第四十話 消えゆくもの 前編
泣き声が聞こえる。煙が立ち込め、鼻を刺す臭いが口腔にまで溢れてきては、呼吸を浅くする。大きな腕に引っ張られながら息を切らせて走る。ピンと張り詰めた空気の中で、一度でも気を緩めてしまえば、今かろうじて動き続けているこの足も、途端に言う事を聞かなくなってしまうのだろう。叶いもしない幻想に思考が奪われ、心が逸る。
口から漏れ出る後悔を、小さな手のひらで懸命に押し留める。あまりにも弱く、臆病な己に、止めようのない涙が流れ出る。昨日まで一緒にいた友の姿が、目に焼き付いて離れない。一体誰がこんな結末を望んだというのか。
力さえあれば、全てを覆せるのか。何も分からないし、知りようもない。結論を出そうにも、そもそもそれを為すだけの力がない。あの人の強さのひと欠片でも己の内にあったのならば、英雄になれたのかもしれない。そういう風に考える事すらも、夢物語に過ぎないというのに。
また一つ命が倒れ、怒りの業火が遍く全てのものに降り注ぐ。誰が何をしたというのか。その罪すらも曖昧なままに、全てが巻き込まれていく。
地を這い出るように、臆病な獣は逃げ出す。千里を駆け、万里を駆け、望んだ楽園を探し彷徨いながら。未来永劫終わることのない戦いの中で、また、同じ夢を見る。理想に彩られた、歪な曲線を描いた夢を。
* * *
都市ムダラの街中を走っていたオーリンは、また声を耳にして足を止める。
足を止めた瞬間、周囲を見渡す暇もなく、オーリンの視界は人魔の群れで埋め尽くされる。人魔は色を持たない。まるでどこかにその色を忘れてきたかのように、その存在は抜け落ちた色の分だけ希薄で、ささやかな命の揺らぎすら感じることは出来なかった。そんな中でも、唯一存在感を放つ鈍色の剣を全面に突き出しながら、人魔はオーリンへ襲い来る。
前方から突進して来る人魔を左に躱すと、すれ違い様にオーリンは己の脚で跳ね上げた槍の切っ先を人魔の肢体に見舞う。大身の刃が人魔の身体をするりと抜けると、瞬間、人魔は黒い塵となって霧散する。
耳の裏で風を捉える。オーリンは槍を半身のまま回転させると、背後から迫る音を一息で叩く。オーリンを狙った人魔の剣は、急激に生じたあまりにも強力な槍の質量に耐え切れず、一秒も保つ事が出来ずに人魔の腕ごと地に落ちる。宙天より翻る刃が連続して激しい音を立て鳴らすと、地に伏せていた人魔はそのまま両断され、また一つその姿を失う。
人魔の群れは、波の押し引きのように波状で攻撃を仕掛けてくる。
「攻撃に一切の迷いがない……。純粋にこの街から俺達を排除しようとしているのか」
オーリンは死角を最小限に抑え、寸分の油断すら見せずに歩く。常に正面で敵を捉えられるように歩を進めながら、一向に減る気配を見せない目の前の敵と戦い続ける。地にある石を弾く音をさせ、人魔が三体、鋭い踏み込みでオーリンへと飛び掛かる。
オーリンは一度に迫る三本の刃を、槍の柄で巻き込むように受けると、全身を駒のように回転させて剣を宙空へと弾き飛ばす。そのまま剣を失って無防備になった人魔の胴体を、地面に刺した槍を軸として一度二度三度と、順番に蹴りつける。全身にみなぎらせた魔導の力が、オーリンの技をより強化された業へと昇華させる。
人魔達はオーリンの爆発的な力を抑えることが出来ず、衝撃に身を揺らし吹き飛んでゆく。地に転がって倒れた人魔は、尚も起き上がろうという意思を見せ、身を震わせるが、願いは叶わず地面に崩れ落ちる。地に倒れた人魔は、ひと呼吸する間にホロホロと身を崩しながら消滅していった。
だが、心を落ち着かせる暇もなく、地に落ちた剣を探るように、地中より腕が生え、這い出るように新たな人魔が生まれる。既に幾度となく繰り返されている悪夢のような光景。
生まれては消え、消えては生まれる。ともすれば永遠に繰り返されるであろう怪異を前に、オーリンの中に不確かな感情が生まれる。
「魔獣とは明らかに違う、この感覚は一体何だ」
刃を交えた剣の重みのみが、それの存在を感じさせる。しかしその実、剣の主である人魔達には命が感じられない。そもそも存在自体が曖昧であるそれらは、なぜ都市ムダラを彷徨い続けているのか。人に害を為す事を行動原理としている、魔獣とは明らかに違う法則で動いている。それは言ってしまえば、信念というものを感じる程であった。
一つ二つと人魔が増えていく最中、離れた場所で爆音が鳴り響き、爆風が空を波打ち空気を振動させる。あまりにも強烈な力の波動は、無数にいた人魔を巻き込むように吹き飛ばしながら、オーリンの身体をも激しく揺らす。以前に感じたことのある繊細さとはかけ離れた荒々しい力。それは、どこかでべヘモスが暴れている事をオーリンへと知らせる。
──ッ
「やはり、聞こえる」
はっきりと耳に届くオーリンを呼ぶ声。聞き間違いではない。誰かがオーリンの事を呼んでいる。オーリンが声を聞いた直後、周囲にいた人魔が行動を変える。まるで海を割るように左右に分かれ道を作る人魔の群れ。それらのすべてが、手に持った剣を大地に刺し、膝を突き頭を垂れる。
「……何だ?」
風が吹くと、地に突き刺さったままの剣を残して、人魔はその姿を消す。何もかもが白昼夢であったかのように、文字通りに跡形もなく消えて無くなる。
──ザッザッ
剣に囲まれた道を歩くものがあった。長槍を背に担ぎ、威風堂々と歩くそれは、オーリンを目指して只一直線に突き進む。
人魔と等しく色を持たぬ其れは、嵐のような激しさを内に秘めた静かなる存在であった。
一目見ただけで、オーリンの身が総毛立ち、喉の奥をひりつかせる。
槍の人魔がオーリンの正面に立って静止する。
表情も分からず、姿も朧気ではあるが、相対した瞬間、オーリンはかの存在が武人である事を理解する。
──
「マーズ……マフス? あんたが、俺を呼んでいたのか?」
色の無い戦士は、オーリンの言葉に軽く頷いて、笑った。
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ぜひ、最後まで自然に身を任せるままにお楽しみください。
次回、
『魔導の果てにて、君を待つ 第四十話 消えゆくもの 中編』
乞うご期待!




