来臆病な性格なのであろうとスウェインは感じ取った。そうこうしている内に遠吠えの数が増えていく。それは、地を駆ける音と共に、スウェイン達の前に明確なる形をもって現れた。


「──来るぞ」

 スウェインが唐突にそんな事を言う。ハサンはその言葉に息を呑む。

 次の瞬間、黒い影がハサンの視界の端に入り込む。それを確認しきる前に、スウェインが背中の剣に手をやると、無造作に上方へと持ち上げる。


「頭を下げろ」

 スウェインの言葉に咄嗟にかがむハサン。


──ズドンッッ


 ハサンの頭上を通る風圧が髪を持っていく。鈍い音がして、あまりの衝撃にハサンは目をつむり、頭を抱えてさらにうずくる。時間としては一瞬。おそるおそるハサンはつむった目を開く。ハサンの目の前にあったのは、スウェインの剣によって真っ二つに両断された、獣らしき物体であった。


「わあああっ」

 その物体のおぞましさに、腰を抜かしたまま後退あとずさるハサン。


「あー、手元が狂うといけねぇから、そのままじっとしてろよ」

 笑いながら、ゆったりと長大な剣を両手で持ち上げ肩に担ぐスウェイン。そんな一幕の間に、二人の周囲は無数の眼に囲まれていた。


 野犬等とは明らかに違う、丸々と太り漆黒の毛を持った四肢の獣。獣は唸り声を上げながら、スウェイン達へと鋭い眼を向ける。その身は腐臭を垂れ流し、ことさら異様をしらしめる。


「はっはっは、愉快だな。俺の前に雁首揃えて化物共が姿を晒すとは。あの世へ還してやるから、そのまま大人しくしてな」

 スウェインは言葉をそこで区切ると、足を一歩踏み出す。それを見て飛びかかる化物。スウェインは目線を外さぬまま、長大な剣を腕や肩のみならず、背中から通じて腰、足に至るまで、全身の筋力を使い振るう。


 地の砂を舞い上げるほどの風圧と、風切り音が生まれ、鉄の塊とした剣が横薙ぎに振られる。化物はスウェインに近寄る事もできずに、剣にはばまれるとそのまま千切れ飛んだ。


 化物は躰が二つに切り離されて、地に落ちたが、その姿のままでも牙を動かす。死なき獣。スウェインはそれを見ても、眉一つ動かさぬままに次手を打つ。剣の重さによって振られた身体をゆり戻すようにして、力に任せに振り下ろすと、動いていた残骸を粉々に叩き潰した。


「そんなんじゃまだまだ足りねぇよ。あ、気持ち悪くなったら目ぇつむってろハサン。この世にゃ、見なくてもいいものもあるんだぜ」

 スウェインの言葉が終わらぬ内に、唸り声を上げながらもう一匹の化物が飛び込んでくる。


 鋭利な牙を持ってスウェインへと噛み付こうとした化物の口腔へと、迎え撃つように正面から蹴りを放つスウェイン。鍛え上げられた頑強な脚は、鉄板入りの脛当てと靴で覆われている。化物とスウェインの脚がぶつかった衝撃で鈍い音がした後、化物の頭が牙もろとも粉々になった。スウェインは油断なく大地で動き続ける化物の胴体に剣を叩きつけると、止めを刺す。


「あらあら、食前の運動にもなりゃしねぇな」

 目の前の光景がハサンの脳裏に焼き付いていく。

 ハサンは、自分が見つけた戦士が、尋常ではない強さを持っているということを、そこで初めて理解した。


「まぁ、ゆるりと行こうぜ」

 残っている化物を見て、戦士は笑う。





お読み頂きまして有難うございます。


新章スタート致しました。

物語はどんどん進んで行きますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


次回更新予定は木曜日となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第十四話 ヤマツミの詩 中編』

乞うご期待!

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