第十話 夢の欠片 後編
巨人は創造と破壊を繰り返す。
生まれ落ちた時から、未来永劫の時間を、繰り返し、繰り返し。
流れる時は緩やかに、泥濘のように巨人の思考をゆっくりと拘束する。
何度目かの破壊を繰り返した後、巨人は一つの考えに思い至る。
自らが力の限り破壊しようとしても、壊れない物があればいいのだと。
自らの手で産み出し、永遠に破壊を繰り返す。
それは巨人にとって、とても甘美な夢であるように思えた。
狂しいほどの思いを募らせ、巨人は自らの魂を眠らせた。
思い描いた理想に辿り着くように。
いずれ、夢が叶う時を待ち侘びて、
待ち侘びて、
待ち侘びて。
* * *
歩いている最中、ヨグはそれを懐かしいと思った。
今も虚ろな瞳のまま隣を歩く男、マシューを拾ったのは、ヨグの気紛れであった。
剣闘都市アインハーグを目指して、旅をしていた道中で拾った幼子。
野盗を返り討ちした時に、縁あって関わることとなった命。
強くなる為に切り捨てた物は数え切れぬ程あるというのに、思いもよらぬ所で拾うとは想像もしていなかった。
昔は剣さえあれば良いと思っていたのに、随分と感傷染みた考えをするようになったと、ヨグは思う。
歳を取ったという事か、心境の変化なのか、ヨグの中でも答えは出ていない。
今更出そうという気もありはしないが。
ヨグの古い友人であるシュザも、やっとのことでアインハーグへと辿り着いたようだが、全ての真実までは知らぬだろう。
今の剣闘都市は、来るべき日に大災害の苦難を払うために、ヨグが心血を注いだ街である。
だがその真実は見方によって形を変える。
アインハーグという都市は、遥か太古の時代に巨人が創った街であった。
強者の魂が集まるように、巨人の力が大地に働きながら、大陸全土に及ぶ。
それを知るのは、歴代の剣闘王のみ。
剣闘王とは、巨人と闘う資格のある者でもあった。
全ては街に住まう剣闘士も知らない真実。
心の弱い者がこれを知れば、どうなるのであろう。
自らで選んだもののはずなのに、選ばされたと嘆くのだろうか。
生贄であると感じ、悲嘆に暮れるのだろうか。
だがそれすらも全ては、己が信念と向き合い、決断し、行動出来る人間であれば、どうでもいい些末なこと。
望んで強くなり、力を求める。
その過程に巨人が在るだけ。
先代の剣闘王も強かったが、晩年になって身体だけでなく、心も衰えていった。
剣闘王の名を奪われたというのに、ヨグの目にはそれがどこか安堵しているようにも見えた。
それを見たというのに、不思議とヨグの内には何の感情も生まれなかった。
侮蔑も、悲哀も、憐憫すらもなく。
全ての感情は自己の物なのだから、誰がどうなろうとも他者に非難されるいわれもない。
ただヨグの中に滾る、強者でありたいという、己の価値観に並べる者がいない事実に気付かされるだけ。
今となっては、そこにはヨグですら気付かぬ程の、淋しさがあったのかもしれない。
ただ、誰が足を止めようとも、ヨグの歩みが止まることはなかった。
ヨグは純粋に強くなる事を求め続けた。
それでいい。
それだけでいい。
強くなった結果何をしたいという事もない。
その先もいらない。
全ては、武の入り口に立った時点で、完結しているのだから。
マシューは力を求めていた。
それはヨグと共にいた時間が長かったからであろう。
生きた時間を共有したことで、人を象る本質的な部分が共鳴を起こしたのかもしれない。
そんなマシューだからこそ、眠っていた巨人の魂に目をつけられたのだろう。
身が朽ちて、アインハーグで永遠を彷徨っていた巨人の魂に、ヨグと戦う為の器として。
「引導を渡すはめになるとはな」
育んだものを、自らの手で壊そうとしている。
奇しくも、ヨグが今やろうとしている事は、巨人の其れと同じであった。
闘技場が街を象徴するように、夜の帳が下りてもその灯火が消えることはない。
一歩、また一歩。
戦いの時が迫るにつれ、ヨグの身体が震えを起こす。
「どこまで行っても武人ということか……」
上辺をどれだけ取り繕おうとも、ヨグは巨人と戦うことを楽しみにしていた。己が積み上げた全てを曝け出して戦える相手が、今目の前にいるのだから。
ヨグは身を震わす。
武者震いは、武人にとっての誉れでもあった。
* * *
オーリンは闘技場へと入り、試合場を望める場所に辿り着いた時、息を呑んだ。
試合場の中央で、対峙している二人を見たからだ。
剣闘王ヨグと、剣闘士マシュー。
出会った時の二人の関係性は親子のそれに近しいものであったはずだ。
であるというのに、今対峙している二人はどこか様子が違う。
張り詰める緊迫感は、まるで殺し合いを始めるかのように、周囲を威圧する。
泰然としているヨグと違い、明らかにおかしな様子を見せるマシュー。
普段の闊達な明るさは鳴りを潜め、定まらぬように身体をふらふらとさせている。
「マシューから淀みを感じます。それにあの様子は普通ではありません」
「淀みだと……大災害がマシューに何かをしたのか」
クインの言葉に、再度マシューを見るオーリン。
「取り憑かれた、という方が近いやもしれぬ」
群青の髪に蒼海を彩る右眼と、仮面の下にあった紫紺の左眼。
仮面を外したシュザがそこに居た。
何かオーリンには見えぬモノを捉えるように、視線を外さぬ表情からは、何を思っているのか読み取る事はできなかった。
「シュザ導師……」
「なるほどどうして、気配が掴めぬと思っていたが、よもや人中にあるとはな」
闘技場では、ヨグとマシューが立ち、戦闘の開始を待っている。
二人の距離はまだ遠い。
「マシューが大災害のそれだというのか?」
「その捉え方は、一方で正しくもあり、一方で間違ってもいる」
「マシューは魂が奪われてしまったのですね」
クインが悲しそうな目を向ける。
「奪われるだと……それは、助けられるのか?」
「剣闘王程の精神力ならばあるいは抵抗も出来ようが、かの少年であればそれも叶うまい」
その言葉は辛辣でもあった。
だが、変えようのない一つの事実でもある。
「──マシュー」
オーリンは己の内に生まれた感情を、言葉に出来なかった。
* * *
「──マシュー、手向けだ」
「ははは、おっさん、たのしもうぜ」
マシューの言葉はいつも通りなのに、吐き出される音は酷く無機質で、生気を感じさせなかった。
ヨグは何も言わず、鞘から刀身を抜いた。
その音が妙に心地良く耳に残る。
幾度となく繰り返してきたその動作。
心は最早、人の意志を離れるように、ヨグは剣としての役割を果たす。
剣を両の手で持ち、正眼に構えるヨグ。
マシューはそれに伴い、ゆらゆらと揺れていた身体を静止させると、背にしていた長剣を抜く。
シャリンと、音が鳴る。
顔の横に柄を置き、やや斜め下に反るようにして構えるマシュー。
姿勢は低く、低く。
地を這う獣の如く。
その姿は、マシューの異名でもある狼を想起させる。
吸って、吐いてを繰り返す、呼吸の音だけが静寂の中にある。
温い空気を掻き分けるように、朝日が地面を照らし始める。
陽光が大地に到達すると、陽炎が立ち込める。
ゆらゆらと朧気なその光景は、夢か現か分からぬ程に。
ヨグはするりと一歩を踏み出す。
それに反応して、マシューは剣を突いた。
其れは全身全霊の一撃。
溢れ出る力の奔流。
ヨグはマシューの突きをみて、その軌道を見極める。一歩右足を引き、身体を逸らす。
瞬間に暴風が駆け抜ける。
それは全てを噛み砕く牙。突風は地を滑り抜ける。
マシューがそれで止まることはない。
身体をぶらしながら、その速さは音をも超えて幾重にも残像を生み出す。
右と左。ほぼほぼ同時に見える二つの牙。
ヨグの黄金の眼はその両方に対応するように、足を踏み出して、牙の収まるさらに前に活路を見出し、攻撃範囲を抜ける。
油断なく背後を振り向くヨグ。
本能を剥き出し、獣となったマシュー。
右手には剣を持ち、両足と左手は地面につけている、さながら三本足の獣。
後傾から前傾に力が働く。
硬質の土で固められた地面が、マシューの異常な脚力により抉れていく。
──ガアアアアアアアアァァァァァァ
咆哮と共により強い力で放たれた矢の如し身体。
それはマシューが得意とする最速を超えた刺突。
一歩踏みしめるごとに、姿は残像を生み出しながら速度を上げる。
ヨグは其れを見る。
ただの現象として。
迂闊に受け入れれば、たちまちに喉元を喰われ死を招く、強大な黒狼の顎。
ヨグは息を整えると、再度正眼に構える。
相手は巨人なのか、マシューなのか。
剣は些末なことを気にしない。
大災害であろうとも、マシューであろうとも。
剣が行う事に変わりはない。
何回。
何十回。
若かりし頃はヨグであっても、辛酸を舐めた事があった。
力とは何か、己とは何かを考えた時もあった。
何百回。
何千回。
剣を振って。
何万回。
何十万回。
振って。
何百万回。
振って。
何千万回。
振り下ろしたその先にあったのは──
ヨグの身体が正面からマシューを迎え撃つ。
両手に力はいらない。
ヨグの剣は剛剣の類いではない故に。
首元に伸びる牙。
ヨグはそれを眼で追う事はない。
相手の手が伸びる位置を予測して、自らの剣が届く場所を維持する為に、わざと斬らせる。
マシューの剣が、首の皮を一枚裂いてヨグに血を流させる。
ヨグは右足を深く踏み降ろすと、己の剣を持って、振り切られたマシューの長剣を根本より打ち砕く。
砕け散った刀身が光を反射させながら、陽光に照される。
「ほう」
シュザが唸る。
隣でオーリンもその光景を目にする。
──ヨグの剣が辿り着いた先
相手を打ち斃す為の剣ではなく、かといって相手を生かす為の剣でもない。
己に打ち勝つ剣であり──
──其れは、己と共に生きる為の剣。
「……剣の頂」
古きは古きにあらず、絶えずその芽を伸ばし続ける。
朝日に照らされたヨグは、幼子が無邪気に笑うように、少年の時の心を映す。
「マシュー、これが強さと言うものだ」
ヨグの黄金色の瞳は、穏やかな色を称える。
その言葉を聞いたマシューの瞳は、かつての蒼天を取り戻していた。
「強すぎだろ、おっさん」
いつもお読み頂き有難うございます。
大秋です。
何か書こうと思いましたが、まあ言葉は不要ってやつですね。
完結したら、そこで色々書きたいと思います。
楽しんで頂けましたなら幸いです。
次回の投稿は木曜日を予定しています。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十一話 予感』
乞うご期待!




