第八話 闘う者たち 中編
──ドンッ
巨体からは想像できぬほどの跳躍。全体重をこれでもかと乗せて、鬼面導師の手に握られた巨大な曲刀が、力任せに空から降ってくる。形容するならばそれは猛獣の牙のように荒々しい。一息に獲物を叩き砕くべく、鬼面導師はルディ・ナザクへと肉薄する。
その姿を冷静に捉えながら、ルディは緋色の瞳で一挙手一投足を逃さない。魔導を宿らせた瞳は、相手の呼吸までをも見通す。曲刀が振り下ろされる間際、ルディは流麗な動作で四肢を操り、捻じる。斜めへの慣性をつけた剣の回転を用いて、高速のニ連撃で鬼面導師の曲刀を弾く。
単純な力比べであれば、素の体格や膂力の差もありルディは鬼面導師に及ばない。だが、精緻に練られた魔導を用いれば、そんなものは容易く引っくり返る。
魔導の業。
姿勢を地面スレスレまで低く下げると、勢いを付けて、左手で腰に備えていた一本の短剣を抜く。狙うは鬼面導師の死角。最低空から全身の筋肉を使って一直線に短剣を投げる。投げられた短剣が鬼の面に触れようとする瞬間、鬼面導師は顎を引いて紙一重で躱す。鬼面の空になっている無手の左手は、赤黒い魔導を帯びながら、光を明滅させている。
ルディを追い鬼面導師の左腕が伸びる。その腕を、ルディは鮮やかな己の赤色魔導を帯びた左前腕を曲げて、右に反らす。魔導の宿った部位同士が接触を起こすと、互いの魔導が相殺しあって、火花のように魔導が散った。
細部まで緻密に練られているルディの魔導は、幾重にも紋様が重なって描かれるように、その極光は見るものを圧倒する。対して鬼面導師の魔導は留まることなく、体内から激流のように流れ出ては周囲に破壊を齎し、強大な力を誇示していた。
「それ程の魔導を持って、なぜ争いを求める」
ルディは鬼面導師の背面に入ると、背中を合わせるようにして相手の技を喰らわぬ位置を取ると同時に、肘を打つ。速度を読まれて同じ速さで身をひねる鬼面導師には届かない。相手の姿勢を崩す為に足を払おうとするが、鬼面は巨体に似合わぬ俊敏さで、ルディが狙った足を避ける。
「力があるからこそ、戦うのだろうが」
重く息を吐き出すように、ひゅうひゅうとこぼれ出る鬼面導師の言葉。次いで鬼面導師が魔導の宿る掌を、組打とうと振るうが、ルディは半歩引きながら左の掌打で下に外す。
「魔導は、人と争う為のものではない」
力に対して力で抗うという矛盾点。全ては生物が生きる為に行う居場所の奪い合いなのかもしれない。それでもルディは言わずにはいられなかった。
大曲刀を自由に振るう間をあけさせぬように、ルディはさらに接近する。繰り出す斬打の尽くを躱し、躱される。ルディの攻撃は当たらず、さりとて鬼面導師の攻撃も当たりはしない。
「強くあらねば死ぬだけ。我も、貴様も。より強くなる為に戦って、生き残る。それが至上、それが摂理」
離れ際に放たれたルディの斬撃を、曲刀で流し受ける鬼面導師。力のなかに柔が見え隠れする。齢は分からぬが、潜り抜けた修羅場が違うのであろう。
「ならば押し通るまで」
ルディは覚悟を決める。ふいに、鬼面導師が笑ったように感じた。
正攻法は全て鬼面導師に対応される。奇策も奇襲も通じない。受けに幅がある。
ルディは戦いの中で、鬼面導師に戦略を読まれているのを感じ取る。それは言ってしまえば戦闘経験の差。だが、荒れ狂う嵐のような戦場。その渦中に身を置いてみて初めて、ルディの心は激情から静寂へと至る。
鬼面導師はたしかに恐ろしいのだろう。長い年月を経て、これほど迄に人が強くなれるのだから。
もしこんな形で出会ってなければ。大陸は大災害の波を一身に受け止めている。そんな中に、鬼面導師のような存在が戦友としていたのならば。
ルディは心に痛みを感じた。
頭上から曲刀が降ってくる。ルディは剣で軌道をずらして、力の指向を操る。獣のように、怒涛に押し寄せる鬼面導師の巨躯を、円運動のように足を踏み変えながらルディは捌く。
百戦錬磨たる鬼面導師の胆力。それを凌ぎ切るルディの才覚。
力と技の激突が続く。
だが、次第に両者が打ち付け合う魔導が揺らぎを見せ始める。
激流であった鬼面導師の魔導。身を纏うその魔導が、次第に剥離していく。一つ二つと捲れていくように。
ルディと違い魔導を垂れ流し、己の身体に留めるという使い方をしていない鬼面導師は、瞬発的な力の行使が得意な分消耗が激しい。一見完璧に見えるものも長丁場になれば少しずつ綻びが見えてくる。
鬼面導師の扱う魔導が少しずつ割れるように罅が入る。
「ぬ……」
ルディは相手との距離を三歩に保つ。ルディ・ナザクの一番得意な距離。
鬼面導師としては、自身の長大な曲刀を振るうには少し窮屈な距離。ルディは相手が下がった分だけ歩を詰め、進んだ分だけ身を引く。
「……参る」
下段に構えたルディの剣が、構えた鬼面導師の曲刀へと下から迫る。全身を伸縮させ、一拍の元振るおうとした鬼面導師の曲刀は、より初動の早いルディの剣に絡め取られて天高く舞い上がる。無手になっても尚、拳打を放とうと抗う鬼面導師であったが、ルディの刃が無拍にて地へと振り下ろされる。
既の所で踏み込む足を止める鬼面導師。鬼の面だけが真っ二つに割れる。
面の下より出て来たのは、白髪の男。年寄りというにはまだまだ若い顔であった。
「あんたは……」
「……はは」
能面のように感情を見せぬその顔を、手で隠すようにして乾いた声を吐きだす。指の隙間から僅かに見える真っ白な眼は、ルディの心を揺さぶる。次の瞬間、鬼面導師は全身に纏った魔導を爆発させてルディへと迫る。
──ザンッ
動き出しを狙っていたハイネルの弓矢が雷のように迸ると、寸分違わず鬼面導師の心を貫いた。
そのまま交差するように、ルディの剣が鬼面導師の胴を斜めに抜く。
──一刀両断
鬼面導師は傾れるように地に伏す。
「……状況を確認する、ハイネル!」
ルディは留まることなく動き出す。
未だ、夜明けの遠い世界の中で。
* * *
「なんだってんだ、どうしてこんなことに」
悲壮なる叫びが木霊する。
男達は鬼面の男に命令されるがまま、ノール砦の注意を引くように動いていた。だがそれも満足に行うことが不可能な自体に陥ることとなる。
突如として、化物が現れたのだ。
ルノウムの国土より、延々と押し寄せる化物の群れに、男達は背後を突かれることになる。形振り構わず振るう武器は化物に一切通用せず、鬼面の男から生き延びた同胞も、次々と餌食になろうとしていた。
それは一寸前の事。ルノウム国軍がノールへの砦攻めに現れた矢先の事であった。その黒い化物共は群れで現れ、男達を押し潰そうとしている。
「こんな事になるなんて」
必死に振り抜いた剣も、己の腕とともに化物に吹き飛ばされる。
貧しさと飢えに耐えきれず、幸せを求めて逃げたのが行けなかったのか。それとも最初から運命が決まっていたのか。悲運なことに、男達はそれに対して抗う術も為す術も持ち合わせてはいなかった。
出来るのは、今も悲鳴を上げ続けている身体を動かし、必死に走ることだけ。身体の節々から血を垂れ流し、その身を死へと近付けるだけ。
意識も朦朧としてくる。
「なんで」
もはや言葉は何の力も持たない。
化物が迫る。
十や二十では利かないほどの数だ。見渡す限りの絶望。男達はこのような状況に陥って、ルノウムの内地が今どうなっているのかを考える余裕はない。気付いた時には、生き残った男達の集団はノール砦へと走っていた。
見える灯火に手を伸ばすことで、救われる命を求めて。
たとえその途中で死のうとも、少しでも先に繋ぐことができるのならば。
灯りが見える。
そして光が降ってくる。
その光はとても綺麗で──
──幼い頃に見た流れ星に似ていた。
本作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回投稿予定日は、4月26日月曜日夜を予定しています。
『魔導の果てにて、君を待つ 第八話 闘う者たち 後編』
乞うご期待!