第九話 スラーの巨人 後編
──アインハーグ闘技場
直剣が銀光を残しながら、オーリンの首元を狙って一直線に伸びる。
オーリンはそれを見て、槍の持ち手に添えた左腕を押し込むようにして柄を使い、剣先を逸らす。
たたらを踏むように、直剣の主であるマシューの身体が流れた。
身体を地面に落としそうになるが、左手を地につけて持ち堪えると、マシューは嬉しそうに距離を離す。
それを見届けてから、オーリンは腰を据え、槍を正眼に構えた。
妙な事になったものだ。
槍の切っ先を眼の前の少年、マシューに向けながら、オーリンはそう思っていた。
浅黒い肌をした少年が、今も笑いながら様子を窺っている。
機先を制すように張ってある槍の間合いの外で、今か今かと踵を踏み鳴らしながら。
「楽しそうに剣を振るうやつだ」
純粋なまでのマシューの思いを受けて、久々の昂揚感を感じているせいか、オーリンもつられて笑ってしまう。
マシュー・ライザ。
黒狼という二つ名を持つ、アインハーグでも有名な剣闘士らしい。
らしいというのは、街中で絡まれたときに、周りの一般人がマシューの名を口々に語っていたからだ。
その剣を一度受けた時に、オーリンは街の人々の口に上がる意味を理解する。若さによって侮ることは愚かであると言えるほどに、眼の前の少年の繰り出す剣の鋭さは、一流の域に達していた。
「獣のようだな」
オーリンの言葉が示すように、マシューの仕草は野生を生きる獣のようであった。構えを見ればわかるが、誰かに剣を学んだ事は無いのであろう。
独特な動きについてこれるよう最適化されたマシューの筋肉は、無駄を極限まで削げ落とし、その中でも柔軟性を保つ事で、持ちうる牙を驚異的なものへと変化させている。
「楽しいなぁ、オーリンの旦那。やっぱり俺の目に狂いはなかった!」
旋風のように、地を這い砂埃を巻き上げながら、足を止めずにマシューが攻め入る。
「やる!」
間合いに入ろうとするマシューに対して、オーリンは撓らせた槍の先端で牽制し、空間の出入りを許さない。
ゆらゆらと揺れては獲物に喰い付こうとしていた槍が、たわむと、弾むように突き出される。
──ジャッ
急制動を掛けながら、突き出された槍から逃れるように側面へと飛び跳ねるマシュー。そのまま一気に間合いを詰めようと前傾姿勢をとるマシュー。
──彼我の距離 十歩
マシューの野獣のような口元が、深い笑みに変わる。
片手で押し出すように直剣を構え、さらに体重を乗せる。
姿勢は地面に限りなく近い所を維持しながら、足は大地を蹴る音を心地よく奏でた。
──ダン、ダン、ダン、と
突き出された槍の懐、剣が届くまであと三歩という所で、マシューの耳に風切り音が聞こえる。
目にも止まらぬ速さでオーリンの槍が引き戻されると、穂先がマシューの眼前に唐突に現れた。
「わはっ」
マシューの口から感嘆の息が漏れる。
柄の部分を後ろに引くことで、オーリンが浅く持つことになった槍が直剣に劣らぬ間合いとなってた。
甲高い音が鳴り、刃同士が打ち付けられると、身体を押し合うような形になり、肩を寄せてのじりじりとした力比べへと移る。
「強いなぁ、旦那。それでこそだ。どうか俺が頂点へと行くための糧となってくれ!」
「そうか少年。それは年長者としてとても嬉しいことだなぁ!」
笑い合う二人。
そんな様子を、シュザは楽しそうに、クインはハラハラとした面持ちで観客席から見守っていた。
「オーリンの旦那。マシュー・ライザだ! いずれこの街の天辺に立つ男の名前だ!」
擦れ合う剣が火花を散らす。
上に振られたマシューの剣が、オーリンの槍の穂を搗ち上げる。
「見事な武技だなマシュー。だが、まだ!」
オーリンは槍の穂を与えられた力に逆らわず、そのまま上方に流すと、弧を描くように石突きが下からマシューの腹を穿つ。
槍の刃部分である穂。
その反対側に位置する石突きは、槍の重量も相まって打突武器としての脅威を見せつける。
「あがっ」
守りの薄い場所への衝撃にマシューの体内の液が逆流しそうになる。
腹を抑えながらも、剣を落とすことなくその身を震わせる。
「武器というのは常に変幻自在、生の中に死があるように、全ては表裏一体」
地を擦るように間合いを取る足運びに、流麗な槍捌きを見せるオーリン。その技は全てが連動する事により、一つの生き物として完成されていた。
「まだまだ。まだまだだっ」
口元から血を流すマシュー。戦意は未だ衰える事を知らず。
──その時、雷が落ちる。
「マシュー!!」
雷鳴のような声が闘技場に轟いた。
オーリンは泡立つ肌に危険を感じ取ると、すぐに声のした方向を見る。
両腕を前に組みながら、こちらを見る偉丈夫。
背丈はオーリンの頭二つ程上か、シュザ達の居る正反対の席より放たれた豪快な声。声の主がいつの間にか立っていた。
豪放磊落を表す闊達さに、黄金色を称える力強い眼のぎらつきが、見た者の視線を一瞬で釘付けにする。白色の長い頭髪は後ろに流れ、腰に一振りの剣を持つ男。
「やべぇ」
マシューはそれまでの気勢を削がれて、一気に身を縮こませていた。
身に纏う覇気だけでわかる、強者の匂い。
「かなりの使い手だな」
「ばっか、旦那。あれは剣闘王のおっさんだ」
「マシュー! 使いを任せてより一向に帰らず、話を聞きつけてみればこれだ。無闇矢鱈と喧嘩を売るなと言ったであろう。それに見ていたがその体たらくはなんだ」
地鳴りのような足音を立てて、試合場に飛び入る男。言葉はマシューに向けているのだが、目線はオーリンから切ることがない。
「すまんな、青年。若い者は血気盛んでいかん」
「言葉のわりに、あなたも戦いたそうなのはどうしてなんだ?」
オーリンはその男の口調に惑わされることはなかった。
なぜなら、今もなお闘争心を隠していないからだ。
「性分だ、許せ。そして戦おう。君の武技に興が乗った」
腰の剣を抜きながら、闘志を全面に押し出す。
「俺はただの武人、ただのヨグという名の男だ」
後ろのマシューが視界に入るが、手で顔を抑えている。
「一体なんなんだこの街は」
オーリンは期せずして剣闘王ヨグと対峙することになる。
このような状況でも心が踊るのは、若い力に触発されたからか、それとも眠っていた武人としての矜持か。
オーリンは眼前に佇む白髪の剣闘王、ヨグの眼を見る。
楽しそうに、今にも飛び掛かってきそうな気配を感じる。
ヨグの眼にも、同じものが見えているのかもしれない。
オーリンは笑う。
「こんなにも純粋に、何も考えずに槍を振るえたのは何時振りだろうか」
「なんだ? 悩みなぞ、短き人生において些末なことよ。武人であらば尚更のこと」
──オーリンはヨグの言葉に、そうだな、と思った。
オーリンは手に馴染んできているテオの槍に力を込める。
力の入れ具合は強すぎず、弱すぎず。
この戦いに小賢しい技は無用。
一撃で決まる。
視線が無数の幻影を見せる。
活路は一つ。
ヨグが剣を正眼に構える。
右の半身を前にして左手は添えるように。
決して折れることのない、大木を目の前にしているような錯覚が沸き起こる。
オーリンは槍を構える。
微動だにせず、穂が地より僅かほど宙にあって静止する。
柄は後ろに行くごとに天へ近くなる。
刀身である穂を下に、右手で支え、左手を後ろの柄に添える。
互いの呼吸が止まる。
──ザンッ
オーリンの左手が槍の持ち手に力を与え、血流を繋ぐように一気に力を込める。
滑り出される槍の身、その時には握っていた右手は緩くなり、槍を目標へと送り出すための滑車の役目を果たす。
空気を斬り裂き、オーリンの槍は距離を零へとする。
ヨグはオーリンの動きを全体像で捉え、予測する。
槍の切っ先が通る軌道と、速度を。
ヨグは軸足となった左足を後ろへ蹴り出し、右足を踏みしめる。
足と連動して腰を伝い、背中へと移動した力が、剣を持つ両手へと到達する。
刃がオーリンを捉える。
同時に、穂がヨグを貫く。
ヨグの身体は槍の通ろうとする死中の道を辿るが、穂が身体へと到達する瞬間に、ヨグは己の刃を左に軽く押して穂を流す。と同時に左肩引き、槍を躱す。死中は生を得て、世界は反転する。
ヨグの剣はオーリンの首元でピタリと止まった。
「勝負有り!」
シュザ・フレイムの声が遠くで聞こえた。
オーリンは不思議に思った。
勝負は負け、それが全て。
だけれども感じたのは、幼い日の微熱。
かつて力を求め、ただ強くなろうとしていただけの少年。
その熱を思い出して。
「ありがとう」
「はっ、実にいい眼だ」
ヨグはそういうと、あっさりと剣を仕舞う。
「ヨグのおっさん!」
マシューが駆け寄る。
自分が声を掛けた相手が、まさか剣闘王と勝負をするとは思っていなかった。そして、その一挙手一投足は少年の目に焼き付いて離れない。
それはまごうことなき武人の戦い。
「マシュー、勉強になったろう。百聞は一見に如かず、というやつだ」
豪快に笑う剣闘王。
それを見ながら、実に清々しく心地よい人間だとオーリンは思った。
「眼福眼福、見事な勝負を見させてもらった」
シュザとクインがその場に入る。
シュザは顔をヨグへと向ける。
視線を感じてシュザを見る剣闘王。
「何だ、お前か」
シュザを見て、少し呆れたようにヨグは頭を掻いた。
「粗末な扱いをするでない。約束の時が来たのだ」
「ほう、どこだ?」
「ここであったよ、剣闘王。君の始まりの地に、巨人がいた」
シュザの言葉を聞いてヨグは獣のように笑う。
「それは面白い話だ」
ここまで読んで頂きまして、本当に有難うございます。
次回投稿予定日は5月10日月曜日夜を予定しております。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十話 夢の欠片』
乞うご期待!




