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第四十一話 かたちのないもの 前編





「母さん……もう、おきないの?」


「あぁ。カサハは今、天へと旅立った。お前はカサハの分まで一生懸命に生きろ。それがあいつの望みだ」


「いっしょうけんめいに、いきる……」


「お前ならきっと出来る。お前は私達の子だからな」


「……うん」


「なぁに、旅立ちの時が来ればまた会えるんだ。これは別れではない、想いを繋ぐ、それがとても大切なことだ」


「つなぐ──たいせつに……」





 * * *





「想いを……」

 発した言葉の全てが呑み込まれてゆく漆黒の闇の中、オーリンはもう開いているのかすら分からぬ己の瞳を見開く。目を凝らしても、見えるのは塗り潰された彩りのない黒。そこは人の形すら視認出来ない実に曖昧な空間だった。


 この場所を認識する事により、とても良くない事が起きるのではないかという確信が、オーリンの中にはあった。


 頭の中に浮かんだ虚無ヌルという言葉。


 それは、父親の存在を自身の記憶の中から消し去るほどに大きな力を持つ何か。


 オーリンが闇と対峙していたその時、何も無かった空間に気配が生まれた。


「ウルも間に合わなんだか。それでも、まだ希望の灯は潰えてはいない……」


 産み落とされた言葉が、蒼い光と共にオーリンを照らす。


「何だ」

 オーリンは何もない空間の中、いつの間にか傍らに立っている存在に気付く。淡く全身を発光させているのは、顔の左半分を真っ白な仮面で隠し、群青色の道衣を纏った男だった。


 その男は若くも見えるが、老いていたとしても不思議ではないほどに歳を感じさせぬ中世的な顔立ちをしていた。


 男の存在を知覚した瞬間、オーリンは戸惑いを覚えた。目を離した瞬間消えてしまいそうなほどに生気を感じさせぬ男が、不敵な笑みを浮かべながら群青色の右眼でじっとオーリンを見つめている。


「誰……だ?」

 口に出した言葉は喉の奥に違和感を残す。オーリンの言葉を受けて、男はおもむろに顔に付けている仮面を外した。仮面の下から現れた左眼は、吸い込まれてしまいそうになるほどに幻想的な輝きを放つ、虹色の瞳であった。


「不思議なものだね。君と語り合ったのが、もう遠い昔のようにも、つい先日のようにも思える」


「あんたは?」


「グアラドラにおいて最も強き者である、吾輩の名を忘れてしまったのかね」


「……孤児院の関係者?」


「ふむ。今回は十年も保たなんだか。上出来と言えば上出来だが、あれの影響が強まっている以上どちらにせよ限界があるか。そうだな、吾輩の事は『ナーダ』とでも呼びたまえ。アムリアにおいて最も自由を愛する()()だ」

 笑いながら、さりとてそれすら問題はないという風に、オーリンの目の前に在る男は言う。


「ナーダ? ここは一体、どこなんだ」

 敵意ではなく親しみを込めて語りかけてくる存在を前に、オーリンは張っていた気を緩めると、現状を知ろうと動く。

 オーリンの言葉に、口元に指を当てながら少し考える仕草を見せてからナーダは口を開いた。


「此処は光が潰え、全ての起点と終点が重なりし場所。かつて、八百万の神々その全てを無に還した、終焉が産声を上げた場所でもある」


「神々を無に還す……」


「君達に伝わる話で言うと、終焉の大災害というやつだね。本来ならば此処より先はない。虚無ヌルがすべての未来を喰らわんと貪欲なまでにその大口を開けておるからな」

 とても軽い口調で語られるナーダの言葉は、その実に重みを持たせオーリンに焦燥感を抱かせる。

 今見ている現実が重なる事で、その言葉が真実だと言わしめる。不安は種を蒔きオーリンの胸中を締め付ける。


「世界はどうなる」


「今はまだどうにも為ってはいない。だが、残念な事に何もせねば全てが此処と重なる。さて、話は変わるがオーリン、信じるというのは存外難しい事だとは思わんかね」


「俺の名を知っている? それに、信じる?」


「よく知っているとも。そうだな、有体に言えばこれは未だ苦難を歩む英雄達の物語なのだよ。苦難ではあるが、君がそれを理解すれば救われるものもある。苦しみを伴う道だが、君にしか出来ない事だ」


「あんたが何を言っているのか、俺にはよく分からない」


「此処より始まる終焉の大災害虚無(ヌル)。其れは個であり全であるが故に討ち倒すすべがない。だからこそ、道を作る必要がある」


「道?」


「そうだ。完璧なるモノに君という光を通して、道を成す。虚無を混沌こんとんとすることでその土手っ腹に風穴を空けるのだ。無と有が交われば、いかなるものとて人の運命に巻き込むことが出来る」


「運命に巻き込む? 混沌というのはなんだ」


「例えるなら人間そのものと言ってもよいのかもしれんね。不完全であるがゆえに完全なものともいえる。さて、これより門を開く。吾輩の代わりに、変革する世界の形を見届けてくれたまえ」

 ナーダの言葉が終わると、オーリンの眼前に長方形にくり抜かれた光の門が現れる。


「これは、魔導門」


「信じるのだオーリン。人が持つ可能性を。君が持つ力と、君が歩んで来た道程を」


 門が闇を白く染める。


「あなたは……、──導師」


 オーリンはすべての言葉を発する前に、門から伸びてきた無数の白色の糸に全身を拘束された。時間にして一秒も経たぬ内に、オーリンの身体は繭となり、門へと引き込まれていく。


「オーリンよ、此処より先はあまりにも険しい道だ。一歩進むごとに恐怖がその身を刻み、時に魂までも凍てつかせるだろう。それでも、君ならばと期待してしまうのは、酷な事かね」

 しばらく経ち、光の消えた暗闇の中、唯一色を失わないままナーダは天を見上げた。





れより今ある盤面を全てひっくり返す……後は頼んだぞ、グラム」





 * * *





 山の奥深くに地鳴りのような音が木霊する。


 それは地を這う獣のような声であり、慟哭にも似た何かであった。

 ゆっくりと身を這う言い知れぬ恐怖に、リバックの全身は総毛立つ。


「これは一体……何が起きたんだ」

 ごく自然と外界へ漏れ出たリバックの言葉。

 単純な感想であったが、今の心境を写して余りある。


 リバックがそう思うには理由があった。目の前に広がる光景が、リバックがここに至るまでに伝え聞いていたものと百八十度違うものであったからだ。


 知らせの通りなら、リバックが追いついた先にあるのはグラム王国軍の先陣、二個旅団総勢一万超の軍勢を収める野営地であり、それらが日毎魔獣ひしめくルノウムの大地の戦端を切り開いているはずであった。


 だが、今リバックの目の前にあるのは、ただ一つの黒だった。


 比喩などではない。

 薄いビロードのように区切られ、大地の端から端までが、天空の遥か彼方まで切り取ったように黒一色で染まっている。


 何人にもルノウムの地を踏ませる気はないというように、漆黒の壁が只々その異様を知らしめる。


 リバック達の預かり知らぬ所で何かが起きた。


 先陣に帯同していたはずのリバックの叔父、アルバート・フィテスの率いる聖堂騎士団がいた痕跡もない。


 なにもない荒野にそびえ立つ得体の知れぬモノを見て、リバックは知らぬ内に口に溜まっていた唾を飲み込む。


「坊っちゃん、これは一大事ですよ」


「ベル。何かが起きた。ここで、俺達の知らない何かが」

 沈黙に耐えきれず、引き攣った声を上げたベル・ホウロの声にリバックが応える。

 神妙な面持ちのまま思案を巡らせるが、分からぬことだらけだ。

 二人の目の前にある全ての現象が既に理解の範疇を超えている。


 理解が及んでいないのはリバックやベル・ホウロだけではない。

 リバック達の会話を尻目に、グラム王国軍第三陣、五千余名の指揮を執っている大騎士クアトロは、いつにも増して厳めしいおもてのまま傍らに控える副官エルトン・サナスへと視線を向ける。


「サナス、わかるか?」


「半刻ほど前に届いた伝令には、このような状況は一切含まれておりませんでした。我らが到着するほんの僅かな時の合間に、事態が動いたのでしょう。それ以上は現状分かりません」

 深い茶色の髪を背中で綺麗に整えた齢二十後半の男が、クアトロの問い掛けに首を振って応える。


 サナスの言う通りなのだろう。

 元より、唐突に舞い込んだこの異常事態の答えを持ち合わせているものがいるとは思えない。

 ほんの少し前まで精緻に連携が取れていたのだから。


 答えが見つからない。だからといって軍を統べる立場にあるクアトロが手をこまねいているわけにもいかない。今起きている事態に対処するために、何でもいいから答えに繋がる切れ端を見つける必要がある。だが、皆が皆、思考の迷宮に迷い込むその前に、簡単に沈黙は破られた。


「終焉の大災害です」


 高く透き通る声が響く。

 美しく、凛とした芯を感じさせる声の主は、疑問を持った人間全てに一つの解を与えた。


「大災害……これがか?」

 クアトロの口から突いて出た言葉が、現状を現すに置いて最もしっくりきた。

 しんとした空気を割って放たれた言葉に、リバックも耳を澄ます。


「不滅の竜が喚び起こすものは、万物を虚無へといざなう終焉の波。在るものすべてを虚空へと導く絶望の壁が迫り、生きとし生けるものは滅びる。聖女が予言した最終節です。これが唯一無二である、本物の大災害とよばれるもの」

 深くフードを被り、白い道衣に似合わぬ無骨な鎧を身に纏った女性が、確信を持って疑問に答えた。


「クイン導師。どういうことか説明してもらってもよいかな?」

 サナスにクインと呼ばれた人物は、頭に被っていたフードをそろりと外すと、流れ落ちる黒髪の合間から、虹色に輝く瞳を黒くあるれへと向けた。


「──来ます」

 クインはじっと黒壁から目をそらさぬままサナスの問いに答える。


 次の瞬間、地響きが黒い壁の内側より産まれずる。

 数多の馬蹄を従えて、空間を揺らめかせながら無骨な鎧を身に纏った、身の丈を優に越える大きな刺突槍ランスを携えた騎兵が現れた。


 一騎、また一騎と横一列に戦団を形成し、騎兵の集団が壁の中より無尽蔵に湧き出てくる様は、異様というよりもおぞましさを感じさせる。


 現れた全ての騎兵に共通している事があった。これ程までに大量の集団だというのに、生きとし生けるものが必ず持っている呼吸がない。


 跨る馬の瞳には虫が湧き、体毛は凝固した血液で赤黒く染まる。


 その数は見る間に増えてゆき、荒野を埋めるほどとなる。

 そして最後に一際異様な存在が姿を現す。


 それは、他の騎兵とは比べ物にならないほど巨大な青鹿毛あおかげの馬に跨る大男だった。


 大人二つ程あわせても足りぬ程に大きな体躯。腕には人の胴体ほどの巨大さを持つ突撃槍が構えられている。短く切られた黒色の頭髪の下には豪胆さを併せ持つ武人のおもてに、他の騎兵とは違い生命力を感じさせる茶褐色の瞳がある。


 奥歯を噛み締めるよう結ばれた口からは、剥き出しの感情が怒気を含みながら漏れ出ている。


 蒼い甲冑が、男のはち切れんばかりの胸板を押さえ込みながら鼓動を打ち、背にはルノウムの国旗である蛇と剣の紋章が織り込まれたマントが翻る。


 男の存在にリバックが目を奪われたその時、王者の風格を身に纏う男は口を開く。


「ルノウム国第二王子リヒテル・ウル・ルノウムである。我らが国土を侵す愚物共よ、許されざる罪を魂に刻み、ことごとく滅せよ」





大変お待たせしました。

いつもお読み頂きまして、本当にありがとうございます。


次回、

『魔導の果てにて、君を待つ 第四十一話 かたちのないもの 中編』

乞うご期待!

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