第三十九話 大災害 後編
扉が激しく叩きつけられる。狭い路地を抜け、風のように建物の内部を走り抜けるオーリンを、無数の人影が追従する。否。それは人影のようなもの、といった方が正しい。ボロボロに朽ちた建物の内部は、長い時間放置されているのか、オーリンが踏み締めるたびに白い埃が舞い上がる。
テーブルに置かれた食器に人の匂いが微かに残る。その横にはなんらかの衝撃を受けて壊れた椅子が、乱雑な状態で横倒しになっている。オーリンは背に大きな槍を背負いつつも、それらを機敏に飛び越えてゆく。目に入ってくる情報は、オーリンを険しい表情をさせる。それでもオーリンが足を止めることはなかった。
背後から質量を持った何かがオーリンへと迫ってきている。それは、大きく床を踏み鳴らし、破壊の音を騒々しく立てながら、悍ましい声を上げる。その音色は、耳にするだけで恐怖という感情を刺激する。ふいに、ぬるい風が流れる。主無き住処を騒がす騒音の主が、オーリンを目掛けて力を振るった。
風切り音を耳で捉えたオーリンは、即座に反転すると背負っていた槍を胸元に寄せ、構えに移る。左手左足を前に、右手で持った槍が後ろ脚を軸として低い構えとなる。
──ヒュッ
オーリンの頭部を狙って放たれた二筋の線を、最小限の動きで下から跳ね上げた槍の穂で絡め取る。絡め取り宙を舞うのは二対の剣。一拍の間に生じた衝撃に、けたたましい音が響く。オーリンは一切表情を変えぬまま、槍を持つ両手にさらなる力を込める。振られた穂の重みで遠心力の加えられた石突きが、そのまま縦軸で円運動を行いながら正面にある敵の頭部を貫く。
オーリンの動きに淀みはない。自然な動作で槍の軌道を制御し続ける。オーリンはさらに重心を落とすと、膝と腰の回転を使い、残ったもう一体の影を水平に薙いだ。
──バスンッ
鈍い音が響く。
「見た目以上に重い……」
オーリンは手に残る重みで、敵の力を推し量る。手のひらが得た感触とは裏腹に、貫かれた影は瞬時に霧散してゆく。霧散してゆくと、それは質量を失い靄となって宙を漂った。
目の前に巻き起こる現象。オーリンの内側に逡巡が生まれる暇もなく、ドンッ、という音が鳴り響き、地面が揺れる。黒い靄のさらに後方から掻き分けるように長剣が伸びてくる。触れるか触れないか、既の所でオーリンは右の上体を捻り、刺突を紙一重で躱す。黒い影は出てきた時の勢いを止めぬまま、オーリンへと覆い被さるように体当たりをする。
敵の頭部であろう部位がオーリンの正面に流れてきたのを見て、オーリンは反射的に、空いた左手で弧を描くように右上方へと相手の顎の辺りを打ち抜く。影に触れたオーリンの手のひらが、鉄を叩いたような痛みを覚える。衝撃で壁に叩きつけられた影は、そのまま形をほろほろと崩しながら、床に吸い込まれるように消えていった。
得体の知れない敵。人の形をした何かに、オーリンは狙われていた。都市ムダラへの突入より、同行していたマシューやべヘモス、エミリオ達と別れてから、既にかなりの時間が流れている。オーリンはただ一人、この状況を作り上げた元凶となるものを探す。
────
微かに声が聞こえる。オーリンを呼ぶ声が。
「導かれているのか、追い込まれているのか……」
ムダラに入ってから、ずっとオーリンへと語り掛けてくる声がある。その声を聞くたびに、オーリンは無性に懐かしいという感情に駆られる。
一体この感情は何処からきているのか。そして、オーリンにだけ聞こえるこの声は、一体誰のものなのか。何もわからない。分かる事は、混戦の最中仲間とはぐれてしまったという事実だけ。意外な事に、そこに不安はない。行動を長く共にしていたマシューが無事であるかどうかは、感覚が教えてくれる。なればこそ、オーリンはオーリンに出来る事を模索し突き進む。
オーリンは糸のように細い手掛かりを辿りながら、声の主を探す。
* * *
都市ムダラを目の前に控え、攻略に移ろうとした時、ルード帝国軍は予期せぬ事態に直面した。
都市ムダラを占領していた魔獣は、今まで人類が出会ったものの中でも特に、大きさから細部に至るまで、人に近しい形をしていた。所々似通ってはいるが、それ自体は第一の大災害グアヌブが持っていた特有の邪悪さはない。寧ろ獣というよりも、端々に規律の見え隠れする様はより人に近しいとも言える。
だけれども、其れの特徴的な所は、表現できる色を持たないという点にあった。黒一色に染められているようにも見えるが、ただ空間を切り抜いただけのようにも見える。
それなのに、其れらは質量を持って確かに其処に存在している。魔獣とは明らかに違う理で動く存在。魔獣と区別をするため、其れらは暫定的に、人魔と呼称されることになる。
都市ムダラにある人魔の群れは、ルード帝国軍が迫って来た事をいち早く察知すると、都市内に通ずる唯一の経路である前後の門を即座に閉じた。周辺の調査を行っていた先行部隊も、近付く端から矢雨の洗礼を受け、ムダラへと簡単に接近することが叶わない。事の在り様は、もはや人間同士の行う戦争と違いがなくなってきている。
「あれらは、人の真似をしているのか?」
オーリンはじっと人魔の動きを観察していた。その結果、そんな結論に至る。人の形を成す異形。人に近しいそれは、人に近しい行動を取り、都市ムダラを守ろうとしている。人魔はその名の通り、全ての行動が人間臭かった。
「群れが結束を果たす事で、意思疎通の為の群体を形成しているようだ。あのような速度で連携が取れるのであれば、ムダラの内部には確実にあれの共同体が作り上げられているという事になる。それに、あれらは只の一つとして、外に出ては来ない。それどころか、我らを迎え撃とうとする姿勢すら見せる。状況的有利が何であるかを理解しているし、最悪を想定すれば統率者となるものも存在するだろう」
オーリンの言葉に答えるように、エミリオが現状陥っている状況に対して、予測を立てる。
それ等が本当に人を模倣をしようとしているのか、生まれた時より備えていた特性なのかは知りようもない。だが、それがどのような答えであったとしても、眼前に在る脅威は計り知れぬものであった。
都市ムダラの人魔は高度な知能を持ち合わせている。
統率者がいて、末端ですらその意向を汲み取ることが出来る程の。
野に放たれれば、其れは大波となって世界を破壊へと導き、大地を全て更地へと変えるのだろう。
あれと最初に接触した者の使命は、防波堤となることであった。
オーリンとマシュー、べヘモス、エミリオの率いる魔導兵団十八組の面々は、指揮官であるリーン・フェイの指示によって新たな作戦を与えられる。ムダラ攻略への出陣の直前、本陣から少し離れた場所に立つオーリンは、エミリオと一緒にいた。
「どうにかして膠着状態を脱するには、リーンの立てた策が最善のようだ。また巻き込んでしまってすまない」
オーリンに深く頭を下げるエミリオ。オーリンに対して年相応の話し方をする事に慣れていないのか、ぎこちなくなるエミリオの言葉。そんなエミリオに、オーリンは気にするなと笑みを返す。
「大丈夫だ。それに、今回はべヘモスがやる気らしい。理由は分からないが、まがりなりにも原初の神だ。頼りになると思う」
「そうだな……。最終確認だオーリン。魔導兵団と本隊に注意を引きつけてもらっている間に、俺達はユリスとシルバスの魔導を使いムダラに潜入をする。内側で暴れて人魔の作り上げた陣を撹乱しつつ、門を開く。同時にあれらに指示を出している頭を探す。あれらが真に大災害であるというのならば、魔導が狂う先に元凶がいるだろう。回りくどい手ではあるが、ムダラを再利用する為には内外の損耗を減らす必要がある。負担は大きいが現状の最善手ではあるのだろう。中に何が潜んでいるか分からぬ以上、どこまでいっても、成功の確率は五割になってしまうが」
「いつも似たようなものだし、それだけあれば十分だ。ベヘモスも分かっているな?」
背後に気配を感じてオーリンは振り向く。小さな背丈の幼児を見て、オーリンはあやすように声を投げる。
「お主もまっことうるさいのぅ、壊れたら壊れた時じゃ。神様が手を貸してやると言っておるのだから、素直に受け止めて崇め奉らんか」
とてとてと歩いて、オーリンの横に小さな頭が並ぶ。自信を漲らせて胸を張る姿はいささか緊張感に欠けるが、それでもベヘモスの持つ力は本物だ。口から洩れそうになった溜息を呑み込んで、オーリンはエミリオに目配せをする。さらにその場に近付いてくる足音が聞こえる。オーリンの傍を揺蕩っていた魔導が、緩やかに風を運び歓喜の歌を奏でる。
「エミリオ隊長、準備が整ったみたいです」
ユリスはそう言いながら、エミリオに向けていた視線をちらりとオーリンへと移す。オーリンは自分に向けられた視線に、妙な既視感を覚えた。ベヘモスとの戦いの以前から、このユリスという少年を知っているような気がする。
「中に入ったら十中八九混戦になるだろう。出し惜しみはいらん。一気に制圧するぞ。時間勝負だ」
エミリオの言葉によって思考の海から引き戻されるオーリン。思い出せそうで思い出せない記憶に別れを告げると、オーリンは目の前にある都市ムダラへと再度意識を集中させる。
遠くから、指揮官であるリーン・フェイの高らかな声が聞こえる。
都市ムダラ攻城戦が今、始まろうとしていた。
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次回、
『魔導の果てにて、君を待つ 第四十話 消えゆくもの 前編』
乞うご期待!




