第七話 繋ぐもの 前編
無数の足音が石畳に吸い込まれていく。
人々の声、荷馬車が行き交う音、甲高い金属音や、心踊らせる陽気な楽器の音。日々を営む子どもたちの笑い声。
そこでは、様々な音が混ざりながら、一つの景色を生み出していた。
大通りを挟んで両面には多数の家々があり、露天から商店まで、多種多様を彩るものたちが、遠く果ての見えぬほど道を通して続いていた。
──ルード帝国 帝都アレハンメル
グラム王国の西方から北方に掛かるように存在する、大陸最古の歴史を持つ大国。かつては大陸の覇権を巡り、様々な国々と戦を起こしていたが、それも過去の話。
凡そ五百年程昔。
魔導王レフ・ガディウスがグラム王国を建国した折に、当時のルード帝国皇帝がグラム王国の後ろ盾になるなど、グラム王国と国交を結んでからは天下泰平の時代へと突入する。
時に帝国の持つ肥沃な土地を巡って、他の国が国境を越えるなどの小競り合い程度のものがあるにはあったが、それもすぐに収拾がつくほどの極々小規模なものでしかない。
それらは全て、他国の追随を許さぬ程の、ルード帝国の軍事力の為せる技だ。
帝国の象徴たる、古より連綿と続く帝国騎士団を始めとし、現代に至っては、王国の魔導王が齎した魔導をいち早く取り入れた、帝国魔導兵団も保有している。
さらに帝国軍が取り扱う武装に至っては、その精製技術は大陸内において百年先を行くとまで称される程であった。
それらを手にした帝国の民は、誇りを胸に抱きながら、皆が皆、日々を謳歌していた。
そんな帝国のお膝元である、帝都アレハンメルの大通りを一つ脇に抜けて、路地裏に入ったところに二人の人間がいた。
「やはりルノウムの国境付近に、野盗が根城を作っているみたいです」
顔を隠すように外套に身を包んだ男が、落ち合った相手へと報告をする。
「そうか、この所ルノウム近辺で人の流れが多かったみたいだが、国を逃れた人間が多数野盗化しているのかもしれん。国境近辺という兵が動きにくい場所で動くことにより、どちらにも逃れる術を持つというのは、質の悪いことだ」
受け答えたのは長身痩躯の男。
黒髪を後ろに流している痩せた顔付きの男。歳の頃は四十を超えないくらいであるが、疲れのせいか碧色の瞳は翳りを見せる。
「ルノウム内で何かが起こっているのでしょうか」
「ルノウムのルオル王は齢七十を超えるが、子らが争いの種となっている以上、大事となれば国が滅びの道を辿る事になる。情勢をみても、騎士団を駆り出そうにも陛下が首を縦に振るかどうかは怪しいところだ」
答えた黒髪の男の名をグリークという。
ルード帝国において、武を司る双璧、帝国騎士団と魔導兵団。
その内の魔導兵団を束ねる将、魔導兵団団長その人となる。
頭に被っていた外套を外すもう一人の男。
その男は目を引く程の鮮やかな赤い髪と、人を引き込む深紅の瞳を持っていた。
魔導兵団に存在する二人の副団長。
その内の一人である、ルディ・ナザクという男であった。
ルード帝国を取り巻く環境はここ一年で大きく変化している。
ルノウム国は事あるごとにルード帝国の国境を越えては、外交問題を起こしていたし、挑発行為も日に日に増えていた。今回の野盗騒ぎもそれに付随するものという見立てもできる。
賢王とまで称されるルオル王が、才腕を如何なく振るっていた時には、そんなことは一度たりとてなかったのだが、王の二人の子が問題であった。
王権を理解せぬ愚鈍なる王子達。それは、ルオル王の力でも制御が効かぬ所まで来ていると聞く。近年のルノウム国内は、王子たちの無法により混乱を来し、民は貧困に喘ぎ、緩やかに死へと向かっていた。
ルード帝国としても黙って見ていられるほど、悠長な状況ではない。国が崩壊を起こせば、その波は近隣諸国へ波及する。
「一度戻って状況を合わせて確認するしかないか。グラム王国の方では魔獣被害が増えているようだ。帝国にも荒れ地を越える程の大物が少しずつ出ている。シグニール将軍とも話を詰めておきたい所だな」
「第二をルノウムとの国境側に待機させておきましょうか?」
ルディは頭を抱えるように唸るグリークに提案をする。
「あぁ、……そうだな頼む。それと今回の件にはユリスも連れて行ってくれるか」
「ユリスを?」
「うむ。魔導の扱いも少しずつではあるが安定してきている。野盗相手であれば、今の内に実戦を経験しておいた方がいいだろう」
グリークの言葉に神妙に頷くルディ。
「わかりました。念の為、危険が無いよう、ラルザとハイネルを護衛としましょう」
「頼む。野盗の元が市井の徒であれば遅れを取ることはないだろうが、大災害の余波がいつ何時降り掛かるともわからぬ。今の内に戦える人間を増やしておきたい」
グリークは悩む。
ルノウム国の事もあるが、喫緊の問題は、大災害が迫っているということだ。
一年前、グラム王国のグアラドラの導師よりもたらされた一報には、時間の無さが頭を悩ませもしたが、それでも現状やれることを一つずつやっていくしかない。
それに、ルード帝国にはグラム王国建国時より伝わる、聖女による予言の核となる部分の伝承もある。
グリークは迫りくる大陸の危機を肌で感じていた。
「時間が無い。だが、今はやらねばならん。ルディ副団長、私は登城する。現場の指揮は任せる」
「はっ、帝国魔導兵団、第二特務小隊、ルノウム国境近辺の野盗の警戒にあたります」
敬礼をした後に、足早にルディはその場を立ち去る。
「大災害……。ヤンと連絡を取らねばならんか」
グリークは、天を仰ぐようにして差し込む光を見つめる。
路地裏から見える空は、薄暗い雲が掛かり、日を遮ろうとしていた。
これから先、その瞳に何が映るのか、グリーク自身も掴むことができてはいなかった。
* * *
「僕が同行するんですか?」
ユリスは驚きの声を上げる。
年の頃は、今年で十五となる少年。華奢な身体に、薄緑の髪。まだまだ幼さを残した雰囲気は、優しげな瞳に揺らぎを見せる。
少年特有の活発さを絵に描いたというよりは、家で本でも読んでいそうな、大人しげな様相をしている。
ユリスは戸惑いながら、目の前の赤い髪の青年に問い掛けていた。
「そうだ。今回の指令にはグリーク団長の考えもあるようだ。なあに、少しずつ慣れていけばいいさ」
ルディは己よりかなり歳の離れた少年を勇気づける為に、明るく語り掛ける。
「でも、僕は魔導が……」
少年は逡巡する。
帝国の魔導兵団にひょんな事から見習いとして入隊したユリスは、魔導の才能を確かに持ち合わせていたが、根本に問題もあった。
ユリスが大量に内包している魔導に対して、それらを操る技術が追いついていないのだ。技量に依らず、精神状態や環境にも左右されやすい性質のある魔導は、扱うのに相応の練度を要する。
ユリス少年を見つけたのはグリークであった。
帝国にて、天つ風の大魔導師と呼び称されるグリークをして、己以上の才能を持つと団に明示して久しい。
ユリスとしては、それ故の重圧というのもあるのだが。
「大丈夫だ。ラルザとハイネルもいるし、俺もいる。実戦で得られることも多いだろうよ」
快活な笑顔でユリスを鼓舞するルディ。
「ルディ副団長……」
ルディの押しの強さに、ユリスは困惑した声を出す事しかできない。
帝国の誇る魔導兵団は大きく二つに分かれている。
ルード帝国魔導兵団を統べる、団長グリークを筆頭として、大隊を指揮することを主とした第一と呼ばれる第一大隊と、後方支援から遊撃まで、柔軟な対応が求められる、第二と呼ばれる第二特務小隊。
第二特務小隊は第一大隊よりも少ない人数で構成されていた。
大きな違いとしては、部隊の補佐の為に魔導の扱えない人間もいる第一大隊と違い、第二特務小隊の隊員は、その全てが魔導を扱う事が出来る。
少人数故の機動力の高さから、第二特務小隊の任務は多岐に渡り、魔獣が出現し始めたこの一年の間、休む事なく稼働を続けているせいか、尋常ではない能力を保有した魔導師達の巣窟ともなっている。
そして、第二特務小隊の生まれるきっかけにもなった、副団長であるルディの存在も大きな意味を持つ。
帝国軍に燦然と現れ、瞬く間に副団長まで上り詰めた男。
その経歴は謎に満ちている。負傷して生死をさまよっていたルディを、グリークが救った所から始まる。
実力主義の帝国の性質とグリークの力添えもあり、今では立派にルード帝国軍魔導兵団の副団長をこなす。明るいその性格は多くの者たちを魅了し、曲者揃いの第二特務小隊を纏め上げるまでに至る。
そんな人物に熱く語られては、ユリスも軽々しく拒否することはできない。
最も、魔導に関しては遅かれ早かれユリス自身が向き合わねばならぬ問題であるから、考えようによっては覚悟を決める時期が来たともいえる。
そうした中で、あれよあれよと話は進んでいき、その流れに押されるように、少年は第二特務小隊の皆と共に、帝都を出発することになった。
迷う暇すら与えられず、風に吹かれて希望の種子は旅立つ。
自らが芽吹く場所を探して。
* * *
風が吹き荒ぶ荒野に、一つの人影がある。
「揺れ動く。彷徨うのは行き場のない魂か、それとも」
人影が見る視線の先にあるのは、山と積もる魔獣の死骸。
その全てが、刻を忘れたように苦悶の表情で、彼方を見ている。
「……長かった。だけれどやっと見つけた。後は取り戻すだけ」
荒野に砂塵が舞う。
ぱらぱらと粒子が飛び交い、魔獣の死骸が埋もれていく。
影は視線をさらに遠くに向ける。
遥か彼方、動くのは一台を馬四頭で引く軍用の大馬車。
それが五台。申し訳程度に舗装された道を駆けてゆく。
「……ユリス」
小さな点となって進み行くそれを、只々じっと見つめて、人影は言葉を漏らす。
「許さない。ユリスを奪った事を、そして」
漏れ出る感情は、長年探し続けてやっと取り戻せるという仁慈と、それを奪った者へ対する憎しみか。
「必ず取り戻す」
全てを投げ打ってでも実現するという切望と決意か。
砂が舞う。
そして人影は砂に溶け合って姿を消す。
後に残るのは、喉に張り付く荒野の風か。
いつも閲覧ありがとうございます。
大秋です。
次回投稿予定日は、4月12日月曜日の夜を予定しています。
舞台はグラム王国より西方に移して、ルード帝国、どう物語が動いていくのか、
『魔導の果てにて、君を待つ 第七話 繋ぐもの 中編』
乞うご期待!