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第六話 フィテス 前編





 喉の奥底から漏れ出る恐怖を必死に抑え込みながら、暗闇の中を走る。

 背後から獣の形をした巨大な影が、ずっと男を追い掛けてきていた。


「はぁ、はぁ、……ああ、あああああああああぁっっっ」

 しゃくりをあげるように引きつった声が喉で一度詰まる。

 だが、それは支えを失うと濁流のように絶叫として流れ出てくる。

 止めようとしても、全身を震わす本能がそれを許してはくれない。


 恐怖。

 それを理解する程に、絶望で前が何も見えなくなる。


「いやだいやだいやだいやだいやだいやだあああああああぁ」

 そして男は立ち尽くし、そのまま膝をつく。

 喉を掻きむしり、両の手で口を抑えても、吐き出される息と音が止まることはない。

 

 追い掛けてきた影が己を見下ろすのが分かった。

 鮮やかな灼熱色の髪をかき乱しながら、リバックは嗚咽する。





 * * *





──グラム王国


 魔導王が建国してより五百年の間、王国に暮らす民は安寧たる時を享受していた。


 王国の建国以前は、土地に根付く少数部族が点々と住処を持つだけで、隣国のルード帝国を筆頭に、近隣諸国の戦乱に巻き込まれる過酷な環境であった。

 懸命に生きようとも、唐突に降り注ぐ戦火になすすべもなく、力を持たぬ者達は怯えて暮らさねばならない。


 それも今や昔の話。

 魔導王が建国したグラム王国には、三つの象徴たるものがある。


 悠久の時を眠りながら、未だ王国内外に存在を知らしめる魔導王。

 予言の聖女が育ったグアラドラと、魔導を操るグアラドラの導師達。

 そして、魔導王が王国の建国以前より知己を結ぶ、フィテスである。


 フィテスの名は、王都において魔導王の目覚めを見守る守護者として名を馳せていた。

 王の眠る城を、きたるべき日まで守護する盾となり代を繋ぐ。それはいつの日か、グラム王国の守護者としての誉れを得ることになる。


 フィテスの一族は友を守る為、聖女の予言した大災害のその日まで魔導王を待ち続ける事となる。


 そして時は流るる。





 * * *





「なかなか粘りおるのぅ」

 目の前の暴威を涼しい顔でかわしながら、ヘムグランは剣を振るう。

 黒眼の魔獣は一定の大きさになった後は、それを維持し続けていた。


 その大きさは巨像と呼べるほどに、その姿を大きくしていた。

 人間であればとおは縦に並べられるほどの巨体。


 だが、数多の生物を相手に猖獗しょうけつを極めようとも、その鈍重な動きはヘムグランを捉えることが適わない。


 巨像の肥大した腕が振るわれ、周囲の大木が木っ端微塵となる。

 その魁偉かいいなる足が踏みつけた大地がひしゃげる。

 だが、その力の全てを持ってしても、巨像がヘムグランに脅威を与える事は出来なかった。


「ディー、クルス坊、ぬしらはその子を送り届けてやるのか? 儂も森の奥の村に用があってのぅ」


「ヘム爺危ない!」


 クルスの切羽詰まった声が飛ぶ。

 身を縮めて、風を巻き込みながら蹴り出された巨像の足を避けるヘムグラン。前後左右に目まぐるしく動きながら、巨像を一人で相手取る。

 刃に身を斬り裂かれ、どれほど被弾しようとも、動きを止めぬ巨像。

 圧倒的なその姿に、ディーが歯噛みした……その時。


──森の奥で炎が揺らめく。


 視界に入ったその炎に気付き、ディーは巨像の後ろをじっと見る。

 揺らぐ炎。

 そして、カツ、カツ、カツという足音が、鮮明に音を乗せて、ディー達の耳まで届く。

 次いで熱風が駆け抜ける。


「あぁ、あぁ。だいぶ時間が掛かったが、あの蝶は本当に魔導王の導きだったのかね」

 巨像の後ろから、気の抜けた声がする。


「はてさて、このでかいのは一体なんだ?」

 想像を超える大きさの物体を見ながら苦笑を浮かばせるのは、サイ・ヒューレであった。


「サイ兄!」

「サイ!」

 クルスとディーが歓喜の声を上げる。


「マルク!」

 恐怖に震えていた少年、オルフェはサイの隣にいる幼馴染を発見して驚きの声を上げる。

 少年の視線の先、サイの隣には少女がいた。


「かっかっか、遅れて登場したからにはそれを片付けてもらわにゃのぅ」

 ひげさすりながらヘムグランも嬉しそうにサイを見る。


「機を狙っているわけじゃあないんだけどな」

 巡り合わせというものか、サイは諦めたように頭を掻く。


 漆黒黒眼の巨像は、身の回りをさえずわずらわしい存在に少しずつ苛立ちはじめる。

 地団駄を踏むように地を鳴らそうと足を大きく上げる。

 その動きを見た瞬間、止まっていた周囲の流れが動き始める。


 クルスが矢を番え、放つ。

 繰り返し放たれる速射に巨像は視界を遮られ矢を体内に吸収していく。


 次いでヘムグランが地を滑りながら詰め寄り、剣を繰り出す。

 高速で回転しながら繰り出される両の剣が、数人分の胴程となった巨像の軸足を切断するように削る。


 しかし、巨像は泥のように流れ落ちるしずくで傷を覆い、切断された部位を直ぐに繋げる。

 そのような場面であっても油断なくディーは子供たちを預かるように後方を立ち回る。

 立ち竦んでいたマルクも、回り込んで来たディーと共に懸命に手を伸ばすオルフェに引かれて下がっていた。


 眼を細めながら、その光景を見ていたサイはゆっくりと魔導を練る。


 まずサイの耳から音が消える。

 そして聞こえてくるのは、たきぎのような火の粉の跳ねる音。

 パチパチ、パチパチと。

 幻想の中のまきが折れると、一際甲高い音がする。


「あぁ、おこす、熾す、熾すのは魂か。迷い子をいざな漁火いさりびのように。果てよ、果てよ、果てるのは、世に蔓延る悪鬼羅刹よ。知れ、生命の尊さを。祈れ、去り行く懐郷かいきょうを。そして、過ぎ去りし日とともに我が色に染まれ絶望よ」

 サイの口から呪文のように小さな言葉が紡がれていく。


 抜き出された時には真紅であったサイの剣が、次第に純白へと変化していく。

 それは雪を連想させる色であった。

 過酷な環境において、生命の儚さを思い起こさせるように。

 ただ真っ白に在る。


白剣はくけん

 サイは刃を寝かせるように構えて、横一文字よこいちもんじに振るう。

 白い軌跡が巨像を捉えると、漆黒の体躯が変化を起こす。


 巨像は混沌を想起させるその黒色を失い、染まりゆく。

 ただただ白く。

 存在というものがするりと抜け落ちるように。


 吐く息と共に時が動き始める。

 白く染まったままの巨像は、進み行く時の流れに付いてこれぬとばかりに、動こうとした指先から粒子となり、さらさらと消えてゆく。


 サイが持つ究極の魔導。

 白剣が指し示す先にある全ては、色を失い過去のものとしてその場に取り残される。

 白剣を身に受けて色を失なった存在は、未来へと進むことは出来ない。


 巨像は見る間に崩壊を迎える。

 己が消える理由すら理解する前に。


「淀みは未だ絶えずして在る。こいつも魔獣グアヌブではないのか」

 サイは自問するように小さく息を吐き、剣を納める。


「サイ坊、まだ第一の災害は見つからぬか」

 呟きを受けてヘムグランは神妙な顔をする。


「この森に居るのは間違いないと思うんだがね。どうにも体内の魔導が騒ぐんだ、爺さん」

 自答を含めても何度目かの問答ともなるそれは、だが着実に一歩ずつ対象に近付いていることを再度認識させた。


 大災害の尖兵とも言える第一の災害、魔獣グアヌブ。

 日に日に驚異を増してくるそれは、やはり狩らねばならぬ。

 放置すればするほどに、世が乱れ希望が失われてしまう。

 サイは子供達を見ながらそう思う。


「まずは子供達を送らねばならんのぅ」

 ヘムグランは当初の目的と近い、やらねばならぬ事思い出した。


「そういえば爺さんはなんでこんな所へ? クインと一緒に街にいたんじゃなかったのか?」

「あぁ、ちと頼まれ事をしてもうての」

「相変わらずだな。少しは自分のとしを考えた方がいいぞ」

「坊主に言われるほど耄碌もうろくはしておらんよ」

 苦笑地味た笑みを浮かべ、ヘムグランはサイの手厳しい指摘に応える。


 そこへディー達が近付いてくる。


「マルク!」

 オルフェは心配した様子でマルクを見ていた。

「オルフェ、ごめん」

 目の前で初めて見た魔獣の衝撃。

 マルクは勝手に行動したことをオルフェに謝った。

 落ち込んでいる様子を見せるマルクにオルフェは声を掛ける。

「無事なら良かった。大丈夫だよ、マルク。森の中であの化け物をいっぱい見たんだ。はやく村に戻ってみんなに教えないと」


 オルフェはマルクをいたわりながらも、今直面している危機を幼いながらに認識していた。


「かっかっか、立派な男子おのこじゃのう。サイ坊、主も手伝え。一同で村へと参るぞ」

 ヘムグランはオルフェの発言に少しにやりと笑うと、腕を組んで考え事をしていたサイに語り掛ける。


「ディー、クルス。予定変更だ、この子達とその村とやらを救ってからグアヌブを探す。爺さんがいれば早くやれるだろう」

 魔獣被害に魔鳥の侵攻。

 サイは導師としてより被害が出ない方法を模索する。

 ディーとクルスも、元より承知の上といった様子で頷く。


「思ったよりも各地で状況が切迫しておる。打開策がなければジリ貧になるかもしれん」

 ヘムグランはサイにだけ聞こえるように声をかける。


「まぁ、なんとかするさ」

 飄々とした態度を崩さず、サイはそう返した。

 それを聞いて、ヘムグランはどこか満足したように笑う。





 * * *





 唸り声と、残響が木霊する中。

 数多の魔獣の死骸を前にその深淵は、ただ漂っていた。


 其れは自らが生き延びる事が正しいということを理解していた。

 生まれてより幾度か消滅の危機に至ったことはあるが、今、生きているのであれば、其れにとって何ら問題はなかった。


 だが深淵の中に居る其れは忘れない。

 薄暗い穴の奥底に隠れながらも、己を傷付けた存在を。

 それが恨みや、怒りであるという事に気付く事はない。

 ただ、其れは忘れることはなかった。


 そして虹色の蝶が深淵の前を通り過ぎる。


 それを見る度に、深淵の中に居る其れは苛立ちを覚えた。

 恨みや怒りよりも先に、苛立ちという感情を。


 其れが手を伸ばしても蝶は揺蕩う事を止めない。

 いくら見つけてその度に握りつぶそうとも、蝶は次の日には深淵の前に現れた。


──グ、ググ


 抑えきれぬ声が漏れ出る。


 森の中に、己を脅かす存在がいる事は認識していた。

 己が産み出した魔獣の尽くがむくろとなっていたからだ。

 ここ暫くの間に、其れにとって居心地の良い空間は騒がしくなった。

 だから其れは隠れ続ける。


 見つかってはいけない。

 生き残るのが正しいのだから。


 だが目の前の虹色の蝶には無性に苛立ちが募る。


──グ、グググ


 再度唸って威嚇するが、虹色の蝶は深淵を照らす事をやめはしなかった。


 次第に其れは身を乗り出すように深淵の縁に手を掛ける。

 外に出たときに覚えた痛みは未だに忘れてはいない。


 最初は真っ白な光にやられて、身体の半分を消し飛ばされた。

 次に逃げた先では、傷つく事のない己の身体を腹まで斬り裂かれ炎に呑まれた。

 この空間に居付く前に出た場所では、出た瞬間に意味の分からない攻撃を受け、何もできずに消滅するところであった。


 身体は直ぐに元通りになるとはいえ、その時から深淵の中の其れは臆病になった。


 だけど目の前のそれは無性にいらつく。

 止めることができないものが内よりどんどん溢れ出てくる。

 もう其れに、激情を止めることはできなかった。


 深淵の中の其れは最初に覚えた感情のままに動き始める。

 赫赫あかあかとした眼は、もはや目の前の虹色の蝶しか見てはいなかった。






閲覧ありがとうございます。

本当に感謝の極みです。


次回投稿予定は4月1日木曜日夜です。

『魔導の果てにて、君を待つ 第六話 フィテス 中編』

乞うご期待!


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