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第四十話 消えゆくもの 後編





 僅かな灯りに惑わされたのか、日も暮れたというのに蝉の鳴き声が聞こえる。窓から飛び込んできた音はぬるい風を誘い込むと、疲労した身体を少しだけ重くした。


「オーリンよ、明日より始まる旅の最中、お前はフィズを名乗れ」

「いきなりなんだよ親父。俺はあんたの……マーズ・マフスの息子だぞ」

 晩酌の時分、唐突に切り出された父親の言葉にオーリンは面を食らう。それは日中に行われている稽古が一段落して、いつものように父親と晩を過ごしていた時の事であった。酒の肴へと伸びようとしていたオーリンの手は、唐突な言葉を受けて宙に浮いたまま静止する。


「なに、そう難しい話ではない。これもまたひとつの試練というやつだな」

「出たな、マーズ・マフスの試練。今までそれで変な事になってないから疑う気はないけど、そのフィズってのは何だ?」

 止まっていた手を戻すと、オーリンは手元に置いてあった酒を一息で飲み干しカラカラになっていた喉を潤す。長年生活を共にしている経験から、目の前の人間が言う冗談のたぐいはオーリンもよく理解している。しかし、今回は明らかに雰囲気が違う。オーリンは父親であるマーズ・マフスの目を見ながら、真意を知る為に話の先を促した。


「うむ。──フィズとは、マフス家の遠い祖先にあたる。お前の旅に出る先がグラム王国だというのならば、ついでに見聞も深めておくといい、そう思ってな」

 オーリンの反応を見て、マーズ・マフスは僅かに緩んだ表情を見せると、ゆっくりと口を開く。口元に貯えられた見事な髭をさすり、オーリンの視線を正面から受け止める。


「ついでって……。それがフィズを名乗ることにどう繋がるんだ?」

「グラム王国にはフィズの起源となるものが未だに残っている。その足跡を見つける為に都合がいいというのもあるが、それ以上に重要なのは、一度マフスという殻から飛び出すというところにある。寄る辺なき所にその身を置けば、自ずと内に秘めたる過不足も見えてこよう。それは己を知る上で良い経験になるというものよ」


「むぅ。親父が言うからには大切な事なんだろうけど、いまいちよく分からないな。それに、今まで親父の口からフィズという名を一度も聞いたことがない。一体何をした人なんだ?」

 マーズ・マフスが語る言葉は、表面だけ捉えても意味がない。余白というべき行間に込められし想いを知るために、オーリンは思考をさらに寄せてゆく。


「……偉大な人であった、ということは言えるな」

「親父、それだけじゃあ、なんとも曖昧だ」

「物事の本質というのは、水面みなもに浮かんでは消える泡のようなものよ。自らが経験して知り得た言葉にこそ意味が宿る。付け加えるならば、他を知り己を知れば、見えてくるものもあろう。夢か現か分からぬ所にこそ、いつも真実が潜むのだから」

「真実ねぇ……。触れる触れないは別にしても、難しい話だ」

「いうほどでもない。ん、……オーリン、酒が無くなった」

「はいはい。まったく、これが槍を持っている時には泣く子も黙る、武人マーズ・マフスの真実かね」

 少し赤くなった顔でオーリンへと器を伸ばしお酌を催促するマーズ。オーリンは緊張から開放されるように溢れ出たため息と共に、笑みを見せるマーズの持つ空の容器へと酒を注いだ。


「わっはっは、お前も言うようになったな」

「あまり飲みすぎないでくれよ、飲みすぎて潰れて、見送りが出来なくなるなんて事になっても、俺は知らないからな」

「このくらいはまだまだ朝飯前だ。しばらく会えなくなるんだ、お前ももっと飲め──」





 ──そうだ。それで、その後は……





 * * *






「その後……。俺が旅立つあの日の朝、親父は現れなかった。でも、なぜその時の記憶が無くなっている。いや、親父の記憶自体が今まで無くなっていた?」

 足運びから槍捌きにいたるまで、その全てが武の極限を体現し、一点の曇りさえ見せない。今、オーリンの眼前にある朧気な存在こそ、オーリンの知るマーズ・マフスその人だ。父親であり、武芸の師匠でもあるマーズ・マフス。


 それが笑っている。オーリンを見ながらやっと思い出したかとでも言うような気軽さで。それ故に、オーリンは焦燥に駆られる。記憶を今に寄り戻せば異常性は余りある。ここは大災害と戦う為の最前線、人魔の支配する都市ムダラだ。そのような場所に、何故帝都にいるはずのオーリンの父親、マーズ・マフスがいるのか。それも、何故人魔の形を持ってオーリンと槍を交えているのか。これが夢や幻の類であればいい。


 だが、そんなことはありえない。オーリンは理解してしまっている。目の前のマーズ・マフスが本物であることを。


 状況を理解すればする程にオーリンの手が震え息が詰まる。二つの腕で支えている槍が何倍もの重さになって、オーリンへと問い掛ける。答えを持っているのに、今更何を迷っているのかと。目の前にあるマーズ・マフスが構えた槍もまた、稲穂のように揺れてはオーリンへと問い掛けてくる。オーリンが辿り着いた答えを求めるように。


 オーリンの思考は乱れ、冷静とは掛け離れた状態へと突入してゆく。目の前が暗くなり、視界が狭くなってゆく。冷静にならなければならないというのに、短い時間で無遠慮に与えられた情報が、それを許さない。刻一刻と過ぎてゆく時間が、静寂と共にその場を支配する。


 マーズ・マフスの構えた槍が揺れる。

 揺れて、揺れるごとに、オーリンの心も揺らす。

 どこか挑戦的でいて、挑発的な動き。

 オーリンが長年に渡って幾度も経験した、全てを受け止める大いなる力。

 憧れて目指した、揺るぎなき力の正体。

 それが今も変わらぬ表情を見せている。

 変わり果てた姿だけを残して。


「なんで……なんで! こんな状況でもあんたは笑ってるんだよ!!」

 言葉をいくつ重ねても、何も変わらない。故に状況も変わらない。変化も起きず、流れは留まることもなし。


『とてもでかい化物がいてなぁ。紙一重でやられてしまったわ』


 マーズ・マフスの言葉がオーリンの耳に届く。

 幻聴か、幻想か。

 らしいといえばらしい。

 それでも、真実は受け入れがたい。


『生きるということは、戦うということよ』

 どんな言葉を言っていたのか。

 どんな想いで言っていたのか。

 声が、あまりにも朧気で思い出せない。


『英雄? 常に己自身に対して至誠の人であれるかどうか、ってところか。まあ、まだ難しいか』

 託した願いはどれほどのものか。

 己は今どのくらいまで歩いてこれているのか。


『その痛みと傷も、お前を支える力へと転ずる。大丈夫だ──』

 声が聞こえないのに、心は聞こえる。


『己自身で考え、判断し、それでも救いたいと思ったのなら、私の教えたその槍で大切なものを守れ』


「……その大きな腕があれば、すべてを救えると思ったんだ」


『そうすれば、お前はお前の中にある英雄と共に生きることができる。忘れるな』


 マーズ・マフスは一体何を守ろうとしたのか。

 一体何と戦おうとしたのか。


「俺の英雄──」


『忘れるな、オーリン』


 地から跳ね上がったマーズ・マフスの槍がオーリンに問い掛ける。

 瞬間、オーリンの脱力した身体に力が漲る。

 それはオーリンの力だけではない。オーリンを支える多くの力が光となって、暗闇を照らすように、背中を押す。


「分かっている。いや、分かっていたのさ。俺の答えが、知りたいんだろう……」

 オーリンの身体が前に飛び出る。

 踏み込みは果敢に──。


 一筋の光がオーリンの頬を掠める。

 捻った首元に風が当たる。

 オーリンの瞳は、正面でマーズ・マフスを捉えたまま離さない。

 マーズ・マフスの腕を絡めようと伸ばしたオーリンの掌は、捩じるように振られた一打に遮られる。


 背中越しで回るようにオーリンがマーズ・マフスの足を払う。

 オーリンの鋭い一撃も、自然な動作で軽く避けられると、そのまま強い力で背を押され、たたらを踏む。


 すれ違い、数歩進んだ後に振り返ったオーリンが目にしたのは、強力な光で象られた龍のあぎとだった。


 マーズ・マフスの全霊の一撃。


 ──喰われる


「──だが、それでも!」

 オーリンの中でずっと眠っていた恐怖が姿を晒す。

 絶望から逃げだして、理想だけを夢見た臆病な獣。


 それが今、オーリンと共にある。


 必死に突き出した両腕は、光となって溶けてゆく。

 恐怖はある。でも、敵じゃない。

 すべてが生きている証なんだ。


 オーリンがそれを理解した瞬間に、龍の咢もまた粒子へと変わってゆく。


 全てが混ざり合い消えていく幻想のような風景の中で、オーリンはマーズ・マフスの笑顔を見たような気がした。


『生きろ、オーリン』


 聞こえたのは確かにマーズ・マフスの声。

 偉大なる父親が生きた証。

 世界が光で埋め尽くされる。


 そして、光が去った後に小さな点が生まれる。


 見ている。

 何かがオーリンを見ている。

 其れに認識された瞬間、オーリンの世界は静止する。

 ゆっくりと、ゆっくりと抜け落ちてゆく。

 それは人を形成している全てを解いてゆくようで。


 何もかもが、──てしまう。





「──これが、親父が戦っていたものの、正体」





──虚無ヌル





お待たせしました。

いつもお読み頂きまして、本当にありがとうございます。


次回、

『魔導の果てにて、君を待つ 第四十一話 前編』

乞うご期待!

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