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第五話 守るべきもの 後編





 風を切って馬が駆ける。

 その姿はまるで地を這う雷の如く。

 馬上の人間はその体躯を寄せるように密着させ、人馬一体となりながら野を駆ける。


──巡礼騎士ヘムグラン・オズ


 その老人に取って人生とは、戦いの連続であった。

 グラム王国のあるアムリア大陸より、海を一つ超えた南方の大陸に産まれ落ち、幼少のみぎりより戦と共にある。


 数多の部族が大地の覇権を巡り、争いの絶えないヤマ大陸にて、大部族を率いるおさの長子として生まれたヘムグランは、物心のついた頃には剣を振るっていた。


 戦って、戦って、戦って。

 辿り着いた先はまた戦場へと変わる。

 今は昔、一つの縁により、彼の世界はガラリと色を変えることとなる。





 * * *





 多くの人々がグラム王国の王都へと避難をする為に列をなしていた。

 ベリオドンナの門を出た男は、スルナの村を目指して馬を走らせる。

 群衆を抜ける時に見えた、住人達の顔色はあまり良くない。

 これから先どうなるのか、見えぬ未来に不安が大きいのだろう。


 男は無性にテオやマルク達に会いたくなる。

 街を遠く離れた頃、どこか後ろ髪を引かれたように男は振り返る。

 空には疎らな黒点があり、蠢く虫のように不気味なそれは、空を汚していた。


 これから一体どうなってしまうのか。

 出口のない思考に囚われそうになるが、振り払うようにおもてを向きなおす。

 まずはスルナのある森だ。

 皆に魔鳥の事を伝え、できるだけ早く逃げる準備をせねばならない。


 かつかつ々と馬蹄を響かせる馬も、連日の重労働で疲労の色を滲ませる。

 たてがみさすりながら、無理をさせすぎた事を侘びた。

 馬自身も主人が思うところに、何かしら感じる物があるのかもしれない。

 自らの意思で走ることをやめることはなかった。

 懸命に走るが風は逆巻くように身体にまとわりつき、脚を重くする。

 途中、街への行き掛けに野宿をした場所で火を起こし一晩を明かした。


 そして、スルナ村がある森が近くなるにつれて男は胸騒ぎを覚えることになる。

 最初に異変を感じたのは、鼻を刺すすすの臭い。

 そして視界に入る黒煙。

 男の慣れ親しんだ森が燃えていた。


「火事だと! いや、これは」

 馬を急がせて森に近づくにつれて、男は目にすることになる。

 破壊の跡が、そこら中に散在している。


 黒煙は森のずっと奥の方で発生しているようだが、入り口部分にある木々が森の奥側に向けて放射状に薙ぎ倒されている。

 十や二十ではきかないほどの、大量の木々が。


「魔鳥か?」

 男の頭に疑問が浮かぶ。

 もし魔鳥でなくとも、それに類する物の仕業と見て間違いない。

 これは人為的に起こせるようなものではない。

 異様な事態に直面して馬が震えている。


「これを引き起こした何かに怯えているのか」

 男は宥めるように優しく馬の首を撫でる。

 この森で何かが起きている。

 不安が男の精神をどんどん蝕んでいく。


「大丈夫だ」

 その言葉はもはや願いであり、己に言い聞かせる為の言葉でもあった。


 もう逃げることはない。

 ただ前に進むだけ。

 その先に確かにある、大切なものを掴む為に。





 * * *





──数刻前


「なんじゃあこの森は。まがまが々しいのぅ」

 目の前に広がる混沌に、ヘムグランの肌が粟立つ。

 見た目はただの森なのだが、ヘムグランの目には何らかが介在して生み出された異物に見えた。


 変質してしまった、という方が正しいか。


「魔導が悲鳴をあげておるわ」

 ヘムグランは、自然と魔導の均衡が崩れたその様子を見て眉を顰める。

 常であれば森や山など、自然の生命力が溢れる場所では、自然と魔導はお互いに作用して調和が保たれている。

 そういった場所では気力や生命力がそれだけで満ち溢れてくるものだ。

 だが目の前のそれは、生命自体の均衡を崩しかねない淀みを感じる。

 混沌、まさにそう表すのが適切というほどに。


「そういえば坊主達がこの辺に来ておるとも言っておったか。微かに魔導を感じはするが。むむ?」

 髭を擦り思案するのも一息に、目の前の木が破壊される。


「やばいぞ、ディー、子供を早くこっちに、外だ!」

 切羽詰まった声を発しながら、弓を持った小さな影が飛び出してくる。

 番えた弓矢を構えながら、森へ放つ。


 追って出てきた大きな影。

 放たれた矢が大人二人分はありそうな巨躯を持つ化物を射止めた。


「クルス坊か!?」

 ヘムグランは目を見開き、今しがた出てきた人影の主に大声で呼び掛ける。


「あっ、ヘム爺! ディー、早く来て、ヘム爺がいる!」

 クルスはヘムグランの突然の出現に驚いたように声を上げると、森から脱出できていないディーを急かす。


 脇に子供を抱えた巨体が滑り込むように森から飛び出してくる。


「外か!」

 ディーは子供を抱えながら森から躍り出る。

 そして、ヘムグランの姿を確認すると即座に近寄る。


「ヘム爺、魔獣だ! あいつはやばい!」

「ヘムグラン爺さん、なんでこんなとこに!」

 クルスの言葉に続けてディーが叫ぶ。

 子供を庇うように降ろし、背後に寄せる。


 クルスに矢を射たれた魔獣。

 頭を射抜かれた直後には動きを緩慢にしていたが、刺さっていた矢は泥のように溶けて地に落ちる。


 一つしかない瞳は巨大な黒眼が深淵を描き、黒光りする長い体毛は千千ちぢに乱れて全身を覆う。

 体毛から僅かに覗く体肢は巨大で、大地を踏み締めた足は鋭い爪を持ち地に食い込ませている。

 黒眼を持つ頭は正面を向き、恨めしそうにヘムグランをジッと見つめてくる。


「なんじゃあ、あれは」

 ヘムグランの眼が金に光ると、魔獣の真の姿を捉える。

 魔導を介して映る姿は、淀みや汚れといった類の異物にしか見えない。


「森の中でこの子が狙われた。多くいた緋眼の魔獣も皆こいつが喰い殺したんだ」

 ディーの言葉を聞きながら矢面に立ったヘムグランは両手に剣を構える。


──ボアアアアアアアアアアアアアアアアァ


 目の前の黒眼は大きな口を開き、一呼吸のうちに咆哮を放つ。


 ビリビリと大気を震わせながら、ヘムグランたちを地面に縫い付ける化物の声。

 ディーが守っていた子供がその衝撃により膝から崩れ落ちる。


 眼光鋭く魔獣の姿を貫くヘムグランの両眼。


 ゆらりと淡い光を残して砂埃が舞う。

 一足飛びに彼我の距離を無と変え、魔獣の頭を狙って放たれた銀の軌跡は、まるで泥を斬るような感触と共に剣身ごとぬるりと加えこむ。


「むぅっ!?」

 ヘムグランの両の剣が魔獣の体内を通り抜けた後も、黒眼魔獣は動かない。


 次いで回転するように斜めに斬り上げが入る。

 やはりヘムグランの腕に伝わるのは、異質なものを斬る感触。

 確かに斬ってはいるのに、手応えがない。

 剣の軌道を無防備に飲み込んでは、数瞬後にくっつけるという事を繰り返すだけで、黒眼魔獣は微動だにしない。


「ヘムグラン爺さん! そいつには何をしても効かない。ただ、攻撃を与えるとノロマになって、よりでかくなっていくんだ」

 魔獣を斬り荒ぶヘムグランを見てディーが咄嗟に言う。

 その間もヘムグランの二つの剣は縦横無尽に魔獣の体躯を通り抜けていく。


 その姿は雷の如く。

 大地はおろか、宙までも自在に使って、魔獣の微かな動きに反応しながら死角に入り、斬る。


「こやつ、まさか変異しおったのか。力を喰らい成長するなど、物の在るべき原理すらも歪めておるわ」

 唸りながら、手を止めずに考えを纏めるヘムグラン。

 緋眼魔獣とはヘムグランもこの一年のうちに何度も対峙している。

 だが目の前の化物は、幾度斬り捨てようとも、無尽蔵の淀みを孕んだまま存在を維持し続ける。


「小賢しいのう」

 ヘムグランは手応えを感じず、一旦距離を離す。

 クルスも牽制するように散発的に矢を放つが、その全てが飲み込まれた後に腐臭を孕んだ泥となって大地へと流れ出る。


「腐っておるのか。サイの小僧はおらんのか。あやつの魔導であればどうとでも出来ように」

 目の前の魔獣は身を揺らし大地を震動させながら、唸り声をあげる。

 魔獣は見る間に身体を膨張させると、木々に迫る程の大きさにまで成長していた。

 周囲の生命力も吸い取っているのか、魔獣の近い距離にある草木が見る間に枯れていく。


「サイ兄は森の奥で姿が見えなくなったんだ。大丈夫だとは思うけど」

 クルスはヘムグランの疑問に答えつつ、さらに魔獣から距離をとる。

 ディーはクルスの隣まで下がると、子どもを抱えながらいつでも逃げられるようにしていた。


「仕方がない、少し気張るかのぅ」

 ヘムグランの吐き出す息は深く、そのままの調子で体内の魔導を練り始めた。

 淀みの近くにいるだけで、未だ魔導の流れは本調子ではないが、ヘムグランは慎重に内なる魔導に語り掛ける。


「全ては一体となり、揺らぐことなく、不動と成る」

 そう呟いた瞬間に、ヘムグランの身体が一回り大きくなる。

 急激な威圧に当てられ、魔獣は動きを止める。


「揺らぐことなく、揺らぐことなく」

 小さな呟きをやめるとこなく歩き続ける。

 魔獣の巨大な手が天へと上がり──


──ドスン


 鈍い音がして周囲の木々が振動に揺れ動く。

 叩きつけた風圧が地に落ちる葉を舞い散らし、視界を遮る。

 

 視界が晴れたとき、そこには変わらずに佇むヘムグランの姿があった。


 どれだけ巨大になろうとも。

 どれだけ力を持とうとも。


 魔獣はヘムグランを押し潰すことすらできない。


 ヘムグランが魔導に目覚めたのは三十年ほど昔の事だ。

 導師のように、魔導を用いて外界へと影響を及ぼす程の力は持てなかった。

 だが、故に自身の奥底に眠っている魔導に対しての扱いは、グアラドラにおいて最高峰と呼べる領域にまで至っていた。


 身体を極限まで頑強にし、一切の傷を負わない。


 ヘムグランを傷付けた事のあるものは、生まれてより魔導に至るまで、ただの一人もいなかった。

 それは魔獣や大災害の産み落とす災害に関しても同じであった。


「まぁ、足止めじゃな。これだけの図体ずうたいなんじゃ。少し粘っとれば、サイの小僧が気付くじゃろ」

 軽い口調でディーとクルスにも聞こえるように言う。

 怒りに駆られた魔獣の咆哮が、ヘムグランの鼓膜を騒がしげに揺らす。





 * * *





「ん?」

 森の中、マルクの手を引きながらサイはどこか不思議な気分になる。

 既視感とでもいうのか、過去にも似たような事があったような、そんな変な感覚に囚われた。


「蝶々さんだ」

 マルクが指を指す。

 サイは頭を振り気を取り直してマルクの指し示す方を見る。

 するとそこには魔導蝶が飛んでいた。


「魔導蝶か、あれが見えるのか?」

「うん。おいでおいでって言ってる」


「ほう」

 サイはマルクを見る。

 無邪気に蝶を捉える瞳は、確かに魔導蝶が見えている様子である。

 導師達が扱う強大な魔導を除けば、普通は野に揺蕩う自然の魔導に気付けるものは少ない。

 それを考えれば、魔導蝶を感じ取れるのは一つの才能でもあった。


「魔導王の導き、ねぇ」

 魔導王が魔導を発見してから五百余年。


 魔導の全ては、魔導王がこの世に生まれたことから始まる。

 彼が何を持ってその存在に気付いたのか、今はもうそれを知る者はいない。

 未だ眠り続けているとされる、魔導王本人を除いて。


「魔導とは一体何なのだろうなぁ」

 サイは木々の合間から微かに覗く青空を見て、何を思うでもなく疑問を口に出す。


「サイお兄ちゃん、蝶々さんが呼んでるよ?」

 マルクはサイを見上げるようにして、掴んだ腕を引っ張る。

 

「呼んでいるか。はてさて、いさもうともはやろうとも手立てが無いのならば、身を任せてみるか」

 幸いな事に、近辺の魔獣はサイが倒し尽くしたもので全てであったようだ。


 小さな体に似合わぬ程の力強さをみせた少女に、急かされるように引っ張られて、サイは蝶の後を追うことにした。






閲覧ありがとうございます。


次回投稿予定日は、3月29日予定となっております。

『魔導の果てにて、君を待つ 第六話 フィテス 』

どうぞ、ご期待ください。

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