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第七話 繋ぐもの 後編





 それは悪夢のようだった。


 大地を黒い化物が埋め尽くし、空は陽の光を遮られて、世界は暗く染まり色を失う。荒れ果てた岩場では一体の巨人が暴れ回り、遥か上空では巨人すらも超える大きな影が、超大なる緋色の瞳を濡らしていた。


 悪夢としか言いようがない。

 走っても走っても影が追い掛けてくる。

 いくら泣き叫んでも、その光景が変わることはない。


 このままでは大切なものが失われてしまうという焦燥に駆られるのに、何も出来ない。


 黒い化物が迫ってくる。

 幼い少年にそれらを対処するすべはない。

 ただ打ちひしがれ、目と耳を塞ぐことしか出来ない。

 化物が迫ってくる振動に魂を震わせながら、ただただ悪夢の終わりを待つ。


 そんな時、ふと目の前に誰かがいる事に気が付く。

 それは真っ黒な影であった。

 だけれども他のものと違い、それは少年を追うでもなく佇んでいる。


 少年へ何かを伝えようとしている雰囲気はあるのだが、少年にはそれが何を伝えようとしているのかが分からない。戸惑いながらも少年がずっとその影を見ていると、その影はふいに化物の大群へと向き直る。


 その間際、少年は軽く肩を叩かれたような気がした。


「……夢」

 ユリス少年は、久々に夢を見る。


 ノール砦に到着して、少し気が抜けたのか懐かしい夢を見た。

 幼い頃によく見ていた悪夢のような夢。

 この夢を見た日には、母に泣きついていたのを思い出す。


 ユリスは少し重い身体を起こすと、汗で張り付いた髪を払いながら夜風に当たろうと窓際に近寄る。


 冷たい風を感じて、頬が濡れている事に気が付いた。


「母さん」

 記憶は定かではないのに身体は覚えているのか、ユリスは泣いていた。


 ユリスにとって母と父の記憶は薄い。

 もやが掛かったように、思い出せない事の方が多いのだが、それでも印象的な事は時折思い出す。


 思い出す度に知らず泣いている事が多く、それが悲しみによるものなのか、懐かしさによるものなのかはユリスにも分からなかった。

 だけれども、確かに己の内に繋がる何かを感じると、ユリスの感情は揺れ動く。


 視界に入るのは広大な荒野。空には星々がきらめいている。

 もし、ユリスの心の内に眠っている記憶が、この星のようにあるのならば、どれほどの事を忘れてしまっているのだろうと考えてならない。


 せめてそれらの記憶が、星々と同じように目に見えればいいのだが。





 * * *





 突如として吹き付ける暴風と共に、砂塵と炎が舞い踊る。

 ガンガンと、物々しい銅鑼の音がうねりとひずみを生みながら響き渡る。異変に気が付いたのはノール砦の見張り番であった。

 国境を経てルノウム側の岩地に、炎を掲げた集団が砦に面して等間隔にうごめいているのを見つけたのだ。


 最初は、いつものルノウムの挑発行為であろうと思った見張り番であったが、次第に顔色を変えることになる。時が経つごとに炎の数がどんどん増えていったからだ。

 警戒のための銅鑼の音は、見張り番の手を休めることなく響き渡り、周辺の緊張感をさらに高めていく。


 ノール砦が建築されてより、今までルノウムと戦になった事はない。それもそのはず、ルノウム国とルード帝国の国力の差がそもそも違うのだ。迂闊な現場の判断で戦が起きれば、国の存続そのものが危うい。


 であるからこそ、これまでのルノウム国の示威行為も、ルード帝国が兵を出すには至らぬ程度の、きわの物でしかなかった。戦が起こらぬとはいえ、超大なノール砦に詰めている兵の数は、今現在に至ってもゆうに千を超える。その上で起きた戦の気配。


 張り詰めた空気と共に、鉄の匂いが兵達の鼻孔びこうくすぐる。


「何が起こった!」

 ルディは愛剣を持ち、状況を確認できるように廊下へと走り出る。砦側の配慮により近場に部屋を陣取っていた魔導兵団の面々が、ルディに続いて戸を開け、ぞろぞろと通路に居並んでいく。


「奇襲のようだが、状況が掴めんな」

 険しい顔のままルディの元に駆けつけたハイネルは、完全武装をして魔導を高めていた。

 ハイネルだけではない。ラルザも、魔導兵団の団員も、ユリスですらつたないながらに魔導を循環させている。


 戦場の空気を敏感に感じ取った魔導兵団の面々は、既に戦闘態勢へと移行していた。各地を転々としながら学び得た魔獣との戦闘経験が、咄嗟の判断を迅速にしている。


 こちら側が陣取っているのが砦である以上、早々遅れを取ることもない。気を付けねばならぬのは、闇に乗じての奇襲か。ルディは砦の城壁へと駆け上がりながら、状況を判断する。


「炎は目眩ましの木偶でくに過ぎん。こちらへ攻めてくるのならば、必ず闇に紛れて砦に入り込もうとしてくる奴がいるはずだ。我らはそれの対処をする。奴らの目的がわからん以上万全を期す為、俺が正面で出方を見る。ラルザは一班を率いて右翼、ハイネルは二班を率いて左翼を頼む。索敵班は魔導で周囲の警戒と伝達を。ユリスは中央、索敵班と共に俺の後ろだ」


 ルード帝国魔導兵団副団長、ルディ・ナザクの張り上げた声は、混乱して怒号の飛び交う砦内においても衝撃の様な重みを持って団員まで届いた。


く行動せよ!」


 団員の行動は素早い。魔導兵団第二特務小隊の総員は五十五名。

 その内、右と左に二十ずつが分かれ、ユリスを含む残りが中央と後方支援の連絡役とした陣形となる。


 ルディの眼は一際目を引く中央の炎に意識が向く。


「あれは魔導による炎が混ざっているのか。しかし、砂嵐が邪魔で数が掴めんな」

 ルディ・ナザクは周到に用意されているような一連の動きに、何らかの思惑を感じ取る。


「厄介なことだ」

 前情報からは、相手がこのような気概のある者達だとは思ってはいなかった。そもそもがこの砦に襲い掛かろうなどという事が、正気の沙汰ではない。正気の沙汰ではないが、敵方の意思統一はなされているようだ。


 砦に配備されている弩弓や弓の射程の外にて動き回り、慎重に慎重を重ね、動向を窺っている様子が見て取れる。


 遠くから風を割く音がルディの耳に入る。


 目前の視界に入ってやっと分かる程の微細な物質。それは闇に紛れ、ルディ目掛けて飛翔していた。普通の人間ならば認識する暇もなく、無防備に攻撃を身に受けるのだろう。

 だが、今のルディの瞳は魔導の循環により、彼の髪と同じ色の赤い光を放っていた。五感の内、視覚を鋭敏にする魔導の力により、素早く動く物もその目で捉える事が出来る。


──ザンッッ


 ルディは己に向かって来ていたその矢を、剣で斬り払った。払うと同時に、矢は砂となってそのまま地面に落ちる。


「重いな」

 ルディが剣で斬った感触は奇妙なものであった。薄く細く、目視しにくい形状の砂の矢。見た目に反して、その矢は異常なまでの質量を持ち合わせていた。さらに、ルディは矢を斬った際に、微小の魔導が霧散したのも感じ取る。


「これは、魔導を砂に練り込んでいるのか。砦の兵と連携して動くぞ!」


 声を聞いてルディの後ろに付いていたユリスの鼓動が早くなる。

 ユリスは今まで、自らに向けられる明確な敵意に晒されたことがない。

 魔導兵団による魔獣狩りに後方支援として同行したことはあったが、魔獣のそれと違い、人の生み出す害意に晒されているという事にユリスは気持ち悪くなる。


 血の気が引いたユリスの頬を、冷たい風が吹き抜ける。

 乾燥した荒れ地の風は、ある種の痛みを感じさせた。


「……ユリス」

 ふいにユリスは誰かに呼ばれた気がした。

 それはどこか懐かしいような、不思議な感覚。


「……」

 何かを言っている。

 だけど何を言っているのかは理解出来ない。


「……ユリス!」

 ルディ副団長の声がする。なのになぜか涙が止まらない。


 気づいたら、ユリスの背後に誰かが立っていた。

 優しく抱擁されるように、ユリスはそのまま抱きしめられる。


「ユリス、やっと見つけた」


 ユリスの耳元で声が聞こえる。

 頭が朦朧もうろうとしたように、意識が混濁していく。


「何者だ」

 剣の切っ先を向けながら、ルディの灼熱色の髪の一本一本が、魔導を介して広がりを見せる。緋色の眼はギラギラと光りを放ち、獲物を捉えるようにして眼の前の相手を離さない。


 ユリスが正気であれば、ルディのその表情に驚くかもしれない。

 それほどまでの、鋭い視線。

 その女は短い銀髪をなぴかせて、いつの間にかそこにいた。


「グリークの魔導を微かに感じる。だけれども大丈夫」

 うわ言のように言葉を並べては、ルディの言葉にも反応を見せない女。


 ルディ・ナザクは徐々に体内に留めていた魔導を開放していく。

 開放するごとに外界に変化が生じてゆき、ルディの周囲には赤いもやが揺らめいていた。次第にそれは熱を持ち始め、臨界に達した時、怒気を含んだ熱波が女の頬を撫でる。


「ユリスから離れろ。そうすれば見逃してやる」

 右手にはしっかりと握りしめた剣を持ち、ゆっくりと歩みを進めるルディ。

 周囲の団員は、この唐突な状況に理解が追いついていない。それに、いつの間にか足元を砂で絡め取られて身動きが取れなくなっていた。


「それで、あなたは私の邪魔をするのかしら?」

 灯火ともしびに照らされ、女の銀髪がきらめきながら揺れている。その眼は未だ虚空を彷徨う。


「あぁ、あんたの目的がユリスなら、そうなってしまうな」

 言い終えると同時くらいの時、目の前に十重二十重とえはとえに連なる砂の網が出現し、ルディを抑え込もうと覆い被さる。


──ジャッ


 砂が絡まる音がする。

 ルディは剣を持たぬ左手でそれを無造作に掴んでいた。ブチブチと何かが引き千切れる音がする。砂の網は魔導という繋ぎを失い、形を失いそのまま地へと還る。


 淡い赤色せきしょくの燐光がルディを包み込んでいた。

 地鳴りのような音が空気を振動させながら、ユリスを抱擁したままの銀髪の女へさらなる圧力を掛ける。


 尾を引く赤い残光を残しながら、ルディは女へと一足で距離を詰める。突き出した剣閃が空を斬る。剣に絡むように砂が凝縮されて纏わり付くが、剣に宿したルディの魔導により、一瞬で赤く光り弾け飛ぶ。


 身体をゆらりと動かしながら最小限の動きで刺突をかわした銀髪の女は、その交差の時初めてルディと目を合わせる。

 女の紫紺しこんの瞳が、ルディの緋色ひいろの眼と交わる。

 

「フィテスに連なる緋色の瞳と髪」

 ぼそりと漏れ出る女の呟きに、ルディの身体が一瞬硬直する。

 その隙を見逃さず、しなやかに伸びる女の脚がルディの胴を押し飛ばす。


「……お前は」

 衝撃はあったが、鎧の胴部分を狙った蹴りはルディに致命傷を与えることはない。ルディは女から目を離さず見つめる。


「シルバス・エド」

 そう名乗った女は、意識を朦朧とさせ人形の様にふらふらとしているユリスを甲斐甲斐しく誘導しながら、上手く位置取りをしていた。


「エド本家の嫡子、ユリス・エドを返してもらう」

 シルバスの声は静かだが力強く、ルディの眼を捉えて離さない。


──ドゴンッ


 砦の全体が震える程の鈍い音がして、粉塵が舞う。ルディとシルバスが相対あいたいしている場所の中心へ、空から巨体が降ってくる。

 突如としてそこに現れたのは、くすんだ砂色の外套を身を纏い、顔には仮面を着けた筋骨隆々の大男であった。


「鬼の面……ルノウムの鬼面導師きめんどうしか」

 ルディは苦々しげに言う。


 遥か遠く、海を渡った先にあるヤマ大陸において言い伝えられている怪物。鬼を模した仮面をしている男。その面を付ける者は、ルノウムの要となる存在。


 ルノウム国に存在する唯一の魔導師であり、ルノウム最強の戦士。

 その者の名を、人々は畏怖を込めてルノウムの鬼と呼んだ。


「この砦は我が貰う」

 地の底から伝わる声がルディの耳朶じだに響く。

 怒号が連鎖するように響き渡り、各所で戦闘が起きている。


 ミシリ……


「次から次へとあまり勝手なことをぬかすなよ」

 ルディの全身を包む赤色魔導せきしょくまどうはじける。ルディの筋肉が膨張し、怒りを体現するように全身からミシミシと音を立てていた。


「貴様等には、ユリスもやらんし、この砦も渡さん」


──瞬刻


 ルディは暴風のように牙を剥く。一歩で鬼面導師との距離を詰めると、鬼面を左手で掴み一息で持ち上げると、地面へとその巨体を叩きつける。大地が爆発する様な音と共にルディの魔導が辺りを支配すると、砂の魔導により動けなくなっていた団員が息を吹き返す。


「隊列を三の四組としてあの女を波状にて攻めろ。ユリスを取り戻せ」


 パラパラと砂が舞い、地面に叩き付けられた巨体がゆらりと起き上がると、何でもないようにルディを見下ろす。


「面白い」

「俺は至極つまらんがな」


 鬼面導師を見上げるルディ。

 刹那、鬼面導師の背から大上段に曲刀が放たれ、下から抜刀したルディの剣と交差する。


 混沌はより深淵へと進んでゆく。


 深く。

 より深く。





こんばんは、大秋です。

読んで頂きありがとうございます。


やってまいりました、戦闘です。バトルです。

戦闘シーン執筆中は基本的にハッスルしてます。

妄想しながらお楽しみください。


次回投稿予定日は、4月19日月曜日夜となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第八話 闘う者たち』

乞うご期待!

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