第十三話 残響 中編
──パリン
がやがやとした活気を見せる食事処で、音が響く。
「あちゃー、またか」
天を仰ぎながら嘆息を漏らしたのは、年若き剣闘士、マシュー・ライザであった。
それは城壁都市アインハーグの中にある、マシューの行きつけの店での出来事。
「意識をして、ゆっくりと慣れていくしかないな」
マシューの手の中で割れているコップを見て、苦笑気味に声を掛けるオーリン。
マシューの手の内より弾けて零れ落ちた水は、卓全体に飛び散っては、周囲の同情を誘うほどの有様となっていた。
これで、マシューが物を壊し始めてから、何度目になるだろうか。
力の入れすぎで壊した、扉の取手に始まり、机や椅子、食器類は数えるのも億劫になる程に、マシューは触れる物の尽くを、その有り余る力で捻じ曲げ、粉砕していた。
「巨人の力がこんなにも面倒くさいものだなんて、涙が出てくるね」
マシューは身体の奥深くに溜め込んでいた息を、項垂れながら吐き出すと、店員から貰った布巾でこわごわと卓を拭いた。
「あまりそう言うな。その力もマシューが目指すものの役には立つのだろう」
「そうは言うけど、兄貴。こういうぽっと手入った力ってのは、なんだか借り物みたいで、俺は嫌なんだよ」
この時ばかりは年相応な子供っぽさと、不満げな表情を見せるマシューに、オーリンは微笑みを返す。
「力は所詮力だ、それ自体に意味はないさ。目的を持って、それを扱う者の志が伴うのならば、気にする必要はない。真に見据えるべきは、その力で一体何を為すか、だからな」
オーリンは店員から受け取った、新しいコップをマシューへと差し出す。
おそるおそるコップを掴むその手は、力を抑え込むために必死になっているせいか、小さく震えている。
「そういうもんなのかねぇ。俺にはまだよく分かんねぇや」
マシューは受け取った水をゆっくりと口元まで運ぶと、一息に流し込む。
「今は魔獣の事や大災害の事もある。より強い力があることに不都合はないだろうさ。まあそれでも、少しの間は苦労するだろうがな」
マシューが今抱いている戸惑いも、オーリンからしてみれば羨ましい事であった。
そういった事で悩むというのも、若者の特権なのかもしれない。それほど歳をとったつもりもないが、最近はどうにも考えることが多いと、オーリンは思った。
マシューとヨグの決闘の後、オーリン達はアインハーグにて一週間の時を過ごしていた。
瞬く間に解決された巨人事件であったが、その余波はアインハーグという都市に僅かばかりの影響を与えていた。
巨人の意志によりアインハーグに呼ばれ、留められていた強き魂達。その流れが緩やかにではあるが、アインハーグという壁の中から、壁の外へと流れるようになっているようであった。
オーリン自身は、街に住んでいないからそれまでとの違いは分からない。だが、街に長く住むヨグの言葉によると、街を離れる剣闘士が少しずつ増えていることを肌で感じているようで、それが真実である事を示していた。
それとは別に、巨人事件の余波は思いもよらぬ所に表れていた。
マシューの身体は確かに巨人から開放された。
だが、話はそれで万事解決とはいかなかった。
シュザ導師によれば、巨人はヨグとの戦いに満足したのか、マシューの中にあった巨人の魂そのものは既に消滅しているという。
それ自体はシュザ導師の特殊な左眼で見ているので確定的なのだが、巨人は置き土産として、力をマシューの体内に残したまま消えてしまった。
「真に不可思議なこともあるものよ」
シュザやヨグはその事実を知って、楽しそうに笑っていたが、マシューにしてみれば、身体の感覚があまりにも以前と違うので、毎日を四苦八苦しながら過ごしている。
巨人はもういないというが、街に留まる間だけ、とりわけ波長の合うオーリンが、マシューの面倒を見ることになった。念の為、というわけでもないが。
強大な力であるが故に、マシューは未だに巨人の力を使いこなせてはいない。精緻な扱いに関しては、現状を見ての通りである。それでも、最近は毎日オーリンと剣闘試合を行っており、試合を重ねる毎に徐々にではあるが、巨人の力とマシューの身体は馴染んできていた。
後は、それをマシュー自身の心とどう重ね合わせていくか、といった所か。
「なかなか派手にやっているようだな」
声のした方を見れば、もはや見慣れてしまった仮面の導師、シュザがいた。その後ろにはクインがいる。
「シュザ導師、クイン導師。話は済んだのか?」
オーリンが今日マシューと昼を一緒にしているのは、お供という以外にも理由があった。
第三の大災害である巨人という存在を乗り越えて、次なる波に対しての対策の為に、グアラドラの使者としてシュザとクイン、そしてアインハーグの代表でもあるヨグ、更にはアインハーグにある各組合の人間達により、大災害の今後についての話し合いの席が設けられた。
アインハーグには剣闘士を含めて、戦える者達が常時いる。有事の際に、街単体での自衛が継続的に可能なのであれば、巨人の驚異が去った今、アインハーグの壁は近隣にある村々の避難先としても最適な環境となる。今回の話し合いはその調整と話を詰める意味もあった。
そして、シュザ達が待ちあわせ場所である、この店に来たという事は、その話合いが終わったということだ。
「ああ、次の目的地はグアラドラだ」
* * *
オーリン達は馬車に揺られていた。
馬車の中にはオーリン、クイン、そして眠っているマシューがいる。
御者台には、シュザ導師が自ら手綱を握っている。
「いい風だ、この分であれば、グアラドラまではそうかからぬであろうよ!」
強風に道衣を靡かせて、意外な特技を披露するように、シュザは楽しそうに四頭立ての幌馬車を操る。
目的地であるグアラドラは、アインハーグからさらに南東にあり、隣町をいくつか経由して辿り着ける場所にあった。
グアラドラに向かう目的は、オーリンと、今回同行することとなったマシューの魔導を開眼させるためでもあった。
馬車の中で寝ているマシューは、昼食を食べた後で眠くなったのか、すやすやと寝息を立てている。
これは以前のオーリンのように、シュザの魔導により強制的に眠らされたわけではなく、一度アインハーグの外の世界を見てみたいという、マシュー自身の願いもあった。
マシュー自身から出た言葉を聞いて、ヨグはマシューの巣立ちを喜んで見送ってくれた。
マシューは別れ際に意地を張っていたが、まだまだ少年の域を出ない年齢もあって、ヨグに見えぬように涙を溜めてはいたが。
クインもグアラドラに向かうと聞いてから、少し落ち着かない様子を見せている。
「クイン導師、大丈夫か?」
「オーリン。ええ、大丈夫です。グアラドラへ着くまでは、少し長旅になるかもしれませんね」
「そうみたいだな。しかし、楽しみではあるな。グアラドラか、導師達の生まれし場所でもあるのだろう?」
「そうですね。……グアラドラは、とても優しさに満ちている場所です」
少し首を傾げているクインの瞳は、慈愛の色に満ちていた。
オーリンはグアラドラに思いを馳せる。
そこには一体どんな事が待ち受けているのか。
それは期待か、不安か。
だが、オーリンは感じていた。
グアラドラで出会う何かが、未だ迷いの森を征くオーリンに、新たな道を指し示してくれるのではないかという。
そんな確信にも似た、予感を。
お読み頂きまして、ありがとうございます。
次回投稿予定日は6月17日木曜日夜となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十三話 残響 後編』
乞うご期待!




